異国から生物のお届け物です

 妻が出産してから暫く経ち、津島から東天竺屋の荷が届いたとの報せを受ける。最近では木曽川河口を長島一向一揆が塞いでいるので、蟹江から陸路で犬山に運び、犬山から兼山まで舟で運んでいる。そのため、津島からわざわざ運ばれた荷に覚えが無い。


 家臣が確認したところ、確かに注文した品である。兼山に設けた牧に荷を運んだとのことで、黒田下野守など家臣たちを引き連れて観に行くこととなった。


 牧に到着すると、頼んでおいた荷が一纏まりに固まっていた。その獣たちは、短めの毛を蓄え、山羊に似ている。わしが頼んでいた荷とは、羊であった。

 当初は満洲から羊を取り寄せるつもりであったが、満洲に辿り着くまで、あと何年かかるか分からないので、東天竺屋に頼んでアチェ経由で運ばせたのだ。

 この羊たちは、ペルシャやアラビア半島から連れて来られた羊である。羊は暑さに弱いので、唐土(中国)南部では育てていない。当家や東天竺屋は、中国北部や朝鮮に伝手が無いので、わざわざ中近東から運び込んだのである。

 そして、暑さに弱い羊を東南アジア経由で運ぶため、毛を刈り、冬を選んで運んできたのだ。


「南蛮から運ぶのは大変だったであろう?商ったうちのどれくらいが死んだ?」


 わしは、羊を運んできた東天竺屋の者に、アチェで購入した内の何頭が死んだかを尋ねる。


「はい。アチェで買った時の半分ぐらいに減っております。やはり、暑さに弱い様で、南蛮から琉球にかけてが辛かった様にございます」


 アチェに取り寄せて貰ったうちの半分が死んだか。目の前には十数頭の羊がいる。


「高砂国にも置いてきたのか?」


「左様にございます。御言いつけ通り、高砂国まで生き残った半分を高砂国に残しております」


 わしは、高砂国の寒冷な高地でも、羊を育てさせようと半分ほど残すように指示をしていた。高砂国にも泰雅族たちの領域に、年間を通りして涼しい場所が、それなりにあるのだそうだ。そのため、そこで羊たちを繁殖させるつもりである。


「ここにいる羊は、波斯とアラビアのものの区別は付いておるのか?」


「羊の首に付いております縄に、雄雌と生まれに付いて書いております」


 ペルシャ産とアラビア産の羊を混ぜてしまうと混血して特性が分からなくなる恐れがあるので、気になったので尋ねたところ、ちゃんと分かるようにしていた様だ。

 アラビアから購入した羊の方が暑さに少し強かったらしく、やや多く生き残っている様だ。雄雌はやや雌が多く生き残っているらしく、繁殖させることを考えると都合が良かったと言える。

 その後も、羊について東天竺屋の者に色々と尋ねた。羊を津島から運んだのは、少しでも早く兼山まで運ぶためだったらしい。

 羊たちが弱ってい可能性もあり、通気性のある木箱に入れていたものの、蟹江から陸路で犬山まで運ぶのはリスクが大きかった様だ。

 また、メェメェ鳴く羊の入った木箱は目立つので、あまり目立たせずに運びたいと言う思惑もあった様だ。東天竺屋の者たちの判断は正しかったと言えるだろう。日本にいない羊なんて、知らない人間からしたら珍獣だからな。

 その後は、家臣たちも羊に興味を持ったのか、東天竺屋の者たちに色々と尋ねていた。


 南蛮経由で取り寄せた羊たちは、兼山の牧で体調を調えた後に、東美濃の牧へと運ばれる予定だ。

 以前、山羊を導入した際に、東美濃に山羊や羊用の牧を何ヶ所か作っておいたのである。21世紀にも、東美濃には何ヶ所か牧場があり、羊が育てられていた。

 当家が支配下に置いている明照城の近郊がそう言った土地であり、高地になっていて農耕に向いていないものの、鬱蒼と草が生い繁り、牧場としては都合が良かったのだ。

 山羊を育てる段階で、牧で働く者たちに山羊が好む草や食べない草を調べさせている。そして、好む草を増やさせ、嫌う草は排除させていた。山羊が好む草はイネ科の植物の様で、人間は食べれないものの、小さな麦の穂の様な物が成るらしい。牛や馬もその草を好んで食べる様なので、支配下の土地の牧では、その牧草を生やすようにさせている。


