三十六計殺すにしかずと 07

 生憎の曇り空の下、訪れたのは首都の南部にある住宅街だった。

庭付きの一戸建てが並ぶそのエリアは決して上流階級の人間の住む場所ではない。赤茶色の屋根にクリーム色の塗り壁の家の前でハーツとブラッドは立ち止まる。

「あ、ここだ」

 表札のセプテングルの文字を確認してから、ハーツが家を囲む木の戸に手をかけた。青々とした芝の上で、大きなアフガンハウンドが弓のようにしなる躰をリラックスさせて伏せっている。大きな青い瞳がちらりとブラッドとハーツを窺い、すぐに興味を失ったように閉じられた。

「変わった犬だねーはじめてみた!」

「ありゃ払い下げられた軍用犬だな。珍しい」

 家の戸の前でチャイムを鳴らすと、足音が聞こえ直ぐに扉が開かれた。

「いらっしゃい。まだみんな来てないわよ」

 エプロンとミトンをつけたままのゴーラが二人を迎え入れる。ポロシャツにプリーツスカートというカジュアルな彼女の格好に対して、ハーツもカーディガンにデニムという普段着だ。

「お招きいただきありがとうございます」

 ブラッドが手に持っていたバスケットを差し出した。名目上ボディガードとなっているので、彼は黒服に軍用コートを羽織ったいつもの格好だった。

「初めて作ったからちょっと焦げたり、くっついたりしちゃったんだけど」

 ハーツが恥ずかしそうにバスケットの蓋を開けると、香ばしく甘い匂いがふんわりと漂った。中にはジンジャーブレットマンやアイスボックスクッキーが山盛りになっている。

「かわいいじゃない。上手にできてるわ!こっちは食事になるように、ローストチキンとコートを着たニシンのサラダ。あとガレットを焼こうと思ってるの」

 案内されたキッチンには、色々な作りかけの料理が広げられていた。

「手伝うよ」

「いえ、結構です」

 腕をまくったハーツを、黒服にエプロンをつけた女が制止した。過剰にフリルで装飾された古臭いエプロンと、タイトなダークスーツが異様に似合っていない。コンパクトに編み込まれた栗色の髪に、薔薇色の頬。ブラッドが何度かお茶会で言葉を交わしていたボディガードだった。

「私とゴーラ様で十分対応できるタスクの量です」

「あ、そうですか……」

「リリエル、言い方」

「申し訳ございません。ゴーラ様」

 ゴーラの言葉に慌ててリリエルが謝る。しゅんと肩を落とす姿が犬のようだ。

「ボディガードが料理までねえ……」

 ブラッドは呆れ顔だが、リリエルは大真面目にゴーラの手元を真似て野菜を剥いている。

「黙れ、私はこのセプテングル家に仕えられる事が幸せなのだ。戦いも料理も、犬の散歩から殺しまで、必要とあらば行おう。当主様には、一生返し切れぬ恩があるのだ」

 並々ならぬ決意とは裏腹に、皮を剥かれた人参はどんどん小さくなっていく。ゴーラはリリエルのその姿に溜息をつきながらも優しげな表情だ。

「あ、そっちのリビングにお父さんがいるから」

 ゴーラが顎で指した先にはキッチンと繋がった広いリビングがあり、ソファに壮年の

 男性が座っていた。歳は六十程だろうか。真っ白な髪は清潔感をもって短く整えられており、深い皺が刻まれたその顔は穏やかで、知性の光が宿った瞳はゴーラとよく似ていた。縁なしの上品な眼鏡をかけており、傍には杖が立てかけられている。

