三十六計殺すにしかずと 02

 黒を纏え。フレンテのお茶会は珍しくドレスコードに色が指定されていた。

「よ、よかった……一張羅が黒で……」

 ハーツが黒いジャケットの襟を正しながらしみじみと呟く。隣にいたリブが黒いグローブに包まれた手でコーヒーカップを摘まむ。彼は意趣返しのつもりなのかジャケットどころかシャツやタイまで黒一色で、遺伝子操作による斑の水色髪が映え過ぎて怖いくらいだった。

「こんな葬式みたいなお茶会して、何が楽しいのかね」

 周囲の女性達もみんな黒いドレスに身を包んでいる。色が醸し出す雰囲気は馬鹿にならないもので、黒く沈む会場は今までと違い妙に静かだ。いくつも用意されたソファにそれぞれが腰掛け、少人数でひそひそと囁き合っている姿が目立つ。竹を割ったようなフレンテの性格や振る舞いと、この密やかなお茶会の空気は少し乖離していてハーツには不思議だった。

「ねえ、そこの席で遊びましょうよ」

 ゴーラとラングス姉妹が離れた席から手招きしてくる。蔦の刺繍が施された応接ソファには、珍しくイザームの姿もあった。

「めっずらし、どうしたんだ?」

「これよー」

「いざ尋常に、」

 ラングス姉妹が両手に持っていた物を机に叩きつける。

「「勝負!!」」

 そこには、黒と白の石版を市松模様に敷き詰めた六十四マスの盤面。ラングス姉妹が珍しく対面に座してチェスの駒を打ち合っている。よく見ると周囲のテーブルにもそれぞれチェス盤があり、大声で話すことを躊躇っていた来賓たちはみな盤面に集中することにしたようだった。あちこちで駒が盤を叩く心地よい音が響きはじめる。

「くうっ……このハイパーふつくしい陣が攻略されるなんて……」

「陣を組む前に駒を剥ぐ。裸の王様はロバの耳戦法よ!」

「な、何を言っているのか全然理解できない……」

 明暗分かれた表情のラングス姉妹を前に、やはりハーツには二人のどっちが勝ったのかわからない。そんな二人を余所に、イザームが淡々と駒を並べ直す。

「次……ボク」

「わたしが相手するわ」

 どうやら六大貴族様はチェスがお好きらしい。普段のポリシーを曲げてまで仲間の輪に混ざったのも、ひとえに対戦がしたかったからのようだ。

 イザームは酷い猫背のまま長い前髪をカーテンのように垂らして、盤面をじっと見おろし駒を動かしている。シンプルな黒い膝丈のドレスの裾を押し上げてすらりとした脚を組み、対するゴーラも口数少なく駒を打っていく。ラングス姉妹のタップダンスを踊るような駒の乱舞とは違い、二人は何十手もの先を意識していると駒の動きだけでわかる。

 静かなる接戦の後、自らのキングを倒したのはゴーラだった。

「同年代の子に負けるのは初めて」

 些か不服そうにカップケーキを齧るゴーラ。いつも落ち着いた態度を取りがちな彼女だが、意外と負けず嫌いらしい。悔しさの滲み出るその表情は年相応だ。

「――――八手前のビショップの動きは読めなかった」

「あっら珍しい、貴族様に褒められるなんて」

「も、もう一戦……したい」

 長い前髪の下から少し除く頬が紅い。病弱なこの少年は、今まで本の中の名人たちとしか勝負をしてこなかったのだろう。生身の人間と相対することで興奮し、さらなる試合を渇望している。ゴーラがべろりと唇の端に着いたクリームを舐めて野性的な笑みを浮かべた。

「次は、徹底的に叩くから」

 相対する二人の戦いは周囲のお遊びとは一線を画す。すぐにお茶会の客人たちはティーカップやクッキーを手に二人が打ち合うテーブルに集まってきた。

 そんな中、ハーツはぽつりとその輪から外れていた。みんなが思慮深く盤面を覗き込んでいる背中を、僅かに眉を下げて眺めている。

「どうした?」

 はっと振り向くと、お茶会のホストが背筋をピンと伸ばして立っていた。体格がいいので黒いスーツがとてもよく似合う。長身のフレンテはいつも首を窮屈そうに折ってハーツに目線を合わせてくれる。

「混ざらないのか?」

「あ、いや……」

 頬をかいて困ったように笑った後、「実はチェスを知らないんだ」とハーツは正直に打ち明けた。

「駒の名前も、ルールもわかんなくて。それなのに知った顔をして頷いているのも変でしょう?」

「そうかな、あの輪の中に試合運びを十分に追いかけられていない奴も多いとと思うけど」

「次回までに、勉強しておくよ」

「――よかったら、うちを案内しようか?」

「え?」

「ルールのわからないものを見る事程つまらないことはないだろう?俺も子供の頃知りもしないゴルフの試合に連れて行かれた時は立ったまま船を漕いだものさ。みんなゲームに熱中してる、少しくらい大丈夫だろう」

 フレンテが皆を置いて歩き出す。ハーツはちらりと応接間に続く隣の部屋に視線を送った。今日は部屋の大きさの関係で子供たちとボディガードが別室にされていた。本来であればありえないのだが、軍の大将が当主であるフレンテの家の警備は段違いに厳しく、鼠一匹侵入できないと名高い。

 たとえそうであってもボディガードは主人の側に付き添いたいだろうが、ゲストである子供たちがそれを良しとしない。お宅の警備が信用ならないと態度で示すことに他ならないからだ。結果として、隣室ではボディガード達がやきもきしつつ待機していた。

 ブラッドの姿はここから見えない。この前の喧嘩からまだわだかまりが残っているままで、ハーツはとてもブラッドに声をかける気になれなかった。結局、そのままフレンテの後についていく。

 案内された屋敷は重厚な空気を醸し出しつつも華美な装飾は少なく、照明一つとってしてもラングスやリブの家とは違っていた。カーテンや絨毯も布地の質はいいが地味な色味で無地が多く、壁に飾られているのも絵画ではなく地図や賞状ばかりだった。

「あまり面白味が無くてすまないな」

「そんなことないよ、だってこの地図、この国の標準的なものじゃないよね?逆さ地図なんて初めて見た」

「ああ、それは地政学的にこの世界を見やすくするために考案された地図さ、こう見るとどうして先の世界大戦でこの岬の占領にあの国がこだわったかわかるだろう?」

 フレンテが額に入れられた地図の海峡を指でなぞりながらする丁寧な説明に、ハーツは興味深く頷いて聞き入る。

「そっちの地図は?」

「世界の気候を十段階に分けて彩色したものだ。どの戦場にどの団を出兵させるか決める際に、気候条件は重要な要素だ。それを判断するためにつくられたものらしい」

「へぇ――目的をもって作られた地図がこんなにあるなんて……知らなかったよ」

「それはそうだ。軍事上重要なものもあるから、一般には出回らないものも多い」

「そんな貴重なものがこれだけあるなんて、流石軍人さんの家って感じだね」

 ハーツが称賛の眼差しを向けると、なぜかフレンテは視線を逸らした。

「――――俺は、軍人じゃない」

 その表情に傷付いた者特有の痛みを見取って、ハーツは慌てた。

「ご、ごめん。フレンテが軍人になりたくないなんて、思ってもみなくて」

 いつも父や祖父を尊敬しているとしきりに話す、フレンテの背筋の伸びたその姿は、誇らしげで堂々としていた。きっと彼自身も家族の歩んだ道を進んでいくのだろうと、ハーツは漠然と思い込んでいたのだ。

「いや、違うよハーツ。そうじゃないん」

 急にフレンテがハーツの両肩を掴んだ。屈んで見下ろしてくるその顔は真剣で、ハーツは思わず唾を飲む。

「軍人とは国の為に戦い、戦果をあげた者のことを言うんだ。戦場に進み出て敵の狙いを踏み砕き叩き潰し、お互いの流す血の量まで駆け引きに使い、極限状態で刃の上を渡るような判断を切り抜けて勝利を掴む」

 フレンテの話す表情には、実感がない。

「その時の張りつめた空気を、ひりつくような熱を知って初めて、本当の軍人になれるんだ――俺はそもそも、戦場に立てるかもわからない。戦争が次いつ起こるかもわからないし、来年には人工臓器移植までする――不適合品なのかもな、軍人として」

何度も聞かされ、諭されたことで植え付けられた、強迫観念にも似た想い。ハーツは金の眼にその表情を映しながら、微かに首を傾げた。

「そう、お父さんに言われたの?」

 ハーツの言葉は悪意無く過敏になっている鱗を撫でる。フレンテの眼が見開かれた。

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