第12話 小町恋歌、文科省の職員に出くわすこと

 最近は何かにつけて敏感になっている。家のインターホンが鳴らされたり、ノックする音があったり、電話がかかってきたりすると息が止まりそうになるのは、もちろん告発を恐れているからだ。誰かが家を訪ねてきて、恋歌の両手に手錠をかけていく未来を恐れているからだ。朝、家を出るときに目の前に刑事が佇んでいる光景が想像できるからだ。

 だがその過程として、放課後に職員室に呼び出される、などという状況は想像していなかった。恋歌だけではなく常賢も呼び出されたとなれば、間違いなく一ヶ月前の事故の絡みだ。だが警察が恋歌を逮捕しにくるのであれば、もっと周囲に気を遣うだろう。学校に来るなんてことはなく、家にいる恋歌を逮捕するべきだろう。だから、何か話が聞きたいだとか、そういった話に違いないのだ。恋歌は己にそう言い聞かせようとした。

 校舎の南端から枝分かれした西側の職員室に行ってみると、途中で常賢に出くわした。常賢が幸喜を見舞いにきた翌日であり、今日という日になってからというもの一度も会話が無いとなれば、どんな対応が安全なのかがわからない。幸いだったのが、常賢が呼び出された職員室に向かうことを目指してくれたことで、恋歌は呼吸を整えて彼の斜め後ろを歩いた。松葉杖の常賢の歩みは遅かった。


 職員室の右手側は教職員たちの机がひしめき合っているが、反対側の衝立で仕切られたスペースには比較的空間が広く取られており、背の低いテーブルを挟んで黒いソファが相対している。

 その応接スペースに、常ならば学生と教師しかいない空間には異物としかいえない、見覚えのない男が腰かけていた。黒いスーツに短い髪で、三十代といったところだろうか。いや、無精髭が老けてみせているだけで、実際はもう少し若いかもしれない。胸ポケットに煙草のケースが見えていた。

「ああ、ふたりとも来たね」

 と目敏く入口の恋歌たちの姿を見つけたのは、奥の自身のデスクに座って何やら作業をしていた担任教師だった。

 何の用か、と恋歌たちが尋ねる前に、ソファに座っていた男が動く。視線を持ち上げてこちらを人睨みするや、立ち上がってこちらに歩み寄ってきた。目の前まで接近してくるのだから、用があるのは恋歌たちで間違いあるまい。相対すると、恋歌と比較してはもちろんのこと、常賢よりも背が高かった。

「こんにちは」

 低い声だった。大人の声で、聞き慣れないのにやけに踏み込んでくる声質に恋歌は警戒心を抱いた。恋歌は出された手を握るつもりはなかったし、松葉杖を両手で握っている常賢も手は差し出さなかった。スーツの男はばつが悪そうな様子で手を軽く振ってからポケットへと戻した。


「仲楯、小町。こちらの方は文科省の方で……」

「文科省の晴海はるみです。よろしく」

 と担任が説明を終える前に、晴海と名乗る男は自己紹介をした。口元は笑顔を作ったが、瞳は笑っているように見えない。

「先月の事故の件で、事故調査をしなければならないことになってね。もしこのあと何も予定が無いようだったら、付き合ってもらいたいんだけれど……いいかな?」

(文科省の事故調査………!?)

 恋歌は背筋が冷たくなるのを感じた。第一発見者として、警察の検分には立ち会った恋歌だったが、それはもう完了していて、だから事故の調査だなんてものはもう終わったものだと思っていた。それなのに、わざわざ文部科学省から役人が派遣されて調査をするだなんて、この先月の事故にそこまで怪しい点があったということか。常賢が突き飛ばされたときの瞬間を目撃した者でもいたというのか。いや、それなら一か月も経ってから追及されるはずが――。


「事故調査というのは、どういった調査なんですか?」

 その問いを発したのが常賢だったので、驚いて声をあげそうになってしまった。自分の口が意図せず言葉を発したのだと勘違いするところだった。

「ああ、うん、事故調査なんていうと大袈裟だけどね、えっと、学校へ行く道で事故に遭っただろう? だから国としては、今後そういうことがないように、事故の原因をはっきりさせておかなきゃいけないんだ。調査っていうけど、まぁ、そんな大したことじゃないんだよ、ほんと。おれも下っ端だしね。ただ、今回の事故は学校の敷地内で起きたわけではないけれど、通学中の出来事だっただろう? そうすると、学業最中の事故ってことで、そういう報告書を書かないといけないことになっているんだよ」

 と晴海は軽い調子で肩を竦めた。

「事故当時の状況は、覚えている限りは警察の方に何度も話したんですが………」

「ああ、うん、そうなんだけどね、まぁ、なんというか、いろいろ面倒な手続きがいるんだよ。こういうことはやらなくちゃいけないことになっていてね。いやね、警察の調書も見せてもらってはいるんだよ? でも、警察が聞くこととはちょっと違うことも聞かなくちゃいけないし……たとえばさ、ほら、事故があったところはガードレールっていうか、低い柵があっただろう? 警察だとあんまりこういうことには頓着しないんだけど、今回の調査だと、これがもうちょっと高ければ、今回の事故は起きなかったかもな、とか、そういうことを考えるんだよ。そうすれば事故も減るから、その辺の道路予算増やそうだとか、そういう対策が取れるだろう? 通学路で通学途中だったわけだから、そういうことをきちんと確認しなくちゃいけないことになっていてね」

「そういうわけだ」と担任が言葉を引き継いだ。「ふたりとも、協力してくれ」


「……わかりました」

 僅かな逡巡を経た常賢の承諾を得て、晴海は満足そうに頷いた。視線を恋歌に向け、「そっちの女の子のほうもいいかな?」と問いかけてきたので、恋歌も黙って頷いた。

 最初に職員室の応接スペースで調書を取られた。その中でまた恋歌は嘘を吐いた。登校途中で車のブレーキ音が聞こえたと、走って行ってみると常賢が倒れているのが見えたと。だから事故がなぜ起きたのかはわからないと。最低限の発言で済ませた甲斐あり、常賢の証言も恋歌の説明と矛盾は生じなかった。

「なるほど、なるほど。じゃあ、次に現場で細かいことを聞いてもいいかな?」

 晴海は白熊のキーホルダーのついた車の鍵を取り出した。

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