三年目の

陽月

三年目の

 ピン、ポーン。古風な音で、チャイムが鳴る。

 今は、色々な音に設定できるけれど、シンプルなこの音を選んだ。

 インターホンを確認すれば、見慣れた顔がそこにあった。

「どうしたの? 入ってこれば?」

 わざわざチャイムを鳴らさなくていいのに、そう思いつつインターホン越しに声をかけた。


 ほどなく、カチャリと鍵の開く音がして、ガチャッとドアを開ける音が続く。

「お邪魔します」

 声の後に、ドアが閉まる音が続く。

 鍵をかけて、あっ、チェーンもしてる。

 聞こえてくるような足音はなく、それでも彼は真っ直ぐにこちらに向かってくる。


「チェーンかけとけって、何度も言ってるよね?」

 入ってきて、第一声がそれ。むしろ、いつもこれ。

「寝るときはかけてるよ」

 私の答えも決まってる。

 初めの頃は、オートロックなんだからそこまでする必要ないだの、そうやって油断していると痛い目にあうだの言い合っていたが、今ではこれだけ。

 これが決まった挨拶みたいになっている。


「で、今日はどうしたの?」

「どうしたのって、結婚記念日だから、たまには一緒にご飯を食べようかと思ってだな」

 結婚記念日という言葉に、しばし考える。

 そう言われれば、そうだった。別にそんなの、どうでもいいのに。

「面倒くさい」

 口から出たのは、そんな言葉。私がすっかり忘れていた結婚記念日を、お祝いしようとしてくれたのは嬉しいのに、素直に喜べず、そんな言葉が出てくる。


「そう言うだろうと思ってさ、ほら」

 彼は、手提げの中身をテーブルに並べる。デパートのお総菜だ。ちょっと奮発したご飯というわけか。

「よくわかっていらっしゃる」

「これでも一応、夫ですんで」



 私と彼は、一応夫婦だ。

 書類上、戸籍上は、れっきとした夫婦だ。

 けれど、普通の夫婦とはちょっと違って、一緒に暮らしていない。一緒に暮らしたことがない。

 仲が悪いとか、職場の都合とかではなく、互いの価値観で、一緒に暮らさないことを選択した。


 全く違った環境で育った二人が、一緒に上手く生活できるわけなんてない。

 一緒に暮らして、我慢するなら、最初から一緒に暮らさなければいい。それだけのこと。

 けれど、全く別々ということはなくて、別居とは言ってもお隣さん。

 お互いに鍵を持っていて、気まぐれにこうやって、一緒に過ごす。

 そんな、何というか、付かず離れずな関係。


 結婚結婚とうるさい両親を黙らせつつ、自由気ままな一人暮らしをしつつ、病気の時やすごく疲れた時には、わりと気軽に助けを求める。そんな関係。



 三周年おめでとう、そんな乾杯から始まった食事が終わり、片付ける。

「まだいるの?」

 帰らない彼に、そう声を掛けた。

「ほんと、ドライだよな」

 苦笑いしつつ、彼はポケットをまさぐって、机に折った紙と、ガキを出した。

「あのさ、別れよう」

 離婚届と、うちの鍵ってわけね。


「わかった。ちょっと待ってて」

 必要なのは、ペンとハンコ、それと彼の家の鍵も返さなきゃ。

 淡々と、私がすべきことをする。


「なんでとか、聞かないのな?」

「別に、最初からお互いに好きな人ができたり、別れたくなったら別れようって、そう決めてたでしょ」


「そうだけど、理由くらい聞くかと思ってた」

「聞いて欲しかった?」

「いや、別に……」


「それでもほら、一応、三年は夫婦だったわけだし」

「まあ、結婚記念日だからってやってきた、その日に切り出す話ではない、とは思うよ」

「それだけ?」

「それだけ」


 はいと、書き終わった離婚届を渡す。

「あとは、やっといてくれるんでしょ」

「ああ、でもさ、ほんと、ドライだよな」

 自分から別れようって言った癖に、何を言ってるんだか。


 最後だから、というわけでもないけれど、玄関まで見送る。

「それじゃあ」

「うん、じゃあね」

 そんな単純なお別れ。

 最後に、彼がポツリと残していった言葉は、その後のドアが閉まる音に消された。


「もう少し、執着してくれてるかと思ってた」



 翌月、彼は引っ越していった。

 引っ越し先は、当然ながら知らない。

 ケータイには、まだ繋がるのかどうかわからない、彼の連絡先が残っている。

 ふと気がつけば、彼からの連絡がないか見ている私がいる。ぼーっと彼の連絡先を見ている私がいる。


 私はようやく、彼が抜けた穴の大きさに気がついた。

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三年目の 陽月 @luceri

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