唯一無二には程遠く 06

 話を聞き終わって、ハーツが抱いたのは色々な事への納得だった。

 だから、ネイルを殺せなかったのか。パームとの約束を反故にしきれなくて。

 だから、あれだけ裏切られることを怖がっていたのか。曖昧な霧の迷宮に閉じ込められて、ずっと自らにあの日の事を問いかけ続ける内に。

「あの時パームは俺を殺そうとしていたかもしれないし、敵兵を撃とうとしていたかもしれない。だがどちらにしろ、最後にパームを疑い殺したのは、紛れも無い俺の判断だ」

「でも、ブラッドは僕に戦いの技術を教えるときに、判断よりも早く反射で処理しろっていってるじゃないか。それなら」

「それは、反省からくる教訓だ。その境地にまで至れば、余計な苦しみを背負わなくていい。疑って殺すより、間違えて殺したのほうが、なんぼもマシだ」

 冗談にも聞こえるようなことを言って、ブラッドはコーラを喉に流し込む。

「……だが、ネイルはやり過ぎだ。俺を苦しめる事を理由に、他者を苦しめて良い訳はない。右目をやられた時と今じゃ状況も違う――パームには悪いが、次はネイルを殺す」

「和解はできないの?さっきの事も話せば」

「もう言ってるよ。すでに和解はしてるのさ」

「??」

「俺は許されていて、だからあいつのする全てを俺は許さないといけない――破綻してるだろ」

「理解できない」

「そうだ。俺達は理解できないものを相手にしてるんだ」

 駐車場でバイクのボックスから大量の武器を出し、ブラッドはそれらをコートの裏や腿に着けたベルト、袖の下にまで装備していく。おまけに分解して積んでいた機関銃を組み立てて背中に背負い、その重さを馴染ませるように首をばきばきと鳴らした。

 ハーツはいつも使っている薄手のグローブを両手に嵌めて拳を何度か握る。

「ハーちゃん、持っとけ」

 ブラッドに投げつけられたのは、片手で撃てる小さな銃だった。

「ネイルはきっとお前を狙う。気をつけろ、絶対に躊躇うな」

「僕は、殺しはしない主義だよ」

「――馬鹿野郎」

「それにしても、女の人一人相手にすごい装備だね」

 ブラッドが口を尖らせる。

「そんなわけないだろハーちゃん。向こうは組織立ってるよ」

「まさか」

 ブラッドがゆらりと見える距離にある目的のラボ跡地に向かって歩き出す。その瞬間から、ブラッドの足音が限りなく小さくなる。ハーツの体重より重い装備をしているのに、殆ど物音を立てることも無い。ラボに近づくにつれて希薄になるブラッドに呼応するように、ハーツも呼吸を浅くし気配を消していく。準備運動をしているのだ。

 ブラッドは能天気にそんな状態で話を続けた。

「まさかのまさかだ。ネイル一人が立ち回っているならラングス家が姉妹のあの結末を許すはずがない。今頃死ぬのも生温い報復をネイルにしてんだろ。だがあいつはぴんぴんして居場所を晒している。それは、易々とラングス家でも手を出せないような奴と手を組んでるってことだ」

「心当たりは?」

「ねえな。こんなご時世だ、裏組織も闇組織も石を投げれば当たるほど結成されてる。派手に活動してるんなら耳にも入るが、ディスコリア帰りの諜報員が目をつけるのはもっと深いところにあるヤバい組織に決まってる。ネイルはそういう奴だ」

 優秀なんだよ。ブラッドは大きく溜息をつく。ハーツは微かに笑った。

「わかりあってるんだね」

「……和解してるくらいだからな」

 ラボは思った以上に大きかった。白く角ばった外観と明かりの無い窓の形や数から階数と大よその見取り図をブラッドは頭に描きだす。外壁の上には見渡す限り有刺鉄線が張られているので登るのは無理そうだ。幸い鍵をボステから受け取っていたので、門扉の大きな錠前も簡単に外すことができた。

