恋すてふ

さくらねこ

朝のこと

 その日は雨の予報だったが、低気圧が南を抜けたのだろう、早朝、目が覚めると薄日がカーテンの隙間から差していた。少し、眩しさを感じたが、目覚めは悪くない。

 私は体を起こすと寝室のチェストの上に置いてある写真を見る。新婚旅行先で撮った妻と私の写真だ。妻も私もカメラに向かって、幸せそうに微笑んでいる。

 妻が亡くなってから満二年となる。

 妻は膵臓がんだった。元気印が自慢だった妻だが、病気が発覚すると、あっという間に逝ってしまった。

 妻が亡くなって抜け殻のようになっていたが、会社をしばらく休職している間に行った旅行先の民宿で同じく旦那さんを亡くした女将に出会った。

 女将はとても優しく強い人で、旦那さんが亡くなっても前を向いて生きる覚悟のようなものが伺えた。私はそれを感じて、妻と向き合うことを決心したのである。


 まず行ったことは部屋の片付けである。

 無気力だった私は家事というものを一切行わなかった。なので、家の中は荒れ放題で、足の踏み場もないほどだった。一日かけて部屋を片付けると、まるで妻が生きていた頃に戻ったようであった。

 次に妻と撮った写真を整理した。

 妻が亡くなってからは妻の写真を見るのが辛かった。携帯に入った写真さえも何度消去しようとしてはためらったかわからない。

 妻とはよく旅行に行った。その先々で撮った写真がまだまだ残っていた。

 写真屋で買った美しいアルバムに入れていく写真を一枚、一枚眺め、当時のことを思い出した。

 妻は海が好きだった。結婚する前から、どこに行きたいか聞くと、必ず海に行きたいと言ったものだ。妻を被写体に海を背景にした写真はたくさんあった。私が泊まった旅館も妻が好きだった海沿いに建っていた。

 あのとき女将と見た暗い海を思い出した。引き込まれそうな海は死を連想させた。だが、女将は海には色々な顔があると言っていた。並んでいる海の写真を見てみると、たしかにそれぞれ違うものを感じさせてくれた。


 女将は元気にしているだろうか。

 カーテンを開けて、朝の光を浴びながら、私はあの一日の出会いに思いを馳せた。

 旦那さんを亡くし、一人になった女将は民宿を続けていくと言っていた。そして、また来て欲しいと。

 あの旅行から帰り際に見た、夕日に照らされた海は本当に美しかった。今でも目に焼き付いている。妻と向き合うことができるようになった今、あの海はどのように見えるだろう。

 私はもう一度行ってみたいと思った。女将に妻の話をしたい。そして、叶うならば女将の旦那さんの話を聞いてみたいと思った。

 洗面所で鏡を見る。妻が亡くなって見る影もなくなっていた顔は生気を取り戻している。

 キッチンへ移動し、簡単な食事を作る。一年ちょっとでまともな食事も作れるようになった。妻の味には程遠いが、妻が好きだったビーフシチューだけは自信がある。

 食事をとると、まだ時間は早いが着替えることにした。妻が亡くなってから三回しか着ていないその服はクリーニングに出したばかりで、綺麗なものだ。

 妻が愛用していた姿見に全身を映す。結婚式のときに着たタキシードとはまったく違うが、感覚は同じだった。妻はこの姿を褒めてくれるだろうか。


 妻が亡くなって満二年

 今日は妻の三回忌である。

 妻に報告したいことがたくさんある。長くなるかもしれないけれど聞いて欲しい。

 私がこれから進んでいく道の話を。


 恋すてふ わが身は君の かたはらに

        浮世の流れ 前むきてゆく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

恋すてふ さくらねこ @hitomebore1982

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