唯一無二には程遠く 03

 そこは、救いの見本市のようだった。うす暗い部屋の中、綺麗に摘出された内臓が、まるで標本のようにガラスケースの中に浮かんでいる。ぼんやりと光るそれを眺めている内に、まるでグロテスクな水族館のようにリブは思えてくる。特殊な薬品で封入されているのか、それらは瑞々しくさっきまで動いていたかのように新鮮だ。壁に設えられた棚に、そのガラスケースがいくつも並んでいる。ガラスケースには空のものもあり、それらが蒐集途中の宝物のように扱われていることが、何となくリブには不快でしょうがなかった。

「いやあ、有能だよ君は!!もうすぐあいつは来るだろう。憎い憎いと、形の覚束ない正義を振りかざしてここに乗り込んでくるはずだ」

 クライアントの喜びように些か怖いものを感じつつ、リブは取り繕った営業用の笑顔を浮かべて相槌を打った。相手は執務用の大きな机の上で顎に手を当てて、机に並べられた詳細な報告資料を眺めている。

 リブが裏社会に流布されていたその依頼を聞いたのは三年程前だった。

 生きた完璧なネクターを一体用意してほしい。性別・年齢問わず。

 依頼は何重にも取次され巧妙に依頼主が分からないようになっており、早い者勝ちだと伝えられた。提示された金額はかなりのものだったが、あまりに胡散臭く、完遂義務が無いと言われても最初受ける気にはならなかった。周囲の商売人たちがUMAを探すのと同じ感覚で受注していると聞いて後から一応自分も受注はしたが、お前も受けてるか?という笑い話に使う程度にしかその事を考えることはなかった。

真剣に探しだしたのは一年程前からだ。いくつかの論文を読み、怪盗五臓六腑事件が発生した時に、ふとリブの中で確信がわいたのだ。ネクターは実在するのだと。軍用医薬品の取次という仕事柄、医学界にも通じるようになっていたので、全適応性組織細胞について調べていた医者と話をして、ネクターの生体組織がもつ特徴を想定し、何種類もの試薬を作成した。家族は何も言わなかった。リブは一族の中で稼ぎ頭のセクションの面倒を見ており、その売上高からすれば手遊びのような研究など気にされなかったからだ。

 作った試薬を使ってリブはネクターを探そうと画策した。血の一滴で検査は可能だったが、それをどこで集めるかが問題だ。リブは結局難病の早期発見薬の臨床試験に協力してくれないかという名目で、病院に手間賃付きでその薬をばら撒いた。だが流石に直ぐに陽性判定が出る人間など現れる訳も無い。範囲を広げ学校の健康診断にまで検査をねじ込んでも結果は同じだった。

 ハーツに検査薬を使ったのは本当に偶然だった。そういえばこいつは休学で健康診断を受けていなかったなと思い出し、ゴミ捨て場で怪我した時に拭ってやった血に、戯れに検査薬を使った。その結果がこれだった。リブはハーツを売り、オプションとして要望されるままにラングス姉妹の誘拐の手伝いも請け負った。理由は簡単だ。払われる報酬がリブの家での覇権争いを易々と勝ち取れるほどの金額だったからだ。今後数十年の面倒な一族間の権力闘争をこの金でスキップできるのなら効率的だ、とリブは自らの信念とする市場経済の元、今回の事を決断していた。

「喜んでいただけるなら光栄至極だ」

 相手は大きく頷き、膝の上に小切手の帳面を広げた。

「これで俺は救われる。ラクリマも本望だろう」

「ラクリマ?ハーツのことか?」

「そうだよ。ウチではとっくの昔に鬼籍に入ってることになってるけどな」

 さらさらとペンを走らせる骨ばった手が時折痙攣する。その度に蚯蚓がのたくる様に線が跳ねるのが几帳面なリブには気になってしょうがない。

「そういえば、ラングス姉妹の手術は成功したんだよな?」

 ひときわ大きい水槽に、肺が二つ浮かんでいた。これだけは他のガラスケースとは違い、沢山のガスや液体の管が水槽に繋がれている。大きなボンベやケグがその周りを取り囲み、物々しい雰囲気がその一角にだけ漂っていた。

