カブール・シティ・セレナーデ

フカイ

掌編(読み切り)




 ニューヨーク・シティー・セレナーデ、クリストファー・クロス。

 その歌を初めて聴いたのは、カブールのダウンタウンのはずれにある、ひなびたカフェでだった。


 背広を着たアメリカ人相手の店で、英語のできたわたしはそこでパートタイムの給仕の仕事をしていた。

 普段は小学校の教師をしていたけれど、あの時代、副業を持っていなければアフガニスタンで食いつないでいくのは本当に困難だった。


 アメリカ人たちは、侵略者のソビエト人の目を盗んではその店を訪れ、いくつかの土産をもたらしくれた。

 われわれが彼らに対してできた数少ない礼は、アメリカの歌謡曲を店で流し続け、彼らにせめてもの慰安を与えることぐらいだった。


 心の底ではわれわれのことを見下していた彼らに、はたしてそんなささやかな誠意が伝わったかどうかは極めて微妙ではあるけれど…。


 でも、その西洋の音楽は不思議と、わたしの心になじんだ。


 見たことのない、アメリカの大都会と、そこに生きる人たちの軽やかな恋歌。

 

『月とニューヨーク・シティーの間で身動き取れなくなったら、

 月とニューヨーク・シティーの間で身動き取れなくなったら、

 おかしな話だけど、きいとくれ

 きみできるベストなことは、

 恋に落ちることさ』


 あぁ、彼らはソビエトの対人地雷にも、戦闘ヘリにも無縁なのだな。

 この曲に歌われる世界は、わたしにとって月面クレーターである「静かの海」や、土星のリングにある「カッシーニのすき間」より遠いと思われた。そう思いながらしかしつかの間、この荒れ果てた祖国のことを忘れることができた。


 やがてわたしの勤めていた学校はソ連の航空機の爆撃によって破壊され、わたしの出身の村からの便りも途絶えた。


 わたしは教師として、できる限り戦争とは距離を置きたかった。

 だから戦後の復興のいしずえとなる子どもたちを育てることが、神に課せられた自分の使命だと信じていた。


 しかし、ボロボロになった校舎と、子どもたちの衣服の切れ端と、鼻をつくような異臭のする焼け跡に茫然とたたずんだ後、わたし自身の使命など、もはや何の意味も持たないことを悟った。

 異教徒たちと戦うことの意味を、アッラーが私に諭してくれた瞬間だった。


 そして私は背広を着たアメリカ人のスパイたちから、毒針スティンガーを預かった。


 首都で着ていた西洋風の洋服を脱ぎ捨て、麻でできたシャルワールカミースと呼ばれる民族衣装を着た。ゆったりとした長袖の上着。膝まである前身ごろ。そしておなじくたっぷりしたつくりの。乾燥し、砂の多い地方部では、やはりこの服のほうがすごしやすい。


 肩に下げるのは、アメリカ人の開発した携帯式防空ミサイルシステム。

 直径15センチ、長さ1メートルほどの鉄パイプの中に、飛行機やヘリコプターから出る熱線を、自動追尾するミサイルが仕込まれている。筒の前部には、バッテリーなどの四角い電気機器がゴテゴテとついている。

 肩に乗せたその筒を空に向けてかまえると、ちょうど目の前にのぞき穴が来るようになっており、そこからソビエトの航空機を補足するようにできているのだ。


 彼らの戦闘ヘリは、航空攻撃に無力だったわれわれの国を、縦横無尽に苦しめたものだ。彼らは野ウサギを狩るように田舎の村を蹂躙し、逃げ惑う農民たちを機関銃で狙い撃ちにした。アメリカ人がこの携帯型のミサイルを供給してくれるまで、その戦闘ヘリは悪魔の化身そのものだった。


