貴方を満たす五臓六腑 08
目が覚めた幼い少年は、しきりにすべての人工臓器が収まった腹を不思議そうに撫で、脈打つ心臓の上に小さな手の平を当てて首を傾げていた。ブラッドが拾ってから実に二週間以上経ってからの目覚めであり、失血による意識低下と脳波衰弱のダメージがどの程度後遺症として残っているのかが分からなかった。
「お前、名前は」
「――名前?ドナー番号のこと?」
「……じゃあ、家はわかるか?」
「いえ?病院じゃなくて?」
知らない大人に問いただされるも、少年は何も思い出せない。流れ出た血と共に失われまっさらに漂白された記憶。身体に刻まれた記録と、命令だけが少年に僅かに残されたものだった。
「こりゃあ酷いな、お前、自分の身体のことはわかってるんだよな?その中身がすっからかんの腹の中のことも」
少年は撫でていた腹から手を離して、急に服をめくり上げた。路線図のように走る、まだ塞がり切ってない傷のひとつに、指を這わせて金色の目を瞬かせる。
「これ、ぼくのじゃない」
その傷の奥にある心臓を差して、少年がパイプ椅子に座るブラッドに問う。
「返さないと」
次の瞬間、少年の指が、治りかけの傷にめり込んだ。ブラッドは仰天してその手を直ぐに掴んで止めさせる。
「おい!!馬鹿野郎、何やってんだ!!」
怒鳴られて少年は目を丸くする。
「だって……ぼくはネクターだから、みんなを助けないと」
「はぁ!?」
狼狽した少年が瞳を揺らす。
「ぼくのからだをみんながつかえば、たくさんのみんなが助かるって」
ブラッドは息を呑み、それから目を剥いて怒鳴った。
「馬鹿野郎!!そんなもんお前の身体をバラ売りするための体の良い言い訳だ!!腹掻っ捌かれててめえの臓器が奪われてんだぞ!!」
自分でも驚くほど、彼は怒っていた。まるで何かを忘れようとするかのように、目の前の少年への無慈悲な仕打ちに怒り狂っていた。
「でも、ぼくひとりでたくさんの――」
「それで、お前が、最後一人で死ぬってのか!?雨の中、道に打ち捨てられて!!」
少年が大きく身体を震わせる。雨に打たれて冷えていく身体の温度。馬車から放り出される時伸ばした手を払われた感覚。僅かに蘇った記憶が少年の心を突き刺す。
「――勿体ない、って言われたんだ」
「なんだ?」
少年の目から涙がこぼれた。臓器を何度手術で摘出されても痛みに泣いたことが無かったのに、なぜか今、少年は滂沱の涙を流していた。
「ぼくの身体――心臓をとられて代わりのパーツが入らなくて、まだ使えるところがあるのに……勿体ないって……そう、言われたんだ。一緒に馬車に乗っていた人に――誰だろう、顔が思い出せない」
濡れた地面へ落下した衝撃で腹から人工臓器が次から次へとこぼれた。それを手で掻き集めて顔を上げた時にはもう馬車はそこに無かった。血が雨に溶けて冗談みたいな量流れ出て、そんな中動くこともできずに転がっていた。
フラッシュバックに痙攣し始めた幼い少年の身体を、ブラッドが抱き締めた。落ち着かせようと、あやすように背中をたたく。もう無くなった故郷にいたころ、弟妹を寝かしつけていた時のように。
「どんな糞野郎に囲われたらそんな目に遭えるんだよ……」
「ぼくは、なんで生きているの?」
抱き締められた少年の耳に、規則的に発条の撥ねる音が聞こえた。青年の胸の奥から聞こえてくるその音と、シャツの中に覗く大きな血の滲んだガーゼ。
少年は理解する。自分の身に起きたことを。自分がなぜ助かったのかを。
「機械の心臓じゃでかすぎたんだ。本物ならもっと小さいから、大人のでも移植できた」
そっとまだ目に涙を滲ませたまま少年がブラッドの胸に手を添えると、ブラッドが大きく息を吐いたのがわかった。
「――お前の名前はハーツだ。俺の心臓(ハート)を、お前に貸してやる。その心臓はお前だけのものじゃない。俺だけのものでもない。俺達二人の心臓だ。肝に銘じろ、お前の命は、お前だけものじゃない」
傍から聞けばなんとおかしな理論だろう。生きる理由を、押し込まれた心臓に見い出すなんて。だが、ハーツは名も知らないこの青年の言葉に、その瞬間縋った。
「だからお前は生きないといけないんだ」
そして盲信した。
「……うん」
そうしないと、生きることができないから。
自分が生きることを、肯定することが一人ではまだできなかったから。
「貸したものは返さなきゃいけない。俺に、心臓を返すために、お前は自分の心臓を取り返さないといけない。取られたもんは、自分で取り返せ。わかるな?」
「……うん」
その日、棄てられたネクターの少年は、誓いを杖に立ち上がった。
そしてその日、すべてを失っていた青年も、生きる理由を得てまた立ち上がったのだ。
**********
リブの家でのお茶会の一件で、イザームとリブの仲に亀裂が走ったかというと、別にそんなことは起こらなかった。今までもリブが一方的に話しかけ、それをイザームが無視し続けており、ある意味コミュニケーションが断絶しているので、仲の良し悪しを語るところまで至っていなかったのだ。
「ある意味救われたわね」
そう言うのはゴーラだ。昼休みの食堂で、ボルシチの赤いスープをスプーンで掬いながら、彼女は興味無さそうに淡々と続ける。
「そうねー」
