三十六計殺すにしかずと 04
「フレンテ坊ちゃん、今です!!」
フレンテはトバリの声にはっと顔をあげた。轟音と閃光、何が起こったのかまだ理解できない。
早く状況を確認しないと。出口に手をかけた時に、目の前に細い足が二本生えていることに気が付いた。この場所にふさわしくない、黒い艶のあるローファー。
「ねえ、やっぱり二対一は卑怯じゃない?」
トーチカから出ようとしていたフレンテは相手を見上げて驚愕の表情を浮かべる。そうだ、自分の陣地の真上に来賓席はあった。だが、どうやって。
「い、いつの間に……」
返事もしないまま、ハーツはフレンテを地下に埋まった小さなトーチカから引き摺り出す。片手で胸倉を引っ掴み、自分よりも大きい相手を、全く腕にかかる負荷を感じさせない無表情でもってハーツは持ち上げた。フレンテは目線を上げる。粉々に砕けたガラスの向こう、来賓用の豪華な椅子に爆弾と解けたロープが引っ掛けられている。
「はい、余所見しないで」
頬が熱い。ゴーグルとヘッドフォンが転がる。フレンテは呆然とした顔でハーツを見上げた。いつも穏やかで虫も殺さなさそうなクラスメイトが、まったくの予備動作なしに自分を今殴りつけたことが信じられなかった。そのまま二撃、三撃と鼻筋や顎にパンチが続く。視界が真っ白になるような衝撃と、その後から来る痛み。呻いているうちに身に着けていた武器が悉く外され捨てられていく。
「トバリさん、これで試合終了です」
そのままフレンテにくるりと背中を向かせ首をホールドすると、その身体を盾にハーツはトーチカを隠していた木箱の山から進み出た。
「な、なんと……」
フレンテの腫れあがった顔と、額から滴る血を気付き、すぐにトバリが物陰から現れる。
「ブラッドに手出ししたら、首の骨を外します」
トバリはすぐに武器を地面にすべて置いた。よくわかっている、これは戦争ではない。すでに戦意を喪失したフレンテを突き飛ばして転がし、ハーツは土嚢に寄りかかるブラッドへと駆け寄った。
「大丈夫、ブラッド!!」
さっきまでの無表情はすでに消え、ハーツは切羽詰まった表情でブラッドの身体を介抱し応急処置をしようとする。その腕を、ブラッドの黒いグローブが掴んで止めた。
「んだよ、ハーちゃんの方が酷い怪我じゃねえか。そんな手で殴ったら、殴った方が痛いだろうに」
「僕の事なんてどうでもいい、ブラッドの身体を診せて!!」
ハーツの片手には拘束のための手錠がぶら下がったままだった。そして反対の手は、手首がぶらりと曲がって青紫色に変色している。
「関節を外して抜いたのか……」
フレンテはぞっとした表情で自分を殴りつけたその手を見た。元々大人用の手錠だったから、確かに無理矢理関節を外せば抜くことができたかもしれない。だが、彼にそんな技能と度胸があるとはフレンテもトバリも予想だにしていなかったのだ。
ブラッドがハーツに分厚いコートの端を噛ませる。
「舌噛むなよ」
そのままグローブをつけた両手でハーツの手を握りこむと、ごきり、と音を立てて関節を嵌め込んだ。ハーツは瞬間激痛に耐える顔をしたが、直ぐにコートを口から吐き出して、荒い息を吐く。左手はもう正常な形をしていたが、微かに痙攣し、青黒い色はそのままだ。
フレンテはその光景を見ているだけで鳥肌が立っていた。そもそも彼は、そんな技術など持っていない。捕虜になったら大人しくしていろ。もしくは捕まる前に自決しろ。それが父や祖父の教えだった。自らが捕まることを前提に、その身を痛めても逃げ延びる方法も心構えも持たされていなかったのだ。
よろけながらブラッドが土嚢に手をついて立ち上がる。思わぬ結末に驚きから脱しきれていない二人に向かってブラッドが嫌らしく笑った。
「お前らは自分達で作ったルールに酔いしれてたんだ。二対一、人質で緊張状態を作り出し、自分達の作った庭で有利に大戦の亡霊と戦う。だけど、その枠に囚われて俺までそうふるまう必要はない。だから、壊させてもらった――――スタングレネードをまともに喰らうのは流石にきつかったけどな」
「閃光と轟音に紛れて、来賓席のガラス窓を撃ち壊したのか……!!」
「ただのガラスでよかったぜ。防弾ガラスだったら詰んでたよ」
ブラッドがフレンテの演説の途中に見たのは、拘束を解いて自由になり、自分の眼下にいるフレンテを指し示すハーツの姿だった。自分ならブラッドがまだ見つけられていないフレンテを仕留められる、そのサインを信じてブラッドは賭けに出たのだ。自分の力ではなく、ハーツの力でこの状況を打開することを。
「よくやったな、ハーちゃん」
ハーツの頭をぽんぽんと叩く。ハーツは金色の目を真ん丸に見開いてブラッドの顔を見上げた。ブラッドが戦闘においてハーツを褒めたことなど数える程しかない。日常では目玉焼き一つ作っただけで散々褒めてくれるのに、戦闘訓練ではああ死んだ、そら死んだとハーツを小突き回して虐め抜いてくる。
その位彼にとって、戦いに求める水準は何もかもが厳しいのだ。特にハーツが銃を使いたくないと言ってからは、生き延びるためにと尚更きつく戦い方を教え込まされていた。
「まあ、俺の教育の賜物なんだけどな」
「え、あ……うん、そだね」
全身で嬉しいを表現しかけていたハーツはその言葉にぐっと空気を呑み込む。ブラッドは垂れた目で何とも言えないその子供の姿を見て取ると、がしがしとその艶やかな黒髪を掻き混ぜた。