 そしてわたしはいま、タジキスタンにほど近い岩山の陰に隠れている。

 仲間たち3人と、息をひそめて岩影の中にいる。


 耳を澄ませば岩山の谷間を這うように飛んでくる、あの戦闘ヘリの羽音が聞こえてくる。彼らはこうして物陰に隠れて移動し、ある時突然村の上空に現れるのだ。

 最初はか細い虫の羽音程度だったものが、やがてクルマの騒音になり、やがて眼下を飛びゆく爆音に変わる。


 全長30メートル近い黒い巨体を一枚のローターにぶら下げた、豚のように醜い戦闘ヘリが、我々の岩山の目前の谷間を通ってゆく。


 われわれはこの瞬間を待っていた。

 スタンバイになっていたスティンガーの電子の目を、そのヘリのエンジンの排気口に向ける。ピーピーという電子音が、その排気熱を感知すると、ピピピピという警告音に変わる。電子の目が、豚の熱気を捉えた音だ。

 ある程度の距離をまで待ってから、仲間たちと目を交わし、彼らは姿勢を低くする。そしてわたしはひきがねを引いた。


 肩に乗せたミサイル発射機の後方から煙が勢い良く吹き出し、筒の先端からは炎が伸びる。そして次の瞬間には、ミサイルが自分の先の中空を、妙にゆっくりと飛んでいる。

 初速の遅いミサイルが途中から獲物を捉えなおし、白い噴射煙を引きながら一気にヘリに近づいてゆく。

 気づいた戦闘ヘリが機体を傾げ、離脱しようとするがロケットモーターを完全燃焼させるミサイルから逃げられるはずもない。


 命中。


 操縦席の上部後方にある排気口に、ミサイルは見事に吸い込まれた。同時に、オレンジ色の火花を引きながら戦闘ヘリは四方八方に爆散した。バラバラになったジュラルミンやアルミの部品たち(そして乗員たちのバラバラの身体)が、黒い煙を引きながら岩山の壁に飛んで行くのが見えた。

 それが聖なる戦士ムジャヒディンとなったわたしの普段の仕事になった。

 わたしには、神の息吹が常にあった。スティンガーのひきがねを引く時、それが常に感じられた。わたしは祖国と神の教えを守護する戦士だった。だからわたしの毒針は、48機のソビエトの醜い航空機を爆散させてきた。やがて彼らが、我が国から撤退するまで。


 あの歌のことを思い出したのは、それから二〇年近く後のことだった。


 アメリカの象徴ともいえるニュヨークの双子高層ビルに、われわれムジャヒディンから分派した武闘派――タリバーン、と彼らは自称する――がテロ攻撃を仕掛けたのだ。

 わたしのスティンガーが跡形もなくソビエトの戦闘ヘリを破壊したのと同じように、あの大都会のスマートなビルは形もなく崩壊した。


 あの歌に歌われた夢のような街は、我が同胞の手で、地獄の底へ落とされたのだった。


 そしてアメリカ人たちは、わたし達に報復を始めた。


 あれから二〇年。


 音もなく高空を舞うアメリカ人の無人爆撃機は、タリバーンの人々が隠れるとされる野山を攻撃している。

 わたしの住む街もその標的になり、死者こそ出なかったものの、送電施設が破壊され、われわれは今、電気のない暮らしを強いられている。


 電気がない暮らしでは、当然、音楽を聴くこともままならない。

 われわれは、アメリカ人に武器を与えられ、侵略者を駆逐することに成功した。

 そして気づけばアメリカ人はわれわれを憎み、今度はわれわれが彼らに狩られている。


 アッラー・アクバル。


 わたしはまた、転機を迎えるのだろうか?

 月とニューヨークの間で身動きが取れなくなったら。

 彼らは恋に落ちるのだろうが。

 わたしは、武器を手にすることになるのだろうか?

 またしても。

 そしておそらく今度は、ロシア製の。


 アラーよ、どうか、教えてほしい。

 月とカブールの間で身動き取れなくなったら。

 わたしは落ちればよいのか。







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カブール・シティ・セレナーデ フカイ @fukai

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