「はじめまして。ハーツ・ウェンドウィルソンと申します」

「これは……まさか……」

 お辞儀するハーツの顔を、ゴーラの父は穴が開くほど凝視していた。そして、我に返ったように座ったまま軽く会釈する。

「こちらこそはじめまして。私がザイオス・セプテングルです。楽しいお茶会の前に、時間を貰ってしまってすまないね」

 促されるままにハーツはザイオスの向かいのソファに座る。ブラッドはハーツの背後の壁に背を預け、静かに目を閉じた。

「僕にお話があるとのことで、一体どういうご要件なのでしょうか?」

 ハーツがザイオスを見つめる。だがどうしたことだろう、ザイオスはハーツの顔をまじまじと見ているだけで、なかなか話を切り出さない。

「ザイオスさん?」

「ああ、申し訳ない。ゴーラから聞いてはいたんだが、半信半疑だったんだ……まさか、本当に烏の濡れ羽色の髪に、金の瞳だとは……」

 眉間を抑え、動揺を振り払うように首を揺らすザイオスにハーツは怪訝な目を向けた。

「僕の容姿が何か?」

「――君は、確か特待生としてリリオ・デルに入学しているそうだね。ご家族は?」

「俺が、保護者だ」

 ぶっきら棒にブラッドが口を差し挟んだ。腕を組んでいるがその下に隠した手で、脇の下のホルスターに納まる銃のグリップに指を引っ掛けようとしているのがハーツにはわかった。ブラッドの悪癖だ。生存本能のままに最悪を想像し、常に先手を打とうとする。

「ブラッド、リリエルさんが睨んでるよ」

 視線を横に流すと、キッチンでナイフを投擲の構えにしたリリエルの腕をゴーラが引いてやめさせようとしている。だがその腕は石像のように微動だにしない。

「「やめなさい!」」

 ハーツとゴーラが同時に怒鳴った。ブラッドが先に肩を竦めて空の両手を上げ、リリエルがナイフを野菜に突き立てる。ザイオスがゆっくりと口を開いた。

「――私が議員をしているのは知っているかい?」

「はい。戦争で疲弊した国民の生活を立て直すために、一般市民の強い支持のもと旧体制と戦われているとお伺いしています。僕もザイオスさんの率いている党の考え方が、今後の国の発展に不可欠だと思っています」

 ハーツは緊張しながらも、自分の意見を真っ直ぐに述べた。ザイオスは月のように丸く淡い光を湛えるその瞳を見返し、そして俯く。

「はは……君にそう言われるとはなんたる皮肉だろう。貴族の抱える莫大な資産を剥ぎ取り、医療や学習の資金源にして民衆を守り育てていき、その意見を政治に反映させるべきだ――そう私が語った時、貴方に良く似た人は全く興味の無い顔をしていたものだよ」

「え……?」

 ザイオスが膝を撫でると軋んだ音が鳴った。そこには、生身の脚は存在していない。

「私はね、大戦中は国を惑わせる危険思想の持ち主として公安に捕まり収監されていたんだ。そこはペルデレ地区の特殊刑務所で、一見すると病院のようにも見える場所だったよ――ああ、この脚は違うんだ。生まれつきでね。だがそのおかげで軟禁に近い扱いで済んだのかもしれないね――そしてそこで、私は君と同じ瞳と髪を持つ人と出会った」

 ハーツは驚きに目を見開いた。震える唇から、声が漏れ出る。

「そっ、それは誰なんですか!?僕は、家族の記憶が殆どないんです」

 物心付いた時には病院で臓器を摘出され、隔離された場所で過ごす日々が始まっていた。家族との日々は遠く霞んで手に取ろうとしても霧散し、唯一与えられた幸福の王子の物語ばかりがことあるごとに記憶の中で反芻され邪魔をする。

「……君はこの国の大貴族が戦前七つだったのを知っているかい?」

「話を逸らさないでください!」

「ハーちゃん、落ち着け」

「第十次世界大戦中、その一つが凋落し、戦後六大貴族に減った。大貴族は一般市民の口の端に上らない。彼等は他の貴族と違い下々の人間と関わることなく国を牛耳っているから、一定の上流階級以上ではないとその存在を知ることすらできないからだ。結果、その事件は大きな衝撃ではあったが、話題にはならなかった。ひっそりと欠番となった元七大貴族の一角の家名はスパイナル。烏の濡れ羽色の髪に金の目をもつ、この国を最も愛した貴族だった」

