未来の中山道と木曽路の街道整備

 木曽氏との戦を終え、当面は戦をするつもりは無いので、東美濃(馬籠及び妻籠を含む)の戦力の再配置を実施した。

 木曽氏との戦の功により、元流民の雑兵たちの大部分は常備軍への編入させようと思う。細部は、平井宮内卿と話し合ってからだな。

 従軍した奴隷たちも解放までの期間を短くする様に、奴隷を管理している文官たちに命じるつもりだ。

 従軍した奴隷たちも再び労働力として再配置させた。



 木曽氏に木曽路の拡張と整備を命じているので、当家でも支配地域の街道を整備するつもりだ。

 わしは、江戸時代に整備された中山道のルートを開発する予定だ。

 今回の東美濃攻めで思ったのは、土岐川沿いに行軍すると、様々な国人の支配地域が多いため、通行するための調整に手間がかかる。

 松尾小笠原から東美濃を奪取したことで、木曽川沿いの国人たちを支配下に置き、御嵩城より東は当家の支配地域になった。

 そのため、木曽路から中山道の細久手宿まで街道を整備出来る様になったのだ。

 細久手宿の次の御嶽宿は御嵩城の領地なので開発出来ないが、御嵩城は兼山に近いので、細久手宿まで整備するだけでも、行軍は楽になるだろう。

 細久手宿と大湫宿と街道の予定地を領有する国人領主たちを呼び出し、それぞれの宿場と街道の位置を示し、街道を整備する様に命じる。

 流石に、国人たちは街道整備が費用が掛かるので、渋っていたが、当家が様々な支援をすると伝えると、了承してくれた。


 当家の領地で整備するのは、大井宿、中津川宿、落合宿、馬籠宿、妻籠宿だ。

 これらは、奴隷を使うとともに、労働者を雇い整備する。


 木曽氏に派遣した木曽路奉行からの報告が届いたのだが、木曽氏の当主である木曽左京大夫義在は、妻籠宿から洗馬宿までの宿駅を今年に定めていたらしい。

 宿場場所は、わしが示したところと大体同じであるが、わしが示したのは江戸時代末期の宿場で、木曽左京大夫が定めた場所とずれているところは、水害などで場所を移しているので、わしが示した場所に移転させるつもりだ。

 木曽左京大夫は、美濃国落合から塩尻に抜ける木曽の本道を開くことで、木曽を通過する旅人を増やすつもりだった様だが、当家に侵攻されてしまうとは、不運な男である。

 木曽左京大夫の本願である木曽路の街道整備は、当家の政策として、拡張して引き続き行うので問題なかろう。

 木曽氏の支配地域は、耕作地も少なく貧しいらしいので、木曽左京大夫は支援を要望している様だ。

 東天竺屋を派遣して、産業になる物が無いか探させよう。

 木曽谷の産業と言えば、林業しか思い付かないが、木曽左京大夫の治世に木材を商品化し始めたので、東天竺屋に取り扱わせても良いかもしれない。

 王滝村の檜は最高級の木材で、神宮の式年遷宮にも使われる様になるので、王滝村の檜を取り寄せるとするか。王滝村から木曽川の水運を活用して下流まで運べるからな。

 神宮から式年遷宮したいと頻りに言われているのだ。当家と織田弾正忠家で式年遷宮の支援をしようか考えていたところだ。


 交易路としても、軍用道としても、中山道と木曽路を整備するのは、当家にとっては利が大きいので、街道は整備しなければならない。

 木曽氏を従属させたことで、木曽氏と敵対する府中小笠原家の支配地域へ木曽氏を攻めさせることで、援軍と言う形で進出させることが出来る。

 将来的に信濃国に進出することを目標に、街道整備に勤しむことにしよう。




【長井家支配地域の中山道宿場】

※この時代はまだ中山道はありません。


※宿場町は西から順に表記してます。


◇支配下国人領内

細久手宿、大湫宿


◇長井家領内

大井宿、中津川宿、落合宿、馬籠宿、妻籠宿


◇木曽氏領内

三留野宿、野尻宿、須原宿、上松宿、福島宿、宮ノ越宿、藪原宿、奈良井宿、贄川宿、本山宿、洗馬宿

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