オスマン帝国との技術交流と島津家の情勢

 冬に至り、当家は相変わらず平穏に日々が過ぎていった。

 養父の長井新九郎に返還してしまった兵の補充も少しは出来たので、穴埋めも少しずつしている。

 東美濃に配置していた常備軍は、長島一向一揆以降は少しずつ志摩国に移していたが、冬までに守備兵以外の常備兵の多くの移動が完了した。北伊勢周辺で何か起こった時のため、再配置している。

 西美濃は、まだ国人たちと願証寺方が揉めており、両者の関係修復は難しい様だ。養父も両者の争いを止めるつもりが無い様で、両者を争わせて疲弊したところを漁夫の利を得るつもりなのなかもしれない。

 しかし、土岐頼純方の動きが活発になっており、美濃国の情勢も不穏である。特に西美濃の情勢が危ないな。

 この様子では、北伊勢東部を奪回するのも難しそうだ。



 オスマン帝国から技術者を派遣してもらった利を活かすため、当家の職人たちを高砂国に赴かせ、オスマン帝国の技術者たちと技術交流をさせている。

 当家の技術者たちは、この技術交流を通じて、日本にまだもたらされていない様々な技術を身に付けて欲しい。

 特にガラス職人がいないため、オスマン帝国から派遣されたガラス職人に何人かを弟子入りさせている。ガラス製品を生産出来るようになるためにも、なるべく早くガラス生産の技術を身に付けて欲しいものだ。



 木曽三川河口域や北伊勢の情勢は短い期間で情勢が推移していたものの、薩摩の島津家でも情勢は変化していた。

 島津実久に鹿児島を逐われた島津勝久は、北原氏、更に日向国庄内の北郷氏を頼っていたが、昨年に島津日新斎・島津貴久父子と和解している。

 島津勝久と和解した島津日新斎は、鹿児島にて守護を称した島津実久を弱らせるべく、北薩摩の渋谷氏を味方につけたのだ。

 島津日新斎が渋谷氏を味方につけた理由は、島津実久の本拠地である出水と鹿児島の間の道を寸断するためであった。

 島津実久が鹿児島で島津勝久と争っている隙を突いて、島津日新斎は加世田を手中に収めており、伊作家は南薩の殆どを支配下においている。

 島津日新斎は市来鶴丸城を攻め、出水と鹿児島の道を寸断させようとした。この戦いにおいて、伊作家は島津実久の弟の島津忠辰を討ち取っている。

 市来鶴丸城が陥落したため、島津実久は鹿児島を放棄し、本拠地の出水へと撤退したそうだ。

 その後、島津日新斎は出水を警戒しつつ、鹿児島の復興をしており、当家に日向国から木材を仕入れてきて欲しいと要望があった。

 島津日新斎は、鹿児島を復興しつつ、その周辺への支配力を強化している様で、当家の要に領主直轄地を増やしているそうだ。

 直轄地を増やしている島津日新斎は、史実の様に肝付兼演に多くの領地を与えていないため、肝付兼演は島津実久に調略されて謀反を起こしていない様だ。

 直轄地を増やしている島津日新斎が次に狙いを定めたのは、新納氏本家が治める志布志城であった。

 島津実久方に付いた新納忠勝は、既に島津忠朝、北郷忠相と対立しており、大隅国の肝付兼続もまた新納本家の領地を狙っている。

 新納本家の所領を味方の国人たちが得るのは構わないが、天然の良港を有した重要拠点である志布志城を取られる訳にはいかなかった。

 伊作家による志布志城奪取は、当家の商売をやり易くするためにも、当家から伊作家へ要望している。

 そのため、島津日新斎は志布志城を獲得するため、準備を調えているのであった。

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