 その言葉の衝撃に、部屋の空気が凍った。落ち着けとハーツを窘めたブラッドも、普段は眠たげな眼を最大限に見開いて、ザイオスの大真面目な顔を見つめている。

「は……?ハーちゃんが貴族?しかも六大貴族に匹敵する家の?そんな馬鹿な話があるかよ。だって、ハーちゃんは……」

「正確な所はわかりません。ただ、特殊刑務所に収監されていた女当主と目の前のこの子の黒髪と金眼はまさしく遺伝子操作の発現による特徴だ。親戚や、隠し子かもしれない」

「あの、どうしてその女の人は、捕まっていたんですか?国を愛していたのに捕まるような悪いことをしたってことなんですよね?」

 ハーツの顔は漂白されたように血の気が無い。唐突に差し出された自分の家族の話にどう向き合っていいのかわからないのだ。

「――本人曰く、それは国の為だったと。長期化した世界大戦によって底をつきかけていた国庫を賄うために、スパイナル家はありとあらゆるものを金に換え国に献上した。戦後の権力闘争を見据えて立ち回り結託し暗躍していた他の大貴族を蔑み、ただ国の為にと、スパイナル家は尽くしたそうだ。だが、それでも戦争は終わらない。金は湯水のように流れ出ていく。そして――資産が枯渇したスパイナル家はついに“売ってはいけないもの”を金に換えてしまったらしい――」

 ハーツが口元を抑えた。悲鳴が出そうだったらから。

「それがなんなのかは彼女も決して教えてくれなかったし、調べてもわからなかった。だが、スパイナル家のその行為は大貴族の高貴さは義務を強制する(ノブレス・オブリージュ)には到底受け入れられないものだったのだろう。その結果が、ひっそりと六大貴族となったこの現状だ。皮肉だろう、国を憂い国に最も尽くした者が、大家から追放されるなど。立場は真逆だが、私と彼女は国を想うという点では一致していた。だからこそ、解放された後もずっとしこりのように、彼女の面差しを思い出してしまうんだ……」

「……その方は、今も生きてらっしゃるのですか?」

「いや、彼女は獄中死したよ。逮捕され地位も名誉も失い、燃え尽きるように弱っていっていたらしい。何故だろう、何もできなかった刑務所では、彼女と話すのが唯一の気晴らしでね。最期も私が看取ったんだ。彼女は病院のベットで眠るように静かに息を引き取った」

「――そうですか」

 ハーツはからからに乾いた喉でそう呟いた。何の感慨も湧かなかった。まるで近代史の勉強をしているような、他人事にしか思えない言葉の羅列。

「どうして、僕にそのお話を?」

「ゴーラからクラスメイトの話を聞いている時に、君の存在を知った。どうしても一度会いたいと思ってね。お茶会たるシステムがある事を聞いて、娘に話ができるように調整してほしいと頼んだんだ……多分言うべきは君ではないのだと思うが――彼女から伝言がある」

 ザイオスは深い皺に埋まった瞼を閉じ、それから躊躇うように開く。

「……すまない。何も知らない君に言っても仕様がないとわかっているんだ。だが、私もそう若くない、弱腰になってしまっていてね。彼女からのメッセージを抱えたまま生き続けることに疲れてしまったんだ。少なくとも血筋であるだろう君に伝えれば、いつかどこかで相手に届くかもしれない」

 良い迷惑だ、今にもそう言って噛みつきそうなブラッドをハーツは目で制する。

「わかりました。聞かせてください」

「君は、優しい子だね」

 ザイオスはハーツの手を取って感謝を伝えた。

「伝言はたった一言。今わの際に、こうして私の手を握って彼女は言った」

ザイオスは微笑んだ。

「もう、やめなさい。と」

 何故だろう。そう囁いた後の目の前の身体は、堅い頸木から解放されたかのように、一回り小さくなって見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る