第二章

三十六計殺すにしかずと 01

 どうしてもう十回も世界は焼けたっていうのに、のうのうと人間は生きながらえているのだろう。

 遥か高い樹上から真下にあるけもの道を見下ろしながら、ブラッドはそんなことを考える。鬱蒼とした密林に茂る葉はやたらと肉厚で、じっとり頬に張り付いてきてすこぶる不快だ。その葉の縁を這っていた親指程の太さのある毛虫と目が合って反射的に叩き落としたくなったが無心になって堪える。迷彩柄のヘルメットの縁に毛虫は移り、そいつはやがて視界から消えて行った。ブラッドの精神はまた無為の思索へと吸い込まれていく。

 待ち伏せが四十時間を超えてくると、作戦が終わった後食べたいものや抱きたい女のタイプことも考え飽きてきて、大体そんな壮大なテーゼへと思考の切り替わりが起こる。それをブラッドはこの戦争で初めて知った。

 泥の中からカバのように目だけを出しながら、神の存在をうろ覚えの聖書の中に見つけ出そうとしたり。敵兵の死体をデコイにして隠れている兵をおびき出すために、そのすぐ横の茂みで人の身体が腐っていく匂いを何日も嗅ぎながら、人が人を殺すという生物としての致命的な欠陥はどうして進化の過程で悪化しているのかを考えたりだとか。

 それは異常な状況に対する、精神的な自己防衛の一種だと上司には言われた。

「ブラッド、お前は戦争への耐性が強い。それは才能だ」

 そう褒められたときに、自分の居場所が其処にしかないのだと知らしめられた。郷里は貧しく、世界大戦がはじまると共に若い男は徴兵され、ブラッドも当然のごとくそのリストの中の一行に名が刻まれていた。碌な訓練も受けられないまま前線に繰り出され、生き延びればさらに酷い戦場へと配置を移される。二つ目の戦場でジャムった銃のマニュアルに無い処理方法を知り、三つ目の戦場で瀕死の仲間は殺してやるのが優しさだと教えられた。ブラッドがやっとライフルの撃ち方を覚えたのは五つ目の戦場でだった。

 そして今、最悪の戦場にブラッドはいた。密林が殆どを占める海を隔てた大陸への出兵。同盟国を支援という名目で敵軍が書き換えた国境線を押し戻せという命令は、その先にある港湾を占拠されれば海路を利用して我が国への攻撃が容易になるという地理的理由から出たものだという事は考えるまでも無い。

 四季があり乾燥していた自国の環境とは違い、湿度も気温も高く、ぬかるんだジャングルの中を行軍するだけでも兵達は疲弊した。そしてそんな自分達を嘲笑うかのように、敵軍はゲリラ戦を仕掛けてくる。敵の数がわからないから、味方ばかりが減っていくような気がする。精神的に追い込まれ、言動に異常をきたす兵も現れ始めた。

 そんな泥沼の様相を呈する戦場の中で、ブラッドはまだ生きていた。

 それを奇跡と呼ぶのか、地獄と呼ぶのか、そんなこともわからないまま。

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