兼山での家族とのふれあいと城の整備
わしは兼山に戻ると、まずは第一夫人の栄子の元を訪れ、産まれたばかりの松寿丸の顔を観ることにした。松寿丸の顔はあまり観ていないからな。
栄子と共に元気そうであり、女科医師の話では母子ともに健康状態に問題ないそうだ。
産まれてきた松寿丸の側では、御千代が松寿丸を眺めており、姉として振る舞おうとしている姿が微笑ましかった。
栄子の次は、第二夫人の御南の元を訪れることにする。
御南の腹は目に見えて大きくなっており、側には女房たちが控えていた。
御南についても、女科医師の話では、今のところ順調な様だ。
御南の側には、御鶴と虎千代もおり、御南の側で寛いでいる。
御南の話では、虎千代はやんちゃな様だが、御南の腹が大きくなってからは、御南を気遣ったりする様になったらしい。
わしは、虎千代の成長を喜び、褒めたところ、照れ臭そうにしている。
東美濃での戦も終え、虎千代にも傅役を付けることとなった。
虎千代の傅役は予定通り山本菅助である。大森菅助から山本菅助に名前が変わっているが、それには理由があった。
大森菅助が三河国の大森家に戻ったところ、養父に実子が生まれていたそうで、実子に継がせたいから養子関係を解消されたそうだ。
大森菅助は実家である山本家へ戻り、その旨を話して山本氏に戻り、山本菅助となって当家へと戻ってきたのだった。
もう継ぐべき家も無いと言うことで、当家に正式に仕官することとなる。
こうして、山本菅助が虎千代の傅役となったのであった。
取り敢えずは、手習いを教える様に指示をする。
その後、わしは嫡男である多幸丸の様子を観に行った。
多幸丸は傅役の唐橋昭孝殿から手習いを教わっている最中であったので、遠くから眺めることとする。
多幸丸も元気そうで、順調に育っており、栄養が良いからか同世代の子供より大きい。
わし自身、美濃に来てから肉を食うようになったため、約170㎝ぐらいになっており、戦国時代では大きい方だろう。
嫡男の多幸丸の成長も楽しみである。後で唐橋昭孝殿から多幸丸の日頃の様子などを聞くことにしよう。
当家の兵力を再配置し、平井宮内卿は志摩に戻り、美濃の軍政は家宰の黒田下野守と虎千代の傅役である山本菅助が担うことになった。
願証寺のせいで、伊勢湾の情勢が不穏になってきたこともあり、志摩の軍備を調える必要が生じている。
東美濃に集結させた兵力を志摩に振り分けたことで、東美濃の兵力も減っており、美濃としても軍備を調える必要があるだろう。
軍事力を拡張するため、牢人の雇用を進める様に指示をする。それに伴い、流民をかき集めて訓練したり、関東から持ち込まれる奴隷を運用する必要があるだろうな。
兼山に築いている城も、奴隷労働力を用いたり、周辺国人の協力もあり、かなり出来上がってきている。
わしは、松永弾正を呼び出し、作事奉行に任じた。兼山の城にはまだ石垣が無い。
そのため、松永弾正には坂本にいる穴太衆を雇い、石垣を作らせる様に命じた。
穴太衆の親方とは、わしが比叡山に送られた時に、雇う約束をしているので、そのことも伝える様に言っておく。
東美濃の城を整備したいが、苗木城の設計図は記憶しているものの、大井城は史実だと大した城ではないので、山本菅助に縄張りを命じた。
大井城は当家が恵那郡を治めるにあたって重要な城であり、大井宿のすぐ側なので、大井宿を大井城の城下町にしてしまうつもりだ。
山本菅助も、自身が縄張りを考案出来ることにやる気を見せていた。
久々に兼山に戻り、我が子や家族の様子を観ると、元気そうで何よりであった。
多幸丸と虎千代には、傅役を付けているので、しっかりと育って欲しい。
東美濃は落ち着いたので、美濃の城を整備するとともに、伊勢湾の情勢の変化に備えて、軍備を拡張しなければならないだろう。
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