唯一無二には程遠く 04
「お願い、離れたくないの」
鉄条網のようなはっきりとした拒絶の言葉にボステはそれ以上何もできず、主の部屋を後にした。その顔は深い懊悩と悲しみで塗り固められ、顔に刻まれた沢山の皺のせいで苦行僧のようのような風格を醸し出している。
「ボステ様」
使用人の一人が小走りで駆けてくる。
「どうした」
「お嬢様のクラスメイトとおっしゃる方がいらっしゃっていて……」
「こんな時間にか?いや、そんな事より見舞いは全て丁重にお断りしておけと言っただろう」
「そ、それが――お嬢様の“肺”に関する話だとか」
ボステの表情に厳しさが増した。
「応接室に迎え入れろ」
「ご当主様には」
「教えなくて良い。私のほうで対処する」
ボステが応接室に入ると、夜に差し掛かる時間帯で間接照明しかついていなかったその部屋は薄暗かった。明かりをつけると、以前お茶会で屋敷にまで入れた黒髪の子供と、その黒服の姿が浮かび上がる。
「執事長のボステと申します。失礼ながら、私もかけさせていただきます」
椅子に座りボステが真正面からハーツを見つめる。金の瞳をゆっくりと瞬かせてから、ハーツも深く頭を下げた。
「今回は大変なことに――」
「前置きはいりません。お嬢様の肺の事でお話だとお伺いしております」
「あんたは話が早そうだな」
ブラッドが鼻で笑う。本来黒服が主の言動に介入することなど無いのだが、どうやらこの二人はその関係からして普通とは違うらしかった。
「怪盗五臓六腑に肺を盗られたらしいな。ラングス姉妹二人共の、それぞれ左右片方の肺を」
「なぜ肺だと知っている?」
鋭さを増したボステの視線を受け流し、ブラッドが獰猛に笑った。
「俺達がそれを貰い受けるはずだったからさ」
「なっ……お、お前達が!!」
鬼の形相でボステがジャケットの下から銃を抜き放つ。だが、ブラッドはそれより早く取り出した銃でボステの眉間をポイントしていた。
「お前達のせいで!!お前達のせいで……!!」
顔を真っ赤にして、肩で息をしながらボステが二人を睨み付ける。ハーツは緊迫した空気の中、あくまでも落ち着いた声で問いかける。
「僕達の事を、聞いていたんですね?僕達が、ラングス姉妹とどんな取引をしようとしていたのかも」
「そうだ!!お前達が、お嬢様の身体を元に戻すなどと……そんな悪魔のごとき囁きをしたから……私達も、悪魔と契約するしかなくなったんだ!!」
ボステの悲痛な叫びに、ブラッドが銃のグリップを握り直す。何時でも引けるよう、トリガーに指が掛けられている。
「その悪魔は、ラングス家に何を持ち掛けたんですか?」
「――ご当主に電話があったのは三日前だ。甘い女の声で、お嬢様が元の身体に戻りたがっていて、ネクター臓器を貰う事を条件に、結合手術を請け負う闇医者と取引しようとしているという話を伝えてきた」
「ネイルか……」ブラッドの表情が歪む。
「ご当主は問い詰めようとしたが、その取引の日時は教えてもらえず、その代わりその女はある提案をした。曰く“ネクター臓器さえ無くなれば、彼女達を繋ごうとする者など今後現れなくなくなるだろう”と――ご当主は考えた。二人はもう一六歳だ。籠の鳥のように閉じ込めたり厳しい監視をすることにも限界がある。しかもお嬢様は元の身体に戻ることを何より望まれているのだ。それを完全に阻むことは難しい――そうであれば、このタイミングでお嬢様の身体から金塊よりも価値のあるネクター臓器を取り払うことは、不安の芽を摘むことになるのではないかと」
「確かに正解ですね。大企業の娘にそんな手術を施そうと考えるには、よっぽどの対価が必要になる。しかも、結合手術ができるほど腕のいい医師と取引するなら、ネクター臓器なんて言う医療従事者にとって垂涎の研究材料ぐらいは必要でしょうからね」
「その通りだ。だが、ネクター臓器自体が存在をまともに認められていない中で、ご当主の人脈でもその摘出が行える腕の医師はいなかった」
「だから、ネクター臓器摘出を条件に、ラングス姉妹を攫わせることを認めたんだな」
「――お前達とお嬢様の取引日時が分からない以上、その女を頼るしかなかった。ネクター臓器などいくらでもくれてやる。だが、お二人が元の身体に戻ることだけは許せない……そうご当主は決断されたのだ」
顔を真っ赤にして、ボステは泣いていた。銃を持つ手がぶるぶると震えている。
「どうして、そんな取引をしてまで彼女達の願いを潰そうとしたんですか?世間体ですか?」
「そんなものの為ではないっ!!」
ボステが一括した。涙を滴らせ、苦しみに満ちた表情には鬼気迫るものがあった。
「お二人を、どうしても元の身体に戻すわけにはいかないのだ!!」
執事は何度も頭を振る。
「わかっていたのだ、お嬢様たちの願う事を。主の望みを叶えるのが従者の勤め、それをわかっていて尚、私にはどうしても、その願いを叶えて差し上げることができないのだ……」
銃を取り落し、ボステが床に膝をついた。怒りは既に悲しみに塗り替わっており、過ぎたことを後悔する痛切な姿だけがそこに残っていた。
「……そもそも、幼き頃にお二人を別った手術を行った原因は、六大貴族の一角から目をつけられていたからなのだ。異形を愛し、畸形を求めるハイールライン家の貴族が、屋敷から出してもいなかったのに愛らしいお嬢様の噂を聞きつけて、どうしても娶りたいとせがんできた。お二人はまだ七つになるかどうか。ハイールライン家は屋敷を動物園のように改修し、見目の良い異形を側室や妾にして囲っていることで有名だった。六大貴族を前に表だって拒否をすることができなかったご当主は苦悩の末、ネクターの臓器を買い付けてお二人を分離する手術を行ったんだ。そしてうちにいるのはただの双子だと、大々的に社交界にお披露目した。真実を噂の膜で覆ったまま葬るために」
「なんでネクター臓器の必要があんだよ」
あくまで冷たい態度を崩さないブラッドをハーツが諌めた。
「ネクター臓器の利点として、拒絶反応と順応期間が無いことが挙げられる。ふたりをすぐ人前に出したかったから、ネクター臓器を選んだんだと思う。人工臓器補綴剤もいらないから、元々はシャム双生児だったんじゃないかと疑われる心配も減らせるしね」
「もし今お二人が元の身体に戻られたら流石に人目につく。年齢的にも次こそ婚姻を拒否できなくなるだろう。当主は絶対に、娘達が愛玩動物のように愛でられることだけはあってはならないと、そうお考えになられているのです」
執事は二人に向かって首を垂れる。
「お嬢様はこの事を知りません……私の一計でこの結末となったことをお嬢様にお伝えいただくことは構いません。しかしながら、ご当主の想いと裏に潜む醜悪な欲望の影の存在だけはお知らせにならぬよう。何卒ご理解のほどを……」
何卒お願いしますと繰り返すボステの肩に、優しくハーツが触れた。
「失礼いたしました。ラングス家の覚悟を知らず、酷いことを言ってしまった――だけど、僕は今回の僕達の行いに関して、貴方方に謝ろうという気はありません」
ブラッドが、意外だと言うように肩を揺らした。
「貴方方が動物のように扱わせまいとラングス姉妹を守るために、動物のように扱われた命がありました。両の肺を奪われ、自らの力で呼吸することもできずに、その人間は今も人工臓器を繋いで生きているんです。貴方方がしたことも同時に正当化されることではないと、理解してください」
顔をあげたボステの瞳から、涙が零れた。因果応報。余りにも残酷なその現実が、彼等に恨むことも許されないと突き付けられる。
「ラングス姉妹の姿を、少しだけ見させてくれませんか?話せなくてもいいですから」
頼りない足取りで、ボステは主の休む部屋へと案内した。扉をそっと開け、僅かな隙間から中を覗く。大きなベッドの角が見える。視線を手繰ると、そこには沢山のチューブに繋がれ目を閉じたた少女と、その横で静かに眠るもう一人の少女の姿があった。眠る少女の瞼は真っ赤に腫れていた。だけどハーツには、泣いていたのがアルトなのかソプラノなのかはわからなかった。
「朝見つかった時にはもうこの状態でした。何時目を覚まされるかはわからないそうです――」
ハーツは静かに扉を閉じる。添えられた手は、白くなるほどに握りしめられていた。
「許せない……臓器を奪って飽き足りず、ラングズ姉妹をこんな形で離れ離れににするなんて」
ぎらぎらと金の瞳が光る。ハーツが滅多に見せない、怒りの気配がそこにはあった。
「この家のすぐ近くに、ラングス家の経営していた製薬会社のラボの跡地がありますよね?今は北区に新しいラボが建てられて、そこは今閉鎖されていると聞いています」
ボステは疲れ切った顔で微かに笑う。
「まさか……そこまで」
「入館許可を頂きたいんです。貴方方が何故手をこまねいているのか知りませんが、それなら僕が、怪盗五臓六腑を倒します」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます