馬路玄蕃④埃及(エジプト)からイスタンブールへ
◇馬路玄蕃正頼
年が明け、アチェ王国の外交使節とともに、オスマン帝国の帝都イスタンブールへと出発した。
当家からは、川俣十郎殿と九鬼宮内大輔殿が率いる明船二隻で向かう。
日ノ本の殿が、贈り物を急ぎ集めたらしく、我々の方でも不備が無いか一応確認したのだが、問題なさそうである。
贈り物の豪華さを考えれば、殿が今回の使節派遣に相当力を入れていることを実感させられた。
殿からの親書も確認し、親書の署名や印にも問題は無さそうだ。
アチェからオスマン帝国の帝都イスタンブールまでは遅くとも半年ぐらいで到着するらしい。
我々は、オスマン帝国の領土である埃及(エジプト)を経由して、イスタンブールへと向かうそうだ。
海路で直接イスタンブールまで行こうとすると、アフリカを経由し、ポルトガルやスペインを通らないといけないらしい。
そうすると、ポルトガルやスペインの船に襲われる可能性があるので、埃及で船を乗り換えてイスタンブールに向かう方が安全で確実なのだそうだ。
船旅は順調に進み、埃及へと到着した。ここから陸路で埃及の国府であるカイロへ向かい、そこから川を下ってドゥミヤートと言う湊でオスマン帝国の官船に乗り換えるらしい。
九鬼宮内大輔殿は、船を守るべく、通訳の文官とともに埃及の湊に残ることになった。
川俣十郎殿とその部下たちが、俺たちの警備として同行してくれる。
俺たちは、アチェ王国の外交使節とともにオスマン帝国の役人たちの案内でドゥミヤートまで向かうこととなった。
まず、我々が驚いたのは、埃及の地が砂で覆われていることである。日ノ本を探しても、この様に砂に覆われていることは無いのではなかろうか?
埃及の国府であるカイロの繁栄にも驚嘆させられた。京の都を訪れたことがあるが、京より遥かに人が多く、とても賑わっている。
この様な町を日ノ本で探しても見つからないだろう。
また、カイロで観た三角の巨大な岩で出来た建築物には、大いに驚かされた。
オスマン帝国の役人に話を聞くと、ピラミッドと言う建造物らしく、遥か昔に埃及を治めた王たちの墓だそうだ。そんな強大な力を持った王がいたことに、我々は驚かされる。
カイロに滞在した後、カイロの近くを流れるナイル川と言う川を下り、湊へと向かうそうだが、ナイル川の巨大さにも驚かされた。
この様な巨大な川が日ノ本にあるなど聞いたことが無い。
このナイル川は頻繁に氾濫を起こし、それが恵みをもたらしてくれるそうだ。
日ノ本では木曽川や長良川などが良く氾濫するが、恵みをもたらしてくれるなど聞いたことが無い。
我々は、ナイル川を大きな船に乗って下っていった。
ナイル川を下り、ドゥミヤートと言う湊に到着する。
このドゥミヤートと言う湊もまた、大いに繁栄しており、日ノ本で、これほど栄えているのは堺ぐらいではなかろうか。
オスマン帝国の役人の話では、ドゥミヤートから西にある歴山府(アレクサンドリア)や帝都イスタンブールの方が遥かに繁栄しているらしい。
我々は、ドゥミヤートで船に乗り、帝都イスタンブールへと向かうのであった。
船で帝都イスタンブールへ近付いた我々は、イスタンブールの姿に驚かされる。
二つの半島に挟まれた海峡と、半島の先に広がる大きな町並み。その町並みの間からは、巨大な建築物が存在しており、その威容を示している。
オスマン帝国の役人から話を聞くと、その巨大な建築物は回教の寺だそうだ。
イスタンブールの湊に降り立つと、その繁栄に驚かされる。カイロより遥かに賑わっており、湊としてもドゥミヤートより大いに栄えていた。
日ノ本を探しても、この様な巨大で繁栄した都は存在しないだろう。
我々は、呆気に取られつつ、外交使節たちが泊まる宿へと案内されるのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます