貴方を満たす五臓六腑 13
「この学校にも、こんな場所があるんだ」
「人が暮らしてりゃどこにだってできるさ」
リブに連れてこられたのは、校舎から少し離れた場所にある廃棄物置き場だった。要らなくなった机や椅子が乱雑に積み上げられ、タイヤがパンクした自転車が将棋倒しになって片隅に寄せられている。ゴミ捨て場とはいえ汚れや臭いが酷いわけではない。人目が無く静かなこの場所は確かに、今の波立ったハーツの心にうってつけだった。
「――学校って、大変なんだね。どれだけ嫌な気分でも、毎日通わないと行けない」
「……お前、ジュニアスクールは?」
「行ってない。リリオ・デルが初めての学校なんだ。だから全部が物珍しくて刺激的で――今日までそんな風に思う朝が来るなんて思ってなかったんだ」
ガタの来た机を日なたの下に引っ張っていく。机の端に手をかけたと同時に鋭い痛みがハーツの手を襲った。
「痛っ……!」
思わず手を離す。机の裏の木が大きく剥がれて、その破片がハーツの手を突き刺していた。手のひらの傷から赤い血が溢れてくる。
「うわっ大丈夫かよ」
リブが慌ててハンカチでその傷を押さえてくれた。高級そうなハンカチだったが、リブは全くそれに頓着している様子がない。俺が運んでやるから、と天板の綺麗な机を慎重に動かし二人で腰かけた。ハーツは物憂げな表情で地面に視線を落とす。
「――ねえリブ、家族ってどんな感じ?」
「は?」
「お茶会でリブ言ってたでしょ。クソ親父だけど嫌いじゃないって。お母さんも兄弟もいるんだよね?みんな好き?」
「そりゃあ……好きか嫌いかっていったら好き寄りだけど……ってかお前さ、何?親子喧嘩で機嫌悪いのか?」
ハーツがきょとんとした顔でリブを見返す。その間の抜けた表情から答えを読み取り、リブは呆れたとばかりに首を振った。
「んだよ、完全な八つ当たりじゃあねえか……」
「リブ?」
「いや、いいんだ。お前が意外とコドモだったってことは、別に悪い事じゃない。俺が後でちゃんと説明しておいてやるから……」
「??」
「で、親の何が気に食わねえんだよ?」
ぴくりとハーツの眉が跳ねる。
「気に食わないんじゃないよ!心配なんだ!」
「うおっ!びっくりした。急に怒鳴るなよ」
「ご、ごめん……実は僕の今の親は本当の肉親じゃないんだ。だからかな、考えてる事が全然わからない。昨日も無理してるんじゃないかって色々言ったら、怒られちゃって」
朝起きるとブラッドはいなかった。昨晩仕事に出て、そのままだ。リブは「アホだなー」っと脱力してハーツの横に座る。
「そら怒られるだろ。親は見栄を張りたいからな、特に子供の前では。んなこと言うのは野暮ってもんだぜ」
「そうなの?」
ハーツは驚く。その様子にリブも驚く。
「僕の本当の親は、僕に縋りついてきたよ。恥も外聞も見栄も無く。僕を管理して育てて、搾取して奪って最後に捨てた。僕は家族って、従って捧げて支える対象だと思ってた」
違うんだ、そう呟いたハーツは授業で難しい問題を外してしまった時のような気恥しさを漂わせていた。誤魔化すように傷口についた砂埃をしきりに払っている。
「おーいそこの坊ちゃんたち、ちょっとどいてくれんか」
急に差し込まれた第三者の声に、ハーツとリブが弾かれたように声の方を見る。フェンスに囲われただけのこの場所の入口に、Tシャツにジーパン、ワークブーツという姿の男が台車を引いて立っている。
「やべ」
リブの慌てた顔に向かって、日に焼けた男が目を眇め、口の端を吊り上げた。
「なんだあお前ら、さてはサボりだな」
リブはそそくさと男に近寄ると、言葉をかけるより早く数枚の紙幣を男のポケットにねじ込んだ。
「お仕事、お疲れ様です」
リブがそう言って笑いかけると、男はそれ以上何も言わずに台車を引いて廃棄場の隅の自転車の山に近づいて行った。台車の側面についたロゴから、男が近くの廃棄物処理場の業者だとわかる。
あたふたとその場を離れようとするハーツを「もう大丈夫だから」とリブが押し留める。そのまま汚れの落ちきっていないハーツの手を、リブが握った。
「ハーツはさ、もうちょっと自分の為に生きた方がいい。お前見てると、偶に気持ち悪くなるよ」
