三十六計殺すにしかずと 08

「あれ、もう来てたのか?」

 その声に振り向くと、リブが花束と籠を持ってキッチンの入口に立っていた。ひょっこりとラングス姉妹が顔を覗かせる。

「ふらいんぐー」

「げっとだぜい」

「何言ってるのさ……」

 背の高いフレンテが一番後ろから抱えるように三人をキッチンに押して入る。皆お茶会とは思えないフランクな格好で、リブなどスニーカーを履いている。

「こいつら服が決まらねーってさ、朝から店開けさせて俺に選ぶの手伝わせたんだぜ」

「リブの色のセンスは本物だしー」

「成金だからカジュアルにも強いのー」

ラングス姉妹は白い丸襟にチェックのIラインワンピース姿で謎のポーズを決めた。

「あれ、他の子たちは?」

 よくよくゴーラから言い含まれていたのだろう、明らかに今日初めて袖を通したのがわかる襟なしのカットソーと9分丈のボトムを着こなしたフレンテが部屋を見渡す。

「私の家に、そんなに人が入るわけないでしょ」

 エプロン姿のゴーラが腰に手を当て、やれやれと言った調子で首を振る。

「今日は、この六人だけ」

 そう言ったゴーラがちらりとハーツに視線を送る。ハーツは思わせぶりなその視線を素知らぬふりで流し、ザイオスの前からごく自然に立ち上がった。


 雨の多い季節になった。そこかしこで紫陽花が花を咲かせ、週の半分はその葉を滴が濡らしている。

「紫陽花の花って生えている土の質によって色が変わるらしいね」

「正しく言うと、あの花弁に見えるものは萼ね。土壌の酸性の度合いで色素の変化が生まれて、赤から青まで色味のパターンができる。だけど最近は、黄色、なんていうのもできたのだけど」

「へえ、ここには無いね、珍しいの?」

 ハーツとゴーラは学園の中庭にいた。今もしとしとと雨が降り続けており、二人は庭の中央の東屋から、曇天と鮮やかな紫陽花の大輪の対比を眺めていた。

「黄色はね、土壌が化学兵器から漏れ出した成分で汚れていると咲くらしいわ。帰り道のそこかしこで咲いているでしょう?あれは、この世の終わりの予兆なのかもしれないわね」

 机に肘をつき、物憂げな顔をするゴーラはまるで哲学者のようだ。ベリーショートの髪とカフェオレ色のスレンダーな肢体は一見すると見目の良い男子生徒にも見える。お茶会でも自然と将来を見越して可愛げのある振る舞いをしがちな女子生徒に対して、ゴーラはピンと背筋を伸ばして、相手の顔をその猫のように丸く思慮深い瞳で覗き込み、政治でも経済の話題にでも自論を展開する。古い家の男子たちからするとゴーラのようなタイプは苦手らしいが、意外と華美を嫌うフレンテやフランクなリブとはウマが合っているようだ。

「で、なあにこんな所に呼び出して?告白なら考えなくも無いわよ」

 ついっと目線を動かしてゴーラが薄く笑った。薄曇りの中、陰ったその表情には妙に野性味がある。これで告白など本当にしようものなら、食い殺されてしまいそうだ。

「ゴーラに、頼みたいことがあるんだ」

 ハーツはテーブルに手をついて身を乗り出した。もう手の湿布は外れている。万全の体調となったタイミングに、今週末はゴーラの家でのお茶会が重なった。クラスで仲良くしている友人のお茶会でしかこんなことは頼めない。

「あぁ――このタイミングだと今週末のお茶会の事ね」

 察しの良いゴーラはすぐに気が付いたようだった。だがそれに続いた言葉は、ハーツにとって想定していないものだった。

「ちょうどよかった、私もハーツにお願いがあったのよ」


「で、これが交換条件だったわけな」

 ブラッドはチーズと蜂蜜の載せられたクラッカーをトニックウォーターで流し込みながら鼻を鳴らした。

「うん。僕がザイオスさんと会って話をする代わりに、お茶会に呼ぶ生徒を身近な人に絞ってもらったんだ」

「よく呑んでもらえたな。お茶会はあいつらの大事なツールだろ」

「ゴーラとしてはどうでもいいみたい。むしろ別に場所を借りて準備してって面倒だと思ってたみたいだよ」

 確かにゴーラは学校でよりも余程リラックスした様子でこのアットホームなお茶会を楽しんでいるようだった。テーブルに並べられた料理もすべてお手製で、家庭料理に近い。最初は戸惑っていたリブ達も、やがて肩の荷が下りたように口が滑らかになる。

