貴方を満たす五臓六腑 09
その夜に食堂での話を聞かせると、ブラッドは愉快そうに笑った。
「そりゃあ好都合だ。人工臓器補綴剤を飲んでる奴は全員シロだろうな」
ゴーラとイザームの顔を思い浮かべながらハーツはフライパンを揺らす。晩御飯は安売りしていた賞味期限切れの合成液卵をふんだんに使ったオムライスだ。
「そうかな?部分的に僕の臓器を使っているっていう可能性もない?」
「ねえな。そんな意味のない事してもしょうがねえだろ」
ばっさりとブラッドはハーツの意見を切り捨てる。それと同時に、ブラッドの目の前に湯気を立てたオムライスが置かれた。
「ハーちゃん、ネクター臓器の利点はわかってるだろ?」
「――人工臓器補綴剤の常用も、成長や経年劣化による人工臓器の換装も必要としない点でしょ」
ネクターである自分の腹を撫でながら、ハーツは答える。この皮膚の下にあるのは、殆どがまだ人工臓器だ。
「そうだ。ハーちゃんの身体の齎す恩恵にあずかるには、移植が必要な臓器全てをハーちゃんの身体で賄わないといけない。それができないなら通常の人工臓器で十分なんだよ」
皿に乗せられたオムライスにしこたまケチャップをブラッドがかける。
「俺から言わせりゃハーちゃんのネクター臓器はただの贅沢品、もしくは天然信仰の産物だ。どちらにしろ、生きた人間の臓器を奪う理由になんてならねえよ」
確かに、換装の手間と薬の服用を覗けば、普通の人間と同じように人工臓器移植者は生活ができる。換装だって単独の臓器であれば十日程度で済む話だし、決定的なリスクがあるわけではない。
合成液卵でできたふわとろのオムライスを口に含みながら、ハーツは苦笑する。
「養殖より天然って、ブラッドがご飯のときに良く言うやつだね」
「それとこれとは話が別だ。味が違うんだよ。味がさ」
憮然としたブラッドの顔を見て、呆れたようにハーツが息を吐く。合成液卵と天然卵の味なんて殆ど変わらない。そして摂取できる栄養素や成分もどちらも変わらない。
そうであっても人は、殻に包まれた天然卵を食べたいと思うのだ。だけどそれを愚かという事は、ハーツにはとてもできなかった。
「……なんとなく、僕の臓器を買っていった人の気持ちが、わかった気がするよ」
「それこそ、それとこれとは、話が別だけどな」
神妙な顔でオムライスを見下ろすハーツに向かって、半眼でブラッドがつっこんだ。
**********
換装直後のハーツは酷いものだった。
目が覚めると共にあの細い喉から出ているとは信じられない叫び声が響き渡り、やがてその声も枯れ、また麻酔をかけて眠らされ、手術は続いた。
全七臓器。そしてヒストマッチから取り戻した胃の還植。それが、彼が耐えなければいけない施術の数だった。
また悲鳴が地下病棟に木霊する。
「おい、本当に大丈夫なのか?」
「ここで私に無駄な時間を取らせなければね――人工臓器の換装はほぼ終わったわ、だけどまだ胃を戻す作業に時間がかかる。一度他人の身体に入ったネクター臓器は洗浄処理に時間がいるの」
ブラッドはまるで檻の中の熊のように狭いリノリウムの廊下を行ったり来たりして、繰り返される手術が終わるのを待つことしか出来なかった。
イアの腕は流石で、手術自体は完璧だった。だが、換装はそこからが本番だ。ハーツの身体に納まった新しい人工臓器は、宿主の身体がそれを自らの臓器だと誤認するまで食事や排泄、呼吸や睡眠すらその小さな体から奪い取る。単独ではなく複合臓器の換装を行ったハーツの術後の影響は尚更に深刻だった。
馴染ませる。その過程だけは時間が解決するものであり、周りの人間には介助以外に何もしてやれることなど無かった。
自力呼吸が再開され手術痕の癒着が確認できれば退院はできるので、約一か月でイアの診療所から家へと床を移したが、赤子同然のハーツの世話を見れるのはブラッドしかいない。夥しい数の管を繋がれた少年の面倒を、彼は平常の不遜な振る舞いからは信じられない程に甲斐甲斐しく行った。仕事の受注を止め、貯金を切り崩し、慣れない家事をこなす。
「迷惑ばっかりかけてごめんね」
ある日床に散った吐瀉物を無言で片付けるブラッドに向かって、起き上がることもできないままハーツが濁った声で謝り、そして噎せた。還稙した胃が想定以上にハーツに負担をかけて、術後三ヶ月を過ぎてもまだ固形物の摂取に慣れてくれない。リハビリを兼ねて少しずつものを食べてはいるが、胃が消化液を上手く分泌できていないらしく、食後少し経つと気分が悪くなり吐き戻してしまう。だからと言って食事をしなければ、働く必要のない内臓は一向に身体に馴染まない。吐いては食べ、眠り、また物を食べて吐く。その繰り返し。一進一退の先の見えない日々が続いていた。
「無理してしゃべるなよ、ハーちゃん」
ブラッドは手が汚れることも厭わずに、ハーツの顎に手を当てて、吸引器で残った吐瀉物を喉から取り除く。いつも自分のことをからかってばかりのブラッドなのに、換装に入ってから全くハーツの様子を揶揄することはしなかった。嫌な顔一つせず、文句の一つも言わずに、ずっとつきっきりでハーツの世話を見続けている。もうプライドも何もない。だってトイレすらいけないのだ。ハーツは急に我慢が出来なくなり、ぼろぼろと泣き出した。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
複合臓器の一括換装を選んだのはハーツ本人だった。時期を階段状にずらして各臓器を換装していくことも可能だとイアが言ったが何しろ数が多く、そちらを選択すればハーツへの負担は少なくなるがリハビリの期間が三年を超える。それは彼にとってどうしても選び難かった。だが、ここまで酷いことになるとはハーツ自身も想像していなかったのだ。自分の迂闊な判断をハーツは呪っていた。ブラッドにこんなに迷惑をかけることになるなんて。赤の他人の介護をさせられて、一年近く家から碌に出ることもできずにいる。きっと自分のことを疎ましく思っているに違いない。
「もう僕の事、放っておいていいから……」
「泣くなよハーちゃん」
涙と吐瀉物をまとめてタオルで拭ってから、ブラッドは穏やかな顔でハーツの胸に手を当てた。とくりとくりと、鼓動が手の平に伝わってくる。
「ここには俺とハーちゃんの心臓が埋まってるんだ。言っただろ、お前の命はお前だけのものじゃない。俺は俺を生かそうとしてるだけだ。お前が気に病むことなんて何一つないよ」
ハーツは唇を白くなるほど噛み締め、涙を堪えてブラッドのその横顔を見つめていた。また泣けば、ブラッドに手間をかけてさせてしまうから。
疲労と奮闘、気付けば季節が一巡りしていた。
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