 そもそも、わしが羊を取り寄せようと思ったのには訳がある。日本において羊毛が貴重なのもあるが、羊乳や肉が食糧になるのも大きいな理由の1つである。羊は泥水でも平気で飲んで、人が飲める羊乳を出せる生きた濾過装置だ。山間部の飲み水を得るのが難しい地域でも、泥水さえあれば飲み水の代わりに羊の乳を得ることが出来る。

 何より、育てるのが簡単であり、当家が力を入れている養蚕と結びつけることが出来るからだ。明治時代は養蚕農家が羊を飼っていた。

 何故なら、蚕が食べない固い部分や食べ残し、蚕の糞を餌とすることが出来るからだ。また、子供でも世話が出来るので、親が養蚕をしている間、子供に面倒を看させていたのである。

 そのため、当家でも将来的には養蚕場や養蚕農家で羊を飼わせたいと考えているのだ。そのため、まずは羊を繁殖させる必要がある。牧で働く者たちには、羊を増やしてくれること期待をしているのだ。



 夕餉の席で、祖父の近衛尚通が羊について尋ねてきた。どこかで兼山に羊が連れてこられたことを耳にしたのだろう。


「庄五郎よ、異国やり羊が届いたそうじゃな?」


「御爺上、左様にござりまする」


「羊とは珍しい。主上(天皇)に献上でもするつもりなのか?」


 祖父は、羊を帝に献上するつもりなのか尋ねてきた。


「主上に羊を?そのつもりはございませぬが。もしや、主上は羊を好まれるのですか?」


 後奈良天皇って、羊が好きだったのだろうか?


「然に非ず。羊は日ノ本におらぬ珍しい畜生じゃ。朝鮮より幾度か帝に献上されておる」


 朝鮮から、何度か羊が帝へ献上されているらしい。流石、祖父尚通は歴史に詳しいな。


「日ノ本では珍しいので、大切に飼われていたそうだが、すぐに死んでしまった様だがな」


 献上された羊はすぐに死んでしまったのか。大切にされたから却って早く死んでしまったのではなかろうか?大切に扱っていたから毛を刈りもせず、蒸し暑い京都盆地で飼っていたに違いない。そりゃ、羊もすぐに死んでしまうわ。


「都の夏は暑いですからな。羊は暑さに弱いそうです。大方、大切にし過ぎて毛を刈らず、都の暑さに耐え切れなかったのでしょう」


「大切にし過ぎたか。そうかも知れぬのぅ」


 祖父は少し寂しげに呟いた。その後、祖父も羊を観たいと言うので、後日連れて行くことに決まる。

 祖父曰く、羊は日ノ本では珍しいので、帝に献上すれば喜ばれるだろうとのことであった。数が増えたら献上すると、適当に濁しておいたが。京の都に持ち込んだところで、どうせ暑さで死なせるだけだ。


 祖父尚通に羊乳の話をしたところ、食い付いてきた。祖父は美濃に来てから、わしや息子たちの食用に育てている牛乳を好んでいる。牛乳を蘇にして食しているのだが、公家が失った文化の1つであるため、悲願だったのか、よく食べたがるのだ。羊の乳も蘇にすれば美味いかもしれないとワクワクしている様子をみせる。

 また、祖父は砂糖も好物なので、このままだと御堂関白藤原道長の様に糖尿病になってしまうかもしれない。

 そのため、わしは祖父のおやつを制限しようと心に誓うのであった。

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