「命拾いよねー」
ラングス姉妹がパンにスープを浸しながら同意する。
「あれでイザームが少しでもリブを嫌うそぶりを見せたら、来週のお茶会から誰もあいつを呼ばなくなるわ。なんたって六大貴族様の一角の嫡男ですから」
「みんな六大貴族を知ってるんだ」
「流石に、リリオ・デルに通ってるレベルの家ならね」
「なんか戦前は七大貴族だったって聞いたけどー」
「そもそも六つ全部言えない私達―」
「徹底的に秘匿されてるからなあ。政治にも経済にも表向きは参画してないし。軍部にも出身のものはいない。だけど、どれだけ総帥が代替わりしても変わらない方針や姿勢みたいなのがあって、多分裏には何かしらいるんだと思ってる」
「政治の方はいよいよ引きずり出すか弾き出すかってところまで来てるらしわよ。父が生きているうちに片を付けたいって良く言ってるわ」
「なんかとんでもなくスケールのでかい話だね。陰謀論的な」
「その位、この国では神話めいた存在って事さ。そんな一族に白い目を向けられたら、卒業後もそのレッテルは永劫続く。社会的に抹殺されることと同義さ。特にリブは成り上がりの息子ってだけで一段低く見られがちだからな」
フレンテがちらりと食堂の端に座るイザームを見遣る。一人で本をめくりながら、彼は黙々と皿に載った一切れのライ麦パンをちぎって食べている。長い前髪のせいでまったくその表情は窺えない。
「優しさからくる配慮か、ただの無関心か、難しいところだね」
「高貴さは義務を強制する(ノブレス・オブリージュ)。私達には解り得ない彼等のルールを推し測るなんて、無駄な事よ」
ゴーラはそう言って皿を空にすると、ポケットから小さな包みを取り出してそれを破り、水の入ったグラスにさらさらと流し入れた。水はみるみる濃い紫に変化する。
ハーツは驚いて目を丸くした。
「え、ゴーラって」
「ああ、私腎臓が人工臓器なの。工場廃水の公害で、生まれた時から萎縮してて使い物にならなかったらしくて」
「そうだったんだ、実は僕も人工臓器使っててさ」
そう言ってハーツも薬包を出すとコップに粉薬を注ぐ。よく見ると周囲のテーブルでも食後に同じ薬を飲んでいる生徒が何人もいた。
「大変よねー」
「毎日だもんねー」
「幸い苦くも辛くも無いから、忘れさえしなければそこまで負担にならないんだけどね」
人工臓器補綴剤。それがこの紫の液体の正体だった。高分子人工化合物によって疑似的に生体を模造したこの人工臓器製造技術は、今のこの国の十八番だ。
元々この国は工業国であり、化学においても高い技術力で持っていたが、皮肉にも経済発展を遂げる過程で大気汚染や水質汚染も同時に進み、公害が頻発していた。そこに度重なる戦争による化学兵器の使用が重なり、それらの後遺症に苦しめられている人間は国民の三割を超えると言われている。
国難ともいえるこの状況は、お家芸の技術力で打開するしかない。国が威信をかけて研究し、作り上げたのが、この人工臓器だった。ヒトの分子構造に限りなく近い人工組織による、ありとあらゆる部位を模したカラフルな臓器たちは国中にばら撒かれ、国民の命を繋ぎ今日まで大幅な人口減対策としての防衛線として機能している。
「それにしても……この学校は人工臓器移植者が多すぎる気がするけど」
「リリオ・デルの学生だったら、病気が見つかれば親が金を出してすぐに人工臓器に換えてしまう。だから割合が外より多いんじゃないだろうか」
「だからって、ほいほい換えるものじゃないわよ」
「そうだね、なるべくは自分の身体の方がいいだろうね」
「もしかして、ハーツが留年したのって換装のせいなのか?」
フレンテの言葉にハーツはぎくりと肩を揺らし、それからおずおずと頷いた。
「あ、そ、そうなんだ!タイミングが悪くてさ」
「うーあれは辛いわよね。しばらく動けなくなるし」
ゴーラとハーツの様子を見て、フレンテが顔を青ざめさせる。
「そ、そんなに辛いのか?実は、俺も来年には脾臓を人工臓器に移植する予定なんだ。前から決まっていたとはいえ、やはり時期が近づいてくると不安になってきてな……」
「覚悟しときなさいー。体中が最初交換した人工臓器を拒絶するのよ。身体に新しい人工臓器が馴染むまでは、人工臓器補綴剤をずっと点滴しながらベッドで起きることも許されない。本を読めるほどの余裕もないし、ただ伏せってることしかできないの。腎臓一つでもこれなんだから……複数臓器を人工臓器にするなんてぞっとするわ。それでも私の拒絶反応は軽い方らしいけど……」
ゴーラが思い出したのか苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「私は十二で二回目の換装をしたから、次は二十歳前かな。あーやだやだ」
「でもそこでやっておけば身体も殆ど大人だし、その次からはもっと長いサイクルもつんじゃない?」
「そうなることを祈るわ」
「うん。早く大人になりたいよね」
ハーツはそう言って紫の人工臓器補綴剤を飲みながら笑った。
その姿を、窓際に座るイザームがいつしか顔を上げ、冷たい目でじっと見つめていた。
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