織田弾正忠とのやり取りと栄子の出産

 重臣たちと今年の方針を決めたので、今年の最重要案件である北伊勢攻めについて、行動に移すことにする。

 義兄織田弾正忠へ長島一向一揆勢を協力して攻めようと言う内容の書状を送ったのだ。

 北伊勢攻めは単独では困難であり、同盟関係にある織田弾正忠家と協力したい旨は、唯一の小守護代である養父長井新九郎にも書状を送っている。


 義兄と養父からの書状の返事を待っていると、第一夫人の栄子が産気づいたとの報告を受けた。そろそろだと思っていたので、気持ちの準備はしていたのだ。

 もう既に、何人も子がいるため、妻が産気づいても、取り乱すことは無い。わしは執務室で引き続き政務を執る。


 栄子が産気づいたとの報告を受けて、暫く経つと、赤子の泣き声が屋敷に響き渡った。新たな我が子が生まれたのだろう。すると屋敷の女房が現れ、子が産まれたことを報告してきた。女房の話では、男子だそうだ。

 北伊勢攻め前に、男子が生まれたのは何となく縁起の良い気がする。政務を中断し、栄子の元へと赴いた。


「男子が産まれたようじゃな。良うやった」


 わしは栄子が男子を産んだことを褒めると、妻はホッとした様子を見せる。長居して、妻の負担になってはならないと、執務室へと戻った。


 わしが執務室へ戻ると、黒田下野守以下家臣たちが祝いの言葉を述べに訪れてくる。彼等から祝いの言葉をもらい、わしは感謝の印に家臣たちへ祝いの酒を配ってやる様に命じた。


 北伊勢攻めの前に男子が産まれたことで、幸先も良く、勝利を願って、子の幼名は「勝千代」と名付けることにする。これで、家臣たちにも、北伊勢攻めで勝つと言う意思を示せるだろう。



 勝千代が産まれて、暫く経つと養父長井新九郎や義兄織田弾正忠から、祝いの品々と共に書状が届いた。

 祝いの品とともに送られたのは祝意の書状であったが、それとは別に北伊勢攻めに関する書状も届いている。

 北伊勢攻めの書状について、養父からは北伊勢攻めが当家単独で困難であることは分かっているので、織田弾正忠家との連携は構わないことと。援軍を頼む際は、養父が飲める条件であることなどであった。

 織田弾正忠からの書状は、長島一向一揆を連携して攻めることについて概ね賛同すると言った内容である。織田弾正忠が市江島の服部党を攻めると同時に、当家が願証寺と長島城を攻めれば、敵の連携も難しいため、双方にとって利があるのだ。

 問題は、織田弾正忠家が市江島を占領し、当家が長島城と願証寺を占領したとして、その後どうするかである。

 当家にとっては、長島城、願証寺、市江島が落ちれば、木曽川の交通を回復出来るので、再び交易を再開出来るため、そこで終わりにしても良いのだが。

 しかし、土岐家や西美濃国人たちにとっては、交易の要である桑名の回復が重要なのだ。そのため、土岐頼芸様から北伊勢を土岐家の勢力圏に回復せよと命じられている。長島城と願証寺を落としたからと言って、終わりでは無いのだ。

 一方、織田弾正忠としては市江島さえ落とせば、尾張国の領地は回復するので、本来はそこで終わりである。

 要は、更に北伊勢を攻めるのに、織田弾正忠家の援軍が欲しいならば、それなりの利を示して貰わねばならないと言うことだ。北伊勢における利権なり、領地なりを求めているのである。その辺りを土岐頼芸派の飲める条件となる様に擦り合わせろと養父は言ってきているのだ。


 わしは、養父と義兄へ返礼の書状とともに、北伊勢攻めについての書状を送る。北伊勢攻めについては、わしが北伊勢東部を平定した後の構想についても記している。長島城、願証寺、市江島攻めについては、ほぼほぼ双方の同意は得られていると言って良いからな。

 北伊勢東部については、桑名を除き切り取った当家の領地とするつもりである。何故、桑名を除くかと言うと、桑名は名目上は朝廷直轄領であるからだ。

 朝廷直轄領である桑名は、朝廷に対して牡蠣を税として収めることで、商人たちによる自治が認められている。それは、北伊勢東部の諸勢力が土岐家に従属していた間も変わっていない。戦国時代は国人などを介して間接的に土地を治めるのが一般的であり、ましてや飛び地の桑名を土岐家は直接統治しようとは考えていない。要は税が収められるか、どうかが重要なのである。

 ましてや、名目上は朝廷直轄領である桑名を直接統治すれば、朝廷や周辺勢力から反発を受けるだろう。ましてや朝廷は救貧しており、荘園などを失った公家衆たちを養うために少しでも税を必要としているのだ。

 桑名を直接統治するのは、わしでも難しいと言えるだろう。未だにある程度の荘園や利権を維持している摂家は、経済的には天皇や朝廷を対立している。そのため、実家の近衛家や支援している九條家を介しても、朝廷に直接統治を認められるとは到底思えない。

 桑名は商人たちの自治によって治められ続ける必要があるのだ。そこで考えたのが、桑名の利権を得るために、町衆を我々の息の掛かったものに挿げ替えることであった。

 桑名の町衆たちの多くは門徒であり、長島一向一揆に加担している。一向一揆勢に金や物資を出していることは間違いないだろう。

 そのため、桑名の町衆たちには、長島一向一揆の責任を取ってもらい、家財を没収して処刑するつもりである。

 町衆の後釜に、当家で言えば東天竺屋を町衆に加えて、商人自治の名目の下、桑名を牛耳るのだ。桑名の自治を東天竺屋だけでするのは困難であるし、反発を受けるだろう。

 そのため、津島衆などの商人も加えるつもりであった。その町衆を織田弾正忠の息の掛かった者を加えることを、北伊勢への援軍の見返りとしようと考えたのだ。勿論、養父についても同様である。

 また、処刑した商人たちの家財は、戦勝者たちで分配することも提案するつもりだ。当家は、得る利が大きいので戦費さえ回収出来れば良い。残りは援軍として出兵した織田弾正忠家や養父たち土岐頼芸派で分ければ良かろう。

 織田弾正忠家は利権と財と言う見える形での成果を得られる。養父も利権を得られ、土岐頼芸様や派閥の国人への財の配分を決める権限を得られるだろう。わしは、戦費を回収出来て、北伊勢東部を所領として得られる上、没収した財を土岐頼芸派に譲り鼻薬とすることで、派閥の国人たちからの嫉妬を和らげることが出来る。

 わし、織田弾正忠、養父の三者にとってWin-Winな結果になるはずだ。わしは北伊勢平定後の構想と利権や財の分配について、織田弾正忠と養父へ書状を送ったのであった。

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