「馬鹿だなーハーちゃんは!全部そうやって引っ込めて。そんなんじゃ気付いたら爺さんになってるぞ」
「え?えぇ??」
「気に食わないなら殴ればいい、呑み込めなければ怒鳴ればいい、涙の前に怒りを撒き散らしたって、まだ誰も引いたりしねえよ。ガキの内の今だけの特権さ――頼むから、駄目な大人の前で物わかりのいい子供の振りなんてしないでくれよ。形無しになる」
数秒の後、それがこの前の口論の事だとハーツは気付く。そしてこれがとんでもない遠回しな仲直りの言葉なのだという事にも。
「――うん、わかった。でも、ブラッドも無理して物わかりのいい大人の振りなんてしなくていいんだからね」
「ハハ……ありがとよ」
ハーツの肩を叩くと、ブラッドはフレンテ達に向き直った。顔にハンカチを押し当てたフレンテがすっかり落ち込んだ様子で視線を下に落としている。
「どうだ、立派な軍人にはなれそうか?」
「……自分がどれだけ浅慮だったかは理解できた」
トバリがフレンテを背中に隠すように大きな体で前に出た。
「あまり坊ちゃんを責めないで欲しい――――坊ちゃんはサヴマ家の跡取りとした厳しい軍事教育を受けている。その中で幾度も戦場帰りの親族からプレッシャーをかけられて、強迫観念に近い思いを抱かれるようになってしまっていたんだ」
「戦場に出ないとわからないことがある……いたく御最もだが、傲慢な言葉だな」
「その言葉がどれだけ坊ちゃんを追い詰めているのかを、ご当主たちは理解していなかった。そしてそれを聞いていた私も……坊ちゃんがお茶会でウェンドウィルソン、お前を誘い出して戦うと言い出した時には、もうそれを止めるられる状態ではなかったんだ」
ブラッドは、はっとした顔でトバリに詰め寄った。
「そういえば、さっきメモにハーツの事を幸福な王子と――あれをどこで聞きつけた!?」
「――?お前がラングス家のお茶会で自分の主人をそう呼んでいただろう?――他の人間が見てもわからないようにしただけだ」
「は……?」
ブラッドは思わず脱力しそうになる。こいつらは、ハーツがネクターだと知らない。爆弾の事からも疑ってはいたが、やはりハーツの身体を狙った誘拐などではなかったのだ。
「それに、あの女もそう呼んでいた――」
不意に出たその単語に、ブラッドが眉を顰める。
「なんのことだ?」
「やっぱり……」
はっとした顔でハーツが顎に手を当てる。紫色の手が痛々しい。
「貴方の情報は、とある女から得たものだったんです」
「不思議だったんだ。ブラッドはディスコリア帰りだってことを絶対に人には言わない。知ってるのは僕と、イア先生ぐらいだ。だからどこでそれを聞いたんだろうって」
「ラングス家のお茶会の直後から、坊ちゃん当てに手紙が届き始めたんだ。中には柄の悪いことで有名な下町のバーの名刺と、店の電話番号が記載されていた」
電話は高級品だ。個人では金持ちしか持っていない。だからもし直接顔を合わせずに話をしたかったら、共有で使用できる仕事の斡旋場や賭場、酒場など碌でもない場所に紛れ込んで電話が相手からかかってくるのを待つ必要がある。
「悪戯だと坊ちゃんに見せずに捨てていたが、気味が悪いほどに毎日必ず届いてな」
「僕がある日、その手紙を偶々見つけてしまったんだ」
フレンテがポケットから取り出した名刺に書かれた店の名前を見て、ブラッドが目を眇める。
「ふん……“赤い猫”ね」
「知っているのか?」
「場所はな。入る気が起きねえ店の名だ」
「その店の名前を見てピンと来たんだ。僕の家はどうしても軍関係の話題が耳に入りやすい。戦時下に忌み語のように何度もその単語を家の中で聞いていたのを思い出した。その頃は子供だったから、それが何のことかわかってなかったけど。それで気付いたら居ても立ってもいられなくて、僕はこっそりとその店に電話した」
「そこで俺の事を聞いた、と」
「ああ、お前の近くに右目を失明した、ディスコリア返りの珍しい元兵士がいると。意図はわからない。何のつもりだと聞いても知っていたから教えたと煙に巻かれただけだった」
「電話の主の思惑はさておき、坊ちゃんはその情報を聞いて、どうしてもその男と戦いたいと暴走してしまったんだ」
トバリは地面に膝をつき、深く頭を下げた。
「本当に申し訳ないことをした。私がついていながら、坊ちゃんを――」
「そういうのはもういいから」
ブラッドの分厚いブーツがトバリの後頭部を躊躇なく踏み躙る。
「――その女には会ってないんだな?」
「会っていない!電話で声を聞いただけだ!」
「その女は、俺のことを、右目を失明した兵士と言ったんだな」
「そ、そうだ――確かにそう言っていた!!」
音を立てて舌打ちをしてブラッドは足を上げ――そのままトバリのこめかみを蹴り飛ばした。それから唖然とするフレンテの肩を、黒いグローブに包まれた大きな手で叩く。まるで親友にするような気安さで。
「じゃあ、明日からも何事も無くハーちゃんのことをよろしく頼むぜ」
踵を返して闘技場からブラッドが退場する。その後をハーツもついていこうとして、それからフレンテに変色した手を振った。
「今日はお招きありがとう。お邪魔しました!」
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