第5話 小町恋歌、後悔すること

「小町さんが仲楯くんのことを突き飛ばしたせいで事故に遭ったって、本当?」


 己の指が緊張で鉄板の上の烏賊のように丸まったのが自覚できた。熱さを受けての自然な反応のようなものなのだ、曲がる指を止めることはできない。この指先の動きにまで注目する人間が果たしているだろうか。机の上に置かれていた手は無防備で、だから小町恋歌は手を机の中から下にでも隠したくなったが、そうする動きそのものが己が思いを隠そうとしているのだと主張するようなものであるように感じて動けないでいた。

 相手はクラスメイトの女子で、恋歌はほとんど話したことはない。常賢は、どうだっただろう。よく覚えていない。話したことくらいはあっただろうか。彼のことを気にかけるのだから、友人だったか。恋歌と違い、常賢は人付き合いがしっかりしていたから、そう、気にかけられるだろう。ましてや、高校のすぐ近くの道で起きた事故の翌日に、休んでいた者のひとりが登校してきたとなれば、なおさらだろう。


「あの………」

 指が絡むだけで、言葉が出てこない。いや、言葉に出しても、出さなくても、結果は決まっている。

 どうして今日、学校に来てしまったのだろう。一昨日は病院に行ったり、警察に事情聴取を受けたりした。昨日は、休んだ。体調が優れないと届出を出した。嘘ではない。怖くて、苦しくて、辛くて……、悲しかった。


 常賢が、車に轢かれた。トラックに。人間に比べれば、ずっと大きく、硬く、重いものが、彼の身体を弾き飛ばした。まるで風に流される中身の無いビニール袋のように、常賢の身体は簡単に飛んでいった。どうやって落ちたのは見ていない。そもそも事故直後、恋歌は目の前で何が起きたのかさえ理解できなかったのだ。


「わたし……」

 常賢を突き飛ばし、車道に倒れかかった彼の身体の身体が消えた。車が通過し、その後にブレーキ音がした。消えた常賢の身体は、遥か前方にあった。身体をくの字に折って横たわっていた。脱げかけた上着が顔にかかっていて顔が見えなかったが、頭のあたりを中心としてアスファルトの舗装面には血溜まりが広がりつつあった。救急に通報すると、意識があるかどうかと怪我の具合を確かめろと言われた。恋歌は、できない、と答えた。怖くて、できない、と。


 結局、常賢の怪我の具合を確かめたり、救急車の誘導をしたりしたのは彼を轢いたトラックの運転手だった。恋歌は何もできなかった。いや、できたのは謝ることだけだ。病院の廊下で、警察署で、ただ、ただ。

 常賢を突き飛ばしたのは恋歌で、だから悪いのは恋歌だ。いや、どういう状況になっているのか、恋歌自身にもよくわかっていない。何度も説明はされたような気がするが、頭に入ってきていない。ただ、迎えに来た祖母が泣いていたことだけは覚えている。翌日は、ずっと家に居たが、警察が話を聞きに来た。祖母が相談したという、弁護士も。


「わたしは………」

 馬鹿なことをした。言葉にすればそれだけだ。感情に任せて、いや、感情にだけではなく、意固地になって、それだけで、自分の考えだけで、あんなことを。

 恋歌は目の前が真っ暗になっていくのを感じ、瞼を閉じた。瞳には何も映らなくなったが、吹雪の冷たさだけは消せなかった。

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