山田式部少輔有親⑫凱達格蘭族支族を支配下に置く

◇山田式部少輔有親



 当家は高砂国での勢力を伸ばし、鶏籠を本拠地に支配地域の開拓を進めていた。

 九州や琉球から送られてきた奴碑たちを使い、鶏籠南西の湿地を干拓している。

 本拠地になっている鶏籠は湊が整備され、家屋が建ち並び、大いに発展していた。

 高砂国の支配地域では、安定して食糧を生産出来る様になり、生産量も増加している。

 更に民や奴碑を増やしても問題無いことを、殿に報告すると、志摩国に置いてきた薩摩武士たちの家族を高砂国に送ってくれるとの書状が届いた。

 この知らせには、高砂国にて家族と離れて暮らす薩摩武士たちは大いに喜ぶ。



 海軍は倭寇狩りやポルトガル船狩りに勤しんでいるが、高砂軍は手持ち無沙汰になっていた。

 薩摩隼人も泰雅(タイヤル)族も適度に戦う機会を与えないといけない。

 そのため、近隣で従っていない部族を攻めることにした。


 高砂国の北部には、凱達格蘭(ケタガラン)族の支族である雷朗(ルイラン)族、亀崙(クーロン)族、巴賽(バサイ)族、哆囉美遠(トルビアワン)族と言った支族が住んでいる。

 巴賽族の一部などには、当家に従っている者もいるが、大部分は未だに支配するに至っていなかった。

 高砂軍を率いて、各支族たちを攻める。まずは、支配下においた凱達格蘭族の者を使者に派遣したのだが、各支族の者たちは、すぐに恭順の意を示してきた。

 当家が凱達格蘭族の大部分を支配したことが伝わっていたことと、凱達格蘭の使者が熱心に恭順を勧めたことから、血を流すこと無く、凱達格蘭族の支族たちを支配下に治めてしまう。

 亀崙族が住まう河口付近は湊になっており、倭寇が停泊することもあるそうなので、亀崙族たちの手引きで、高砂軍と海軍で倭寇を攻めることとなった。

 海軍たちは倭寇を攻めることに慣れており、湊に入って瞬く間に倭寇たちを制圧する。

 新しい明船と倭寇の俘虜を手に入れることが出来た。

 亀崙族たちが住まう河口付近は、湊として良い立地なので、当家で開発することに決める。

 凱達格蘭族の者たちが亀崙族に説明したところ、亀崙族の長は泰雅族たちを頻りに見ながら、快く承諾してくれた。

 我々は、神明湊、鶏籠湊に次ぐ新たな湊を手に入れたのだ。


 亀崙族たちから、更に周辺の土地の話を聞くと、彼等が住まう地の南西に大きな平野があり、そこには雷朗族や亀崙族の一派が住んでいて、更に平野の西には道卡斯(タオカス)族なる部族が住んでいるそうだ。

 南西の平野の亀崙族や雷朗族の一派に使者を送ったところ、同族たち同様に当家に従う旨を示した。

 しかし、彼等の話を聞くと、平野部はかなり広大であり、西に住まう道卡斯族は、更に南にある平野をも支配する大族だそうだ。

 道卡斯族まで支配下に置くのは難しそうなので、凱達格蘭族の支族たちを支配するだけに止めておくことにした。



 凱達格蘭族の支族たちも、当家の領民とすべく、亀崙族の支配地域に代官を置く。

 河口と平野部の二ヶ所に代官所を設置し、文官や武官を派遣する。

 しかし、当家から派遣した者たちが病に罹る訳にはいかないので、今まで支配下に置いた地と同様に、栴檀の水薬を使って虫を払いつつ、沼地の埋め立て川魚の放流を命じたのだった。



 鶏籠に戻り、新たな支配地域の支族たちに諸々の指示を終え、改めて高砂国における支配地域を確認すると、鶏籠から南西の湿地周辺の土地を支配することが出来た。

 南西の湿地は、亀崙族の住む河口や平野と繋がっており、干拓して開拓すれば、高砂国北部の重要な場所と陸路で繋がるのだ。

 殿が湿地を埋め立てて、本拠地にするよう仰ったのも頷ける。

 俺は殿へ宛てて、高砂国北部の凱達格蘭族支族を支配下に治めたこと、支配地域について取り纏めた報告の書状を送った。



 凱達格蘭族支族たちを従えてから数ヶ月経ち、鶏籠にて高砂国の統治をしていると、鶏籠湊が慌ただしくなる。

 部下に様子を見に行かせたところ、志摩国にいた薩摩武士の家族たちが到着した様だ。

 薩摩武士たちには、家族を迎えられる様に、家を用意してある。

 俺は薩摩武士たちに、家族を家へと案内する様に指示をした。


 俺は引き続き、奉行所で政務を執っていたところ、部下から俺の家族も到着しているとの報告を受ける。

 久々に妻子に会うことが叶い、言葉に出すことは無いが、とても嬉しく感じた。

 部下の計らいで、政務を切り上げることが出来たので、家族を屋敷へと連れ帰る。

 屋敷にて、久々に家族たちと様々なことを語らうことが出来た。

 高砂国での生活や妻子の志摩国での生活など、互いに離れていた期間を埋めるかの様に語り合う。

 薩摩にて居場所を無くした我々に、新たな居場所を与えてくださった殿に、改めて感謝の気持ちを抱くこととなった。



 今回、薩摩武士の家族たちは高砂国に送られたが、文官や技術者たちの家族はまだ到着していない。

 彼等の家族も、逐次送られてくる予定だそうだ。


 そして、新たに支配した地域の名も付けてくださり、亀崙族が住まう河口付近は、河を「淡水河」とし、河口の湊一帯は河名から「淡水」となった。

 亀崙族が住まう平野は「桃園」と名付け、開拓して桃を植える様にとのことだ。


 また、殿から大砲と扱える技術者を日ノ本に派遣して欲しいとの要望を受ける。

 殿は、日ノ本で大砲を使うつもりなのだろうか?


 高砂国にて、凱達格蘭族支族たちを従え、志摩に置いてきた家族たちを高砂国に迎えたことで、新たな生活を送ることが出来るようになった。

 高砂国での新たな生を与えてくださった殿のため、俺は高砂国の統治に更なる力を注がなければならないと心に誓うのであった。

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