応援コメント

真宗高田派と応真派と真智派の選択」への応援コメント

  • 専修寺はこの時点で高田派を名乗っていない可能性があるのかな、と思いました。

    天保八年(1837)の18世法主の円祥は「専修門流」と文で書いていますので、そのあたりの整備が進んだ明治頃から全体として高田派をなのったのではないかと推測します。

    もちろん高田派の呼称があった可能性は十分以上あったと思いますし、この小説を否定するものではありません。
    分かりやすさ重視で高田派に統一は大いにアリだと思います。
    歴史マニアのウンチク語りとして聞き流してください。

    作者からの返信

    多分、この頃は真宗高田派を名乗ってないんですよね。
    御指摘の通り専修寺門流だと思われます。

    主人公視点なので、読者の方々にも分かりやすい様に、真宗高田派で統一してました。

    第三者視点になったら、高田門徒とか使おうと思ってます。