第3話 仲楯常賢、先輩とともに帰り道を歩むこと

「こうやって買い食いしていると、高校生だなぁ、って気になるよね……ならない?」

 五月の県の高校総体の帰り道で小さい口が忙しなく動いていた。


 常賢は跳べるようになったとはいっても、まだ棒高跳びに移行したばかりではあったため、今回の大会では中学の時と同様、短距離に参加し、初日に短距離競技が終了したあとは棒高跳びに参加する茜について回る予定だった。だが二日目、三度続けて登頂のバーにぶつかった彼女は、記録が無いままに競技を終えていて、だからほかのメンバーよりも早く競技日程が終了した。それでも部活は団体行動なのであれば、応援だの手伝いだのと一緒に行動するものなのだが、茜の場合は踏み切りが悪かったらしく、足を捻ってしまったらしい。医者に見せたところで一日二日と長引く類のものではなく、痛い痛いと喚くほどでもなかったのだが、競技を自体が終了したのであれば、ということで先に帰った。

 湿布を貼った足でひょっこりひょこりと歩きながら、コンビニで買った肉まんを頬張る茜の頬は上気していて赤い。小柄なだけ、殆ど股下まで隠れるジャージを纏っていればその姿は部活のときとそう変わらないのだが、一枚下に高校指定の体操着とは違う、ぴったりとしたハーフパンツ姿があると思うと、昼間にその姿で競技をしているのを見ているだけ、いつもと違って見える。


「そうですか?」

 総体の会場から戻ってきた私鉄の駅から茜を家に送り届けるまでの間、ぼんやりと彼女の姿を見ていた常賢は返答に遅れた。

「だって小中のときは、買い食いしちゃ駄目だよっ、ってルールあったでしょ?」

「ありましたっけ?」

「あったよ」

「律儀に守ってたんですか?」

「子どもの頃って、わりとそういうルールはちゃんと守らない? でないと翌日に担任教師からお咎め喰らって、それをクラスメイトに知られて噂になるし、一度でも罪を犯してしまったら、あとについてまわって不良の仲間入り。高校進学するもすぐに中退、日雇いの仕事もままならず、借金ばかりがかさんで逃げるように日本海側の漁村に移り住んでその日暮らし、酒と布団だけが友だちで、冬の雪の日に孤独死という有様になるからね。そうならないように、とわたしはちゃんと守る子どものだったのさ。それなのに小五の頃、道路挟んで小学校の向かいにコンビニができたよ。あれはね、酷いね。卑怯だよ。隠れて行こうとしたら、先生が見張っているんだもん。こういう反動で高校に入ってからはよく買い食いをするようになってしまった」

 食べながら喋っているので、やや汚い。が、それが茜だと許せるどころか、むしろ可愛らしく見えてしまうのだから不思議だ。

「先輩、足はもう大丈夫ですか?」

「わりと。すまんね、送ってもらって。もうその辺でいいよ。大会に戻ってもいいし」

「いや……会場にいても暇なので」

「まぁそうだよね。自分の競技中以外はすることがないもんね。きみも自分の競技は終わっちゃったわけだし。ま、でも棒高跳び、なんとなく本番の雰囲気は掴めた?」

「そうですね。緊張すると辛そうだな、とは思いました」

「うむ、辛いぞ。まぁ競技はなんでもそういうもんだけど、棒高跳びのはあんまり競技人口がいないし、ひとりずつやっていくから、余計に疲れる気がする。仲楯くん、よくこんな競技にチャレンジしようと思ったな。短距離、今も強いんだから、そのまま続ければ良かったのに」

 常賢は高校に進学してから棒高跳びを始めた理由を説明したりはせず、笑って済ませた。「先輩は、どうして棒高跳びを始めたんですか?」と話題を換える。


「おねえちゃんが選手だったんだよね」

「お姉さんがいるんですか?」

「あー、いや、ごめん、ちょっと違う」と茜は肩のところでひらひらと手を振った。「おねえちゃんって、えっと、従姉妹のねえちゃんね。棒高の選手だったの。オリンピック出たこともあるんだけど、知ってる?」

 常賢は首を振った。中学の頃から始めた陸上だが、オリンピックや世界陸上で熱心に陸上を観戦するほど、陸上競技会に関心を持っているわけではない。サッカーや野球のほうを視聴する機会のほうが多いくらいだ。

「だよね。そんなもんだよなぁ。日本人は陸上そんなに強くないから、報道もあんまりないし。陸上で日本人で最近メダル取ったのは、ハンマー投げとマラソンと……あとリレーだっけ。室伏さんとかは凄いよね。あの人はハーフだっけ」

「先輩の従姉妹の方は、メダルは取っていなかったんですか?」

「日本じゃ勝ってたけど、オリンピックとかだと予選落ちだったね。まぁ、もう病気で死んじゃったんだけどね」

 常賢はどう答えたら良いかわからなかった。

 茜は後輩の心の機微を察したらしく、「まぁ、とにかくね」と誤魔化すような口調で笑った。「子どもの頃に、テレビで見たんだよ。おねえちゃんが跳ぶの。それで、わたしもやってみようかな、って思っただけ。わたしはおねえちゃんみたいに記録は残せてないけど……、続けてたら後輩もできたわけたから、いまのところは順調だよね」

 茜の家は高校から私鉄で一本のところの駅の傍で、閑静な住宅街のどこにでもあるような二階建ての家屋だった。車一台ぶんが収まる車庫がせいぜいという広さの庭には、茶けた色の日本犬がスフィンクスのような格好で欠伸をしていた。

「いやぁ、家まで送り届けてもらってしまった。ありがたいな。後輩というのは良いものだね」

 門前で茜がくるりと振り返る。家に寄ってってくれ、などと言われることを妄想したが、薄暗くなってきた空の下、窓からは明かりが漏れていた。家族がいるのだろう。たぶん、家までは上げてもらえはしまい。


 なので代わりに、常賢はふとした思いつきを問うた。

「……先輩、足は最初に怪我したんですか?」

 棒高跳びのはひとつの高さに対し、三回までチャレンジし、一度でも決められた高さに置かれた棒を落とさずに越えられればクリアとなる。それを高さを少しずつ増しながら、何度も挑戦していく。ほか、助走距離などのルールもあるが、三回のチャンスのうちに成功させる、というのが最初に覚えておくべき基本だ。

 今回、茜は三回のチャレンジでいずれも失敗した。それで終わりだった。だから、記録無しだ。なのだが、一回目と二回目以降で、なんだか助走や跳び方が違うような気がした。だから、三回目の試行で怪我をしたのではなく、最初に怪我をしたのだと感じた。

「うーむ」

 茜は唸った。

 しばらく唸り、それからの回答は、「もしそうだとしても、それを言うのはめっちゃかっこわるくない?」だった。

「というと?」

「なんかものすごく言い訳っぽいじゃん。最初に運悪く怪我しちゃったから駄目だったんですよ、ってのはさ。というか、棒高で踏み切りがで足を捻るっていうのが、もうね、その時点でかっこわるいんだけどね……」

「事実なら仕方がないのでは」

「まぁ、そうかもしれないけど……アレだよね、かっこよくないとしても、かっこわるいことを進んでしたくはないし、かっこわるいことを言いたくないよね」

 だから恥ずかしかったんだ、と茜は両手の指を胸の前で交差させてバツ印を作った。それから、ばいばい、ありがとうね、と手を振られ、そこで別れた。胸の動悸が収まるまでには時間がかかった。

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