唯一無二には程遠く 05
リブは帰るなり自室に戻り、乱暴にドアを開けると制服の上着を椅子に叩きつけた。
「クッソ!」
だが勢いづいて制服は椅子にかからず床に滑り落ちる。苛々とそれを拾い上げ、椅子を蹴り倒した。壁に椅子がぶつかり、階下にまでその音が響く。
「クッソ!!クッソ――!!」
床に膝を突き、ベッドに顔を押し付けて腕を何度も叩きつける。セットされた水色の斑髪も乱れその表情は凄みを増し、駆けつけたメイド達も躊躇ってドアの前で右往左往するばかりだった。いつも飄々としている四男の余りの豹変ぶりに、結局彼の部屋に最初に足を踏み入れたのは当主であり父であるキナアだった。
「どうした、こんな夜更けに帰ってきてそんなに暴れて。女にでもふられたか?」
「うっせーよクソ親父!!その下品なパジャマで部屋に入ってくんじゃねえ!!」
遥か遠い当方の国から仕入れた質の良いシルクのパジャマ。父の着るそれがキノコとアワビのという気を失いかねない程に酷い柄物である事すら憎らしい。
「リブ、お前がそこまで荒れているのは初めて見るぞ。まるで学の無い小僧のようだ。自覚しているか?」
淡々と自分の醜態を指摘してくるキナアに、段々とリブも落ち着いてくる。家の外での、大仰で底抜けに明るく鈍感、抜け目ない態度に対して、父は家では意外と常識人であることをリブは不本意ながら理解していた。そしてその性格がしっかりと自分に受け継がれていることも。そして、リブは自分自身でも、どうしてこんなに荒れた気持ちになっているのかわからないことに、はたと気づいた。
「……取引で下手を打った」
「馬鹿な奴だ。どれだけ損したんだ」
リブが口にしたのはとんでもない金額だったが、意外にもキナアは平然としていた。
「負けることもある。常勝は幻だ」
リブは頭を抱えて顔をゆがませた。
「ちげえんだ……ちげえんだよ……」
リブは口をパクパクと金魚のように開閉させる。まるで言葉を探すように。
そして、絞り出すように呟いた。
「……大事な友達を、そんな金額で売っちまったんだ」
キナアは溜息をつく。
「お前には失望したよ――リブ、お前がそんなに弱い心の持ち主だったとは」
キナアの大きく厚い皮で覆われた手がリブの肩にかかる。
リブは瞠目し覚悟した。父に失望された。これで、俺はこの家での跡目争いから完全に脱落した。終わったのだ、全て。
歩いていける距離のラボ跡地に突入する前に、ハーツの腹の虫が豪快に鳴いた。
「そういや、飯食ってなかったな」
道路沿いには輸送トラックが休憩がてら入れるような、ファストフードの派手派手しい看板が立ち並んでいる。武器を積んだバイクでここまで来ていたので、停めておくのに丁度いいと赤と白の太いストライプ柄の看板の店に入った。ボックス席に向かい合って座り、お互い適当に食べたいものを頼む。ピザとハンバーガー、それにフライドポテト。
「あんまり食べ過ぎるなよ。けど死ぬときに後悔が残るような食べ方はするな」
「なにその戦場の心得的なの」
黙々と二人は目の前の皿を空にする。
「――ブラッドは、どうしてネイルを今まで殺さなかったの?」
紙ナプキンで口元を拭きながら、ハーツが窺うようにブラッドを見つめた。
「赤猫狩りで殺してしまったっという、ネイルの恋人のせい?」
「…………」
ブラッドはハンバーガーから抜いたピクルスをフォークでつつきながら、迷った末に決意したようだった。
「そうだな……ここまで巻き込んじまったら、話しておいた方が良いな」
何もうつさない赤い右目がゆらゆらと揺れる。見えないのに眼球は動くのは昔の名残だとブラッドは言っていた。
「ネイルの恋人はパームっていう奴でさ。まあどうしようもない敵国のスパイではあったんだけど」
ブラッドは語り出す。あの日、パームを逃がそうとした戦場で彼から銃とネイルと託され、最後に裏切りに合ってパームを撃ち殺したことを。
「だけどあいつは、すごく――そう、すごく良い奴だったんだ」
その悲劇には、続きがあった。
タンッ
空気の抜けるような音と共に、がら空きだったブラッドの背中から血飛沫が上がった。
「えっ……?」
我ながら間抜けな声だったと思う。
パームの死に顔から視線を外し、首を後ろに回すと其処には敵兵が一人立っていた。カモフラージュで被っていたのだろう、木の葉の散った土色の布が足元に丸まっている。
「ひっ!」
ブラッドが何者なのか分かっていたのだろう。その顔を向けた瞬間に両手で構えていた銃が大げさなほどに震えた。自分のことを一発で仕留め損ねて明らかに動揺しているのが伝わってきた。
だがその時、その兵よりブラッドのほうが余程動転していた。
「え……?嘘……?え……?」
敵兵、俺の背後、銃を向けたパーム、俺の背後、敵兵、銃、パーム、裏切り、スパイ、敵兵、銃口。
パームはあの時、本当はどちらに銃口を向けていた?答えはもう、永遠にわからない。
「うっ……うう………」
ブラッドが低く呻く。血に染まった背中から、地面へと血が垂れ落ちる。
「うあ……ああぁぁぁぁぁ………あああああああ!!」
獣のようにブラッドは吼えた。敵兵はその啼き声に恐れをなして、完全に引き金から指が外れる。ブラッドは肩にかかっていたマシンガンをまともに標準もつけずに乱射する。ばら撒かれたそれが、敵兵の胸に赤い花を散らした。
「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
全ての銃弾を撃ち終わっても、ブラッドの叫びは止まらなかった。
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