「正面から入るのって、あんまり良くないんだよね?」

「ああ、どこから見られてるかわからねえ、気を付けろ」

ラボの入口の扉に手をかける。中に入ると左手にガラス窓をはさんだ受付窓口があったが、誰もおらず明かりも落ちている。エントランスには人気は無く、特に荒らされた形跡も無いことにブラッドは片眉を上げた。

「随分お上品な組織がアジトにしてるみたいだな」

 一本道ではなく、いくつもエントランスには扉がある。

「どっちから行く?」

「……左、かなあ」

 ブラッドが先頭になり、一番左側の扉の向こうに進む。至って実用的な白い廊下にクリーム色の扉が並んでいる。一つずつ開けていくが、壊れた実験器具や空になった薬瓶が転がっている程度で、特に目ぼしいものはない。

「そういえばさ」

 部屋を三つほど開けたところで、ハーツが不意に部屋の壁に手を這わせた。ぱちりと音がする。ハーツが触っているのは部屋の電灯のスイッチだった。

「ここって電気が来てないよね」

「そういやそうだな、外から見た時に明るい部屋も無かったし……もう使ってない施設だし、老朽化しているからまともに動いてないんだろう」

「でもさ、それじゃあ洗浄処理はどうやってやってるんだろう?あれは、薬液に通電してイオン化させながら臓器を洗うから、電源供給が必要なはずなんだ」

「どうやってって……無いんなら持ってくるしかねえだろ…………!!」

 ブラッドは会話の途中で何かに気がついた顔をする。

「そうか、あいつらバッテリーを運び込んでここに居座ってるってことか!」

 ブラッドは廊下に出ると窓越しに外を窺い、人差し指でハーツにそれを示した。

「どうりで施錠された表門には人を置いてないはずだ。あいつらにとってのエントランスはあっちってことみてえだな」

 丁度表門の裏側に当たる部分に搬入搬出用の門があり、そこに何台か幌を被ったトラックが駐車されている。

「俺達が歩いてきた側は、あいつらからすると未使用のゾーンだったんだ。あの搬入口から出入りがしやすいエリアにネイルもいるはずだ」

 気を引き締めて廊下を進む内に、右手側に昇り階段が現れた。そのまま直進した先には鉄扉がある。ブラッドが二つの行き先を見比べ直進を選んだ時に、がちゃんと音がして進行方向の鉄扉が唐突に開かれた。扉の向こうには、四名の黒服が銃を手に持ち立っている。

 突然のエンカウントに黒服たちが目を丸くして固まる。その一瞬の隙をついて、ブラッドはハーツの襟を掴み、階段側の脇道に放り込んだ。

 立て続けに起こる銃声。ブラッドがマシンガンの連射で四人を撃ち殺す。だが、その音を聞きつけて、鉄扉の向こうからさらに多くの黒服たちが武器を手に湧いて出た。

「やべっ」

 ブラッドはマシンガンを片手に持ち替え、右手にショットガンを構えると猛然と銃撃戦を始めた。敵は蜘蛛の子のように扉の向こうから現れる。隙間から大量に積まれた木箱やコンテナが見えた。どうやら搬入口からこの倉庫に物資を保管しているらしかった。

「くっそ、駄目だいくらでもいやがる……!!」

 ブラッドは押し負けまいと銃を撃ちながら、角の裏にいるハーツに声を張り上げた。

「ハーちゃん!!上の階に上がって目的のブツを探せ!!」

 銃を持たないハーツは、この狭い空間での銃撃戦において非常に不利だ。敵が気付く前なら先制を取って撃たせない戦いに持ち込めたが、運の悪さだけは言い訳にならない。

「でも」

「自分の目的を忘れるな!!お前はここに女を探しに来たわけでも、過去を清算しに来たわけでもねえ。ネコババされたもんを取り返しに来たんだろ!!友達を失ってまで!!」

 ハーツの金の瞳が丸く見開かれた。感情をいなすように薄く息を吐き、縮こまっていた肩の力を抜く。

「ブラッドも、頑張って」

 そう言ってハーツが階段を駆け上がっていく。上階から銃声を聞きつけて二人の男が駆け降りてくる。ハーツは駆け上がる速度を落とさない階段の手すりに飛び乗って跳躍し、対峙する男の顎を右足で水平に蹴り抜いた。目だけを動かして見ると、残った男がこちらに銃口を向けている。滞空しているハーツは良い的だ。だがハーツは口元に笑みを浮かべ、蹴り飛ばされのけ反る男の厚い胸板に僅かに着地した。そのまま更に踏切り、空中での進行方向を上に変える。もう一人の男の頭上まで跳躍すると、その背中を踵で打ち抜いた。

 ふわりと音も立てずにハーツは着地し、伏せる二人の男には目もくれずそのまま手摺の陰に身体を隠して階段を上る。一番上の段からそろりと顔を出して廊下の先を見ると、二階も廊下は一階と同じ造りだったが、小さな検査室や実験室が並んでいくつも扉があった所に、大きな両開きの扉がひとつあるだけになっている。

 扉の前には三人の銃を下げた黒服が並んでいた。階下からの鳴り止まない銃声に警戒を露わにしているが扉の前の持ち場を離れる空気は無い。一人は大柄のスキンヘッド。もう一人は猿のように髪を尖がらせた痩身のギョロ目で、最後の一人はアーモンドのような黒目がちな瞳の、褐色の肌をしたモデル体系の男だった。訓練されている、ハーツは男たちの統制だった動きを見て警戒する。

 ならばあの向こうに、大事なもの、もしくは大事な人間がいるということか。猫のように姿勢をかがめ、廊下へと飛び出るタイミングをハーツは窺う。残念なことにハーツは一対多数の戦いを経験したことが殆ど無かった。いつもブラッドが側にいて、二人で戦う事しかしてこなかったからだ。しかも、実際のところはブラッドがまだ周囲に気を配れないハーツをサポートしてくれていた。その自覚がハーツにもあった。

 一人で、やれるか――――

 緊張で息が乱れそうになるところを、深呼吸をして整える。きっかけが欲しい。三人の連携がほんの一時乱れてくれれば。ぎりぎりと体中の筋肉が張りつめていく。ハーツの身のこなしなら一歩で敵前まで飛び出せる。何か、何か――

 ドォォォンッ――――――――――――――――――――!!

「なんだ!?」

 凄まじい轟音が響き、衝撃が建物の壁を揺らした。三人の黒服たちも流石にこの事態に、廊下の窓ガラスへ駆け寄り階下を見下ろしている。

「ど、どうしてあんなものがここに……!?」

 三人の男は階下の何かに目が釘付けになっているようだった。迷っている暇はない。ハーツは猛然と廊下に飛び出し、壁を蹴って身長以上の高さまで身体を浮かせると、腰を回転させながら体重を乗せた足を無防備に背中を向けているスキンヘッドの男の首筋に叩き落とした。

「ぐえっ!!」

 男は白目をむき、窓ガラスに手をついたままずるりと大きな体をすべらせる。ハーツはバックステップし、着地と共に殆ど這うように四肢を床に付けて残り二人をねめつけた。金の瞳としなやかな体の動きはまるで豹や虎のような野生動物を思わせる。銃をメインで使うブラッドとの鍛錬の過程でハーツが身に着けた技能で、弾をすり抜けるように低く近づいてやっとブラッドの銃を叩き落とせるようになったのはつい最近になってからだ。

「くそっ!!」

 痩身のギョロ目男が銃を構えトリガーに指を掛ける、銃身の動きを瞬きもせずにハーツは追う。避けようと足に力を込めた時に、褐色の肌の黒服が声をあげた。

「おい、そいつは撃つな!!」

 男の制止に、ギョロ目が大きな目を見開いて、それから慌てて服の内側に手を入れた。

 やっとギョロ目がスーツの裏からそれを取り出したところで――ハーツはすでに彼の目前に迫っており、掌底で肩、鳩尾、そして顎を交互に強打する。口から反吐を出しながら、黒服はあっけなく気絶して倒れた。彼が銃から手を離した瞬間を勝機とみて、日々の訓練の通りハーツは反射的に攻撃を加えていた。内心で驚きながら。