 ゴーラの家でのお茶会の日に、ブラッドとラングス姉妹が木陰でやり取りしていた会話をリブは盗聴していた。明らかにクラスメイト全員が入れるはずのない会場設定に、何か起きる予感がしていたのだ。戦争商家であるリブの家で、諜報用の機材である盗聴器を融通することは容易い。それをお茶会当日の朝に服を選びに行った時に、ラングス姉妹とフレンテの服に仕込んだ。結果は予想通りで、リブはラングス姉妹が取引を行う日の情報を、更に売ったのだ。話の経緯を聞く限り、その情報を漏らすことにリブは問題を感じていなかった。むしろこのままで二人が結合手術を受けるくらいなら、取引がご破算になった方が余程いいだろうと考えていた。それも、自分の価値観基準で。

「あーちょっと難しかったかな。ほら、こんな手だから」

「……は?あんた何を言ってるんだ」

「こんななりだが、実は医者なんだよ」

 震える手で小切手を千切り取る。

「ちょっと片方を処置した時は引きつけが起きて手間取っちまったんだよな。アルト?ソプラノ?どっちかはわかんねえけど」

「……あんた――最低だな」

「ほらよ、報酬だ」

 リブの顎先に低い位置から紙切れが一枚差し延ばされる。リブが目を眇めた。手形の金額は、当初の金額の半額程度しかない。

「おいおい。勝手な値切りか?」

 相手がせせら笑う。

「そっちこそ最初に握った条件を忘れたのか?俺が探せと依頼してたのは“生きた完璧なネクター”だぜ」

「だから、ハーツは希少なネクターだろ。申し分ない」

「甘いなあーちゃんと確認しないと。リブくんは意外と紳士なんだな、強欲商人のくせに」

 机を滑るようにリブの前に数枚の紙が送られてくる。そこに目を落とし、リブは思わず口元に手を当てた。

 それはカルテだった。まだ幼いころのハーツの身体の写真が、重ねた手術毎に何枚も貼られている。ある程度の耐性はあるつもりだったが、それでもハーツの身体に狂ったように刻まれた、人間達のエゴの爪痕にリブは気圧されていた。

「わかるだろ?こいつは実際すっからかんなんだよ。中身の殆どが人工臓器だ」

 まるで人形のように無表情のまま、ハーツは身体を晒して写真を撮られている。リブはハーツが体育の授業を出ないのは、持病があるせいだと思っていた。それを正直にネクターを欲しがるクライアントに伝えるのはまずいと思い、敢えて深堀せずに見ないふりをしていたのだ。

「まさか……あんたが、ハーツを」

「プロならちゃんと商品の検品位しろよ」

 あまりの物言いに言葉も無い。黙り込むリブを無視して相手は頭を振る。

「――いやあ、あの時パーツ売りなんてするんじゃなかったぜ。また集め直さなきゃいけねえのがめんどくせえ。これがほんとの因果応報だな」

 話が終わったというように相手は肩を竦めた。交渉の余地はない。

「取引はこれにて終了よ」

 出入り口に控えていた白金の髪を長く伸ばした女が音を立てて扉を開ける。

「いい勉強になったでしょう?お坊ちゃん」

「…………」

 退出を促され、リブは屈辱に濡れた表情で部屋を出ていく。

「甘いなあ、もう少し喰らいつきゃいいのに。後五千位なら出そうと思ってたんだぜー」

 枯れ枝のごとき腕が、面白くなさそうにペンを机の上に放り投げた。

「なあネイル、お前もそう思うだろう?」

「そうね、わたしはこの子にならいくらでも出せるわ」

 ネイルの真っ赤に染まった唇が弧を描いた。幾重にもマスカラが重ねられた睫毛を伏せ、カルテに貼られたハーツの写真を撫でる。

「ブラッドが丹精込めて育てた可哀想な“幸福の王子様”。この子が消えたら、きっとブラッドも私の気持ちがわかるようになるわね――ふふふ――――」

 期待と興奮にかすかに頬を赤らめ、ネイルが自らの身体を抱き締める。

 肺の納められた水槽がごぽりと音を立てる。ゆらゆらと踊る水泡の向こう、恍惚の表情を浮かべる女を前に、金色の瞳が呆れるように細められた。

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