「どういう意味?」
彼の明晰な思考回路をもってしても言葉にしにくいのか、しきりに視線を彷徨わせてから、リブは徐に薄い唇を開く。
「そういえばちょっと前の続き、盗まれた臓器ってどうなってると思う?」
唐突な話題のすり替えにハーツは一瞬目を白黒させてから、持ち前の頭の回転の良さで、返事を返す。
「え?転売されてるんじゃないの?こう、闇市的なところで」
「やっぱそう思うよなー」
髪を後ろに掻き流しながらリブは眉間にしわを寄せる。
「そう思って色々親父のツテで調べてんだけどさー全然出てこねえの」
「取引されてる形跡が?」
「そうなんだよ。でもネクター臓器はきちんと保管すれば年単位で持つらしいからなー落ち着いた頃に売り捌くつもりとか?」
「気の長い話だね」
「だよな。別の目的があるのかねー?うーんわからん」
頭をひねるリブに向かって、ハーツは初めて純粋な疑問をぶつける。
「どうして急にこの話題を?」
「あ?あー?なんていうか、気持ち悪いんだよな。この話も。わかるだろ、気持ち悪いってのは、嫌だって意味じゃなくて、こうしっくりこないって意味でさ」
どうやらリブは思考を納得できる言葉に置き換えるために、自分の中で類似している事柄と並べようとしたらしい。
「うん、そうだ……そう……多分、金の匂いがしないんだ」
「??」
「俺は、商家の息子だ。大戦中も避難地で、爆撃機があげる煙を見ながら、ステーキを食べるような生活をしてた。親父がクソみたいな商売をしてくれてたからだ」
リブが積み込まれていく自転車を流し見る。
「市場原理に従って売れるものは買われ、売れないものは捨てられ、需要と供給のバランスであらゆる価値は決まり、金はその中で流転する。モノだろうとコトだろうと、その理は変わらない。俺はそれを嫌っていうほど見てきたし学んできた。だから、怪盗五臓六腑の事件の裏にも、必ずその流れがあると思ってた。それを辿れば、真相を知れると考えてた。だが何も出てこない、ネクターっていう金のなる木が中心にあるのによ」
それが、すごく気持ち悪い。そう言ってリブは肩を竦めた。
「お前もそうだ。この名門リリオ・デルに特待生とはいえ入学できた。なのに誰かに取り入ろうとか、ツテを作ろうとか、なんの野心も感じられねえ。まあその無欲な所を気に入ってる奴もいるが、普通は自分からぐいぐい行くもんだろ――そう、だから余計気になるんだ。お前のことも、怪盗五臓六腑の事も。俺の知ってる理通りに動かねえから」
「……君が思うほど、僕は無欲じゃないよ」
「じゃあもっと自分を出せよ。今日みたいにさ。そうしてくれたほうが、お前の事を理解できる。他人の事ばかり慮ってると、そのうち空っぽの人形みたいになるぞ」
「うん、気を付ける。ありがとう。やっぱり学校はいい所だね。一人で殻にこもって悩むのは、存外に馬鹿らしいことだって知らしめられたよ。僕はいつの間にかちゃんと友達ができてたんだね」
「おまっ、そう言う事さらっというなよ」
ハーツが心からの感謝の念を伝えると、今度はリブが照れたように手をぱっと放した。そして照れ隠しのように、騒音を立てて積み上げられた自転車を一瞥する。
「あーあんな捨てちまって。まだ使えるのに勿体ねえ」
「――――そうかな?」
「あ?」
その時、ハーツは笑っていなかった。ハーツは素直だった。その時彼は確かに、普段は見せていなかった自分を曝け出していた。
「僕だったら、勿体ないって使いまわされるよりは。バッサリ捨ててほしいけどな」
穏やかに、ただ目を伏せてなんでもないことのように口を開く。
「一番役に立ってた頃の嬉しさが消えないうちに、消えたいんじゃないかな?勿体ないっていうのは、使う側のエゴだよ」
「……お前、変なこと考えるのな」
リブは不可解な顔をしている。
「リブだってそうさ。全部市場原理で考えようとするじゃない」
ハーツは雲の流れる空を見上げた。フェンス越しの空は、それでも広い。
「僕だったら、その時が来たら足掻かないよ」
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