「今週の歴史の授業のラスタのあの答え、どう思う?」

「あれはかなり偏った思考だと思ったな」

「先生も先生だよ、大正解!みたいな空気出してよ。正直白けてたぜ、皆」

 今日だけはと、ゴーラがお茶ではなく作り置きしていた杏のシロップをふるまう。炭酸で割られたシロップの淡い黄金色が、飽きるほど飲んでいるお茶と違って新鮮だった。

「おいしい!杏ってこうやって食べてもおいしいのね」

「うちの植物園でも植えようかしら」 

「ああ、よかったら実を持って帰る?ほら、まだそこに生っているの」

 リビングから出られる庭に、鈴なりにオレンジ色の実がなっている木が見えた。ラングス姉妹が頬を紅潮させて庭に出ていく。

「杏狩りじゃー!」

「甘々シロップの刑じゃー!」

 黒服たちも今日ばかりはと暖炉の前で談笑している。下手に外に出て近所から何をやっているのかと勘繰られる方が厄介だ。

「庭にいるアッシャーは私がバディを組んでいた軍用犬です。不審者も化学兵器も火薬の匂いも、アッシャーなら私達より早く気が付いて知らせてくれます。ご安心を」

 リリエルが誇らしげにそういって、ローストチキンを切り分けている。野菜を刻むときに見せた危なっかしさは何処へやら、肉へナイフを差し込む手つきはプロ級だ。

「ああ、でもあの子達手が届いてねえみたいだな」

 ふらりとブラッドが窓のサッシに手をかけた。

「手伝ってくるよ。俺が一番この中じゃカジュアルだ」

 そう言ってコートを羽織り外に出る。庭の隅に生えた杏の木の下で、ぴょんぴょんと跳ねる二人の少女に近づく。

「ほら」

 長身と長い腕を活かしてたわむほどに実のなった枝を背の高さまで引いてやる。

「イケメンだ!」

「ハーツくんのイケメン執事だ!」

 一人が実をむしり、一人がスカートをカゴにしてそれを受ける。一生懸命共同作業をする二人を見守っていたブラッドが、不意に口を開いた。

「なあ、あんたらのその身体に埋まっているものを、返してくれないか?」

 ぼとぼとと、スカートから杏の実が流れ落ちた。二人が全く同じ無表情で、ぴたりと止まりお互いを見つめ合っている。

「あーあーこんなにこぼして」

 ブラッドがわざとらしく膝を折り、杏の実を拾い、そのまま言葉を続ける。

「気付いてたよ、ハーちゃんは。あんたら体育の授業では結構油断してたみたいだな。後、ラングス家でのお茶会の後にあった時。袖口から、見えてたって」

 ここと、ここ。屈んだままブラッドの黒い手袋が嵌められた手が、自分の左右の脇の下を指差す。

「お前らに一つずつある皮膚の移植痕。それはハーちゃんの背中に羽根みたいに広がる白い人工皮膚の形とよく似てる」

 杏をすべて拾い上げるとブラッドが立ち上がる。何も言わずに陶器のようにつるりとした無表情を向けてくる二人に、両腕に掲げた杏の小山を差し出す。

「数か月間観察していたんだと。だが一度も人工臓器補綴剤をお前達は飲まなかった。それで、確信したそうだ」

 杏の上に、透明なセロファンの小さな包みが乗っていた。その中にある物を見て、二人の瞳孔がきゅっと引き絞られる。知らず、二人は白い手を絡めあっていた。

「ハーツからだ」

 それはジンジャーブレットマンクッキーだった。焼く時に失敗して、二つのジンジャーブレットマンの胴体の生地がくっついてしまっている。

 おもむろに、ラングス姉妹が口を開いた。目は見開かれたまま、呆然とした表情で。

「――私達は、離れたい訳じゃなかったのよ」

「ああ、そんなこと知ってるよ」

 ブラッドは両の手の人差し指をそっと双子の眉間に添えた。

「お前達は子供だ。移植を受けた時も、自分で物事を決められる歳じゃなかっただろう――お前らの髪も、お前らの別たれた身体も、その綺麗な傷痕も、全部お前達が望んだもんじゃないんだろう」

 まるで銃でポイントするように、指が少女達の額を小突く。

「だけどな、それを、ハーツにだけは言うな」

 逆光の中、ブラッドの目から零れる赤く、強い光。

「あいつにだけは、言うな」

 その言葉に、二人の少女は乾き切って歪んだ笑みを返す。

「あなたは怖いわ」

「あなたは可笑しいわ」

 そしてそれぞれが手を伸ばし、ブラッドの人差し指を掴んで交互に額に打ち付ける。

「顔がこわいわ」

「頭がおかしいわ」

 瞳孔が収縮し、葡萄色の戦慄く瞳を見開いて。狂人の相で彼女達は言葉を紡ぐ。

「そんなにほしいなら、殺して、取り返せばいい」

「とりかえしたいなら、生きたまま、取り出してもいい」

「だって」「だって」

「私達は別たれたあのときから」

「もう」「ずっと」

 彼女達の表情が崩れた、狂人の仮面の下から覗くのは、ただの歳相応の少女の悲嘆にくれた顔だ。あっけなく指を握る手は離され、昔からそうであったかのように片割れへと伸ばされる。お互いを抱き締めて、触れ合って、それでもあの頃に足りないのだと静かに絶望する。そう、切り離されたあの時から、ずっと。

「亡くして、いるのだから」

「無くして、しまったのだから」

 ブラッドが双子の手に杏を分け与えながら、淡々と言葉を紡ぐ。

「お前達には、選択肢がある。ハーツの生体肺を除去し、人工肺に繋ぎ換えるか――それとも――」

「「そんなの決まってるわ」」

 二人は涙をこらえて真っ赤になった目を向けて、まるで助けを請うように引き攣った笑顔を浮かべた。

「「わたしを、かえして」」

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