 なぜ撃たなかった?男の取り出した物が床に転がっている。それはスタンガンだった。

「…成る程。僕のことを、みんなネクターだとわかってるんだね―――――」

 この身体は金塊よりも価値がある。だから銃で撃つことなどそもそもできなかったのだ。

 その瞬間、戦闘中にもかかわらず、ハーツはつい別の事を考えてしまった。

 それならば、ブラッドの所に戻ってこの身を盾にすれば、銃撃を牽制することができる――そうハーツが思い至った時には、褐色の肌の男が警棒の形をしたスタンガンをハーツに振り下ろしている所だった。

「しまっ――――!?」

 振り下ろされたスタンガンを、強引に上体を反らして避けながらカウンターで右拳を男の顔に叩きつける。その弾みで、微かに左手にスタンガンがかすり、それだけで視界が真っ白になるほどのショックが身体を襲った。男は吹き飛び廊下の上で大の字に倒れる。

「くっ!」

 ハーツは痺れた体で、強引に右肩から大きな扉に体当たりした。扉に鍵はかかっておらず、そのまま部屋の中にハーツは倒れ込み、ごろごろと転がる。

「いたた……!」

まだ痺れの残る身体をハーツはやっと起こし、改めて部屋を見回す。うす暗く広い部屋は元々講演ホールか何かだったようだった。だだっ広い空間の奥に登壇するための高くなった場所があり、大きな執務机が置かれている。そこには男が座っていた。暗くてシルエットしか窺えず、確かめようとハーツがゆっくりと近づいていく。

「これは……」

 暗い中、足元に何かが引っ掛かる。黒く太いビニールで覆われた管だった。壇上の周囲には、無数の鋼鉄製の立方体が置かれ、それらから伸びた管が壇上へ放射線状に集まっている。どうやらこれがブラッドの言っていたバッテリーのようだった。それらが繋がれる先のものをみて、ハーツの金色の目が大きく見開かれる。

「まさか……」

 執務机の両脇には、内臓が標本のようにガラスケースの中に浮かんで棚に並び、さめざめとした青白い光の中で揺蕩っている。

「か、肝臓……小腸、脾臓、鼓膜、――――これ全部、僕の――」

「よう、怪盗五臓六腑。どうだ、垂涎モノだろう?お前たちの活躍に合わせて、俺達も随分暗躍させてもらってたんだぜ」

 座っていた男が声を上げる。まだ若い男の声だった。

「お前が、偽の怪盗五臓六腑か……」

 自分達が奪われた臓器を取り返している影で、怪しく蠢いていた存在が目の前にいる。

「覚悟しろ!!返してもらうぞ、僕の身体を!!」

 おもむろに、男が座ったままの高さで動いた。机を周り、壇上に進み出る。カラカラと車輪の回る音がする。男が座っているのは椅子ではなく車椅子だった。青白い照明の下に進み出た男の姿を見て、ハーツの肩が大きく震えた。

 薄暗い中でも、爛々と光る、自分を見つめる二つの月。

特殊な遺伝子操作をしないと発現しない、オーダーメイド一級品の、まあるい瞳。

「よう、久しぶりだな愚弟よ」

 車椅子に乗った痩躯の青年が、薄く笑った。漆黒の髪に金の瞳。血色の悪い真っ白な肌。顔立ちまでハーツにそっくりで、ハーツがそれそのまま成長した姿のようだった。

「そ、そんな……」

 ハーツは気付けば震えていた。額を冷や汗が伝う。まだ自分にも恐怖を感じる心が残っていたのか。そんなもの身体と一緒に喪ったと思っていたのに。

 向かい合う車椅子の男を呆然と見つめる少年の背後に、するりと蛇のように音を立てずネイルが立っていた。

「勿体ねえからよ、また拾いに来てやったぜ」

 背中に押し当てられたスタンガンの衝撃を身体に感じながら、ハーツの意識は真っ白に飛んで、消えた。

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