深き闇より出でし者(後編)
「なんぞこれぇぇぇぇぇぇ!」
それを
それは、吹き上がる水蒸気と硫黄の臭いを伴う熱湯。
その周りを囲うメイド服の女子達。
まさに奇跡としか言いようの無い光景。
そう、レンガを敷き詰めたキャンパスのど真ん中に温泉が沸いたという怪奇が、あたし達の目の前に出現した瞬間だった。
「いくら私でも、これはちょっと無視できないかも……」
唖然としながらも淡々と告げるレイ。
あたしはあたしで、この状況にいよいよ興奮が止まらなくなり、ウズウズとその怪奇に歩み寄ろうとしていた。
そしてエマちゃんは、この状況に――
「はぁ……」と溜息で答えた。
って、あれ?
うーん、なんかエマちゃんらしくない反応だなぁ。
普段の彼女なら、こういう時真っ先に戸惑うはずなんだけど。
何となくだが、そんなエマちゃんに違和感を覚えるあたし。
恐らく、今回の怪奇は彼女自身に関わりがあるのだろう。
そんな気がしてならない。
「ねえ、エマちゃん」
「はい?」
「一つ確認なんだけど、ココって源泉とか水脈でもあったの?」
「え、えっと……わたしにそれを
「だよねえ」
流石に今の質問に対しては彼女の知るところではないらしい。なら、
「じゃあ、エマちゃんは理由も知らないのに溜息吐いたってワケだね?」
言い換えれば、この現象を引き起こした『何か』に心当たりがあるということになる。
「あ、えっと、それは……て、確認事項が増えてませんか!?」
ちぃっ、気づかれたか。
だが、今のでかなり核心に近づいたのも確かだ。
そう、彼女はあたしの問いに対し、言い淀む素振りを見せた。
これが何を意味するのか?
「まあ、今のは確認というか確信かな?」
「確信って?」と、これはレイの台詞。
「あの……一体、何を言って…………」
「ふっふっふっふ、エマちゃん。あたしは嬉しいよ」
「本当に何を言ってるんですか!!?」
素直な気持ちを告げたあたしに、なぜか今度は戸惑いの声を上げる彼女。
ああ、なんてもどかしい。
でも、そこがまた可愛い。
「いやだなぁ、エマちゃんにも
「あのぅ、わたしはいたってごくごく普通の一般人ですけど……」
「特別な人間は大抵そういう台詞を吐くものさ」
「いや、そういうワケじゃなくて……」
「ちょっと、この
「ナタリーも意地が悪いよなぁ」
レイとレノンが口々にツッコミを入れる。
ていうか、
「お前ら、何『僕たち常識人ですから』みたいな顔でエマちゃん側の発言してんの? 言っとくけど、あたしやエマちゃんはまだそういうのと縁があるってだけだけど、お前ら完全に『そっち側』の人間だからな。深夜番組とかでサッカー好きの芸人にアウト認定される側だから!」
「なんか、わたしまでサラッと巻き込まれてる!?」
すすり泣く様なエマちゃんの声。
「と、ともかく、今はあの『温泉騒ぎ』をどう収めるか、だ」
あたしは強引に話題をそらす。
「まあ、それもそうね」とレイ。
「つーかこれ、実はナタリーが呼び寄せたとかじゃないよな?」
「その要因も一理ある」とあたしは、にべも無く同意する。
「そこは否定しないのね」
「ま、あたしは『ミステリーの申し子』
「誇らしげに言うことでもないでしょ……」
堂々と意味深な台詞を吐くあたしに、呆れた様子でレイがツッコミを入れる。
その隣で、エマちゃんは何やら覚悟を決めたようにうなずいた。
「解りました……これ以上、名取さん達に迷惑を掛けられませんよね。だから、全てをお話します」
そして、彼女はその騒ぎの元凶について語りだした。
「あれは、わたしのパパによってこの世界に命を与えられた存在――
あたしは、その言葉になぜか妙な引っ掛かりを覚えた。
~☥~ ✡ ~☉~ ✡ ~♁~ ✡ ~☽~
少年はただ一人、恐れ
これは、ちょっとヤバ過ぎだろ?
とでも思っているのだろうか、彼は尻餅をついてただただ自らの犯した罪を悔いている様だった。
だからこそ、
「お、おい、こいつは流石に洒落になってないぞ。なぁ、聞いてんのか? 答えろよ、ホムンクルス!」
悲痛な思いを込めて叫んだ。周囲の目をも気にも
『おろかなる「にんげん」よ、くいても「あとのまつり」ぞ。もはや「ほろびのとき」はちかい……』
「な、なんなんだよ……お前……」
少年は問う、目の前に浮かんでいるガラス瓶の中で薬漬けにされたファンシーな小人に。
恐らく、これこそがエマちゃんの言っていた
背中に生えた蝶のような羽と愛らしい顔立ちが確かに妖精っぽい。
台詞はなんか魔族っぽいけど……
その妖精は
『われは「ほむんくるす」……なんじみずから、そうよんだではないか?』
「名前のことなんか
『まだ、わからぬか? 「はかい」と「こんとん」。これぞ、わが「のぞみ」だ』
「何その中二病全開の台詞?」
そう言いながら、あたしは横合いから割って入った。
『なにものだ? よこからくちをはさむとは、ぶれいであろう』
「こんな騒ぎ起こして無礼も何も無いだろ。あたしらは
『ほう……なんぴとたりとも、じゃまだてするなら……ただではすまぬぞ……』
「へえ、じゃぁどうすんのかにゃ?」
あたしの挑発するような口調に、しかし妖精は表情を変えることなく、まるで何かのプログラムでも施されているように
『
そして――なにやら空間が歪み、そこから何かの破片にも見える巨大な矢のようなものが複数、虚空に出現した。
『こんとんの「うみのそこ」よりまねきよせたる「まのやじり」に、そのみをうちぬかれるがよい』
「下がって……」
そう言って唐突にレイが前に出ると、胸ポケットから文庫本を取り出す。
ちなみに表紙を
そこへ「魔の
ばちっ!
突然、電気がショートするような音と共に、それらが一斉に消え去った。
『ばかな……にんげんふぜいが、いともたやすく「だごんのうろこ」をふせいだだと……?』
「…………」
妖精が表情一つ変えずに驚愕の言葉を吐くが、無論レイは聞いてない。
彼女は一度本を開くと外界との接触を完全に閉ざしてしまうため、音や光すらも全く届くことはない。
そう、今の彼女には本の内容以外の一切が目に入っていない。
こうなると天下の副将軍の印籠だろうが桜吹雪の刺青だろうが、最早アウトオブ眼中なのが
『ならば……』
『
妖精が再び呪文を唱えると、今度は巨大な竜の翼を持つ
「蟻のような」と言ったが、もちろん蟻などではない。
かといって
……でもなさそうだ。
『さあ……あのむすめどもの……にくをくいちぎれ……』
命を受けたその蟻モドキは、なんと一瞬で空間を移動し、本に夢中のレイのすぐ前に躍り出た。
「おいおい、マジかあれ!」
あたしが思わず目を輝かせながら歓喜の……もとい驚嘆の声を上げている隣で、そいつは歩き出していた。
そして気が付くと、いつの間にか蟻モドキの前に立ち塞がっていた。
そいつは右手を蟻モドキの前に向けたかと思えば、デコピンでもするような気安さで指を弾いた。
刹那、蟻モドキが視界から消滅した。
断末魔すら上げることなく。
『まさか……ひかりよりはやい「ばいあくへー」をいちげきだと……?』
信じられないといった口調で、しかし相変わらず表情変えずに呟く妖精。
その光よりも速いとかいう怪物をあっさり倒したそいつは、
「そんじゃ、俺ちょっと部室で寝てくるわ。悪いけどナタリー、後はヨロシク」
そう言うと、レノンは瞬く間に視界から消えていた。残ったのは、あたしと本の世界にどっぷり浸かったレイ、そして――
ただ静かにそこに佇むもう一人の少女。
宙に浮かぶガラス瓶からちょうど死角となる位置で。
『かくなるうえは……はくちの「こんとん」に「はいよるもの」をよびだすまで……ふぇあっふっふっ……かくごするがよい……これで……かつる……』
「あれ、ひょっとして、今ピンチじゃね?」
レイが完全に読書に没頭し、レノンが抜けた今、奴の使役する化け物に果たして為す術などあろうか?
思わぬ事態に、あたしは息を呑んだ。
折角の
あたしは注意深くガラス瓶を見据えつつ、そっと右にズレた。
後ろで静かにガラス瓶を
『ふぇあーっふっふっふ……ふぇあれ?』
その少女の姿を
その
『あの……えっと……く、くてぃ……ら?』
静かに、ただ静かに少女は瓶の妖精に歩み寄る。
今にも噴出しそうな感情を抑えながら。
そして、
「この……」
「ひっ」
「お馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!」
ガラス瓶の中で震えている妖精の前で、その少女――エマちゃんの怒号がキャンパス中に響き渡った。
『ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ! ご、ごめんなさ―――――――い!』
こうして、あどけない顔した邪悪なる妖精の招いた白昼夢は幕を閉じた。
~☥~ ✡ ~☉~ ✡ ~♁~ ✡ ~☽~
「本当にご迷惑をおかけしました!」
部室に戻った後も、ひたすら謝り倒すエマちゃん。
かわいいなぁ、たべたいなぁ……じゃなかった。
あたしは少し気の毒に思いつつ、机の上の瓶詰め妖精を軽く指で小突いて曰く。
「もういいよ。それよりこいつ、結局何がやりたかったのかな?」
「それは、多分……ちょっと遊びたかっただけなのかと」
言われている当人(?)は、エマちゃんの顔をうかがいながら黙ってプルプル震えていた。
あれだけの力を持つ人外に恐れられるエマちゃんって……
あたしは窓の外を見上げる。
ふと、そこで頭の隅にこびり付いていた「ある疑問」が蘇った。
ところで、エマちゃんのパパって、何してる人なんだろ?
おわり
剣橋ミステリーサークル さる☆たま @sarutama2003
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