鷹狩と馬と再会
秋も暮れ始め、家臣たちを伴って鷹狩をしていた。
祖父を迎えたり、畿内の騒動があったので、東美濃進出は来年に持ち越すことにし、軍事訓練を兼ねて鷹狩をしている。
わしは、犬鷲の「飛影」を使って、専ら野犬を仕留めていた。
祖父や家臣たちは、大鷹を使っているので、鳥や兎を仕留めている。
祖父は京にいれば鷹狩をすることなど少ないので喜んでいたが、わしが犬鷲を使っているのを見たときは、顔を顰めていた。
わしが専ら狩るのは野犬である。野犬は狩猟の獲物になる動物を襲い、時には人も襲うので害にしかならない。
そのため、領主として野犬を減らすべく狩っているのだ。
猟師などが生きて捕まえた野犬は犬追物に使い、家臣たちの武芸披露に使っっている。
「黒田下野守よ。野犬は大分減ったか?」
「左様にございますな。領内では狩られるため、野犬は減っております。他領ではまだおるでしょうが」
黒田下野守の話では、領内の野犬は結構減っている様である。
「そうか。野犬が減ったならば、鹿や猪が増えると良いな。
野犬の肉や皮など、下々の者しか欲さぬが、鷲や鷹の餌にするには良い」
狩った野犬は、皮は下人に与え、肉は鷲や鷹の餌にしていた。
家臣の中には犬の肉を食らう者もいる様だが、わしは食わん。
牛や馬を食す方が珍しいのだろう。
わしは美しい鷹で優雅に獲物を狩るよりも、モンゴルの騎馬民族の様に、大きな犬鷲で野犬などの大きな獲物を狩る方が楽しいと感じる。
大陸では狼を狩るのだろうが、ニホンオオカミは野犬より小さいので、狩る気は起きなかった。
21世紀では、既にニホンオオカミが絶滅していたことも、狩る気を起こさない理由の一つだろう。
今日の鷹狩で、跨がっている馬と馬具も中々良い。
革職人たちに命じて、西洋風の馬具を作らせたのだが、前世で乗馬をしていたこともあり、日ノ本の馬具よりも使いやすい。
馬も津島を経由して、三河国から三河馬を取り寄せていた。三河馬は大型種のため、個人的には乗りやすかった。
松平清康が三河をほぼ統一したため、三河馬の駿馬は松平清康の下へもたらされた様だが、体格の良い馬などを手に入れることが出来ているので、荷を運ばせるには問題ないだろう。
合わせて、山岳部に強い木曾馬の体格が良い馬を東天竺屋に集めさせている。
馬路親子の工作により、関東から商人が訪れ、鳥羽で奴隷を売り、琉球の交易品を買って帰っている様だ。
馬路親子には、関東の馬商人たちにも声を掛ける様に命じているので、馬商人たちは兼山に馬を売りに来て欲しい。
我々は鷹狩を終え、兼山へと戻ることにした。
猟果も中々良く、祖父も家臣も満足気である。
兼山の通りを進むと、どこかで観たことのある女子がいた。
「おい、なかではないか?」
声を掛けた女子は驚いている。なかは、関の刀工の一族である関兼貞の娘だ。
以前に、関を訪れた際に面識があった。
わしは関孫六殿や当代の和泉守兼定殿とは懇意にさせてもらっており、何度も刀を注文している。
今、腰に差しているのも、関孫六殿の刀だ。
なかと此処で話すのも不味いので、屋敷に連れて行くことにした。
なかの話を聞くと、関兼貞殿は尾張愛知郡御器所村で鍛冶をしているらしく、以前に会ったときは、親族を訪ねて関に来ていた様だ。
なかも尾張の中村に住む弥右衛門と言う男に嫁いだものの、弥右衛門と言う男は織田弾正忠の雑兵をしていたそうだが、当家の方が給金が良いと言うことで、当家の常備軍で兵になったらしい。
親類の多い関に近いこともあり、兼山へ来ることに決めたそうだ。
ただ、移り住んだばかりで、生活が苦しいらしい。
関の刀鍛冶たちとは親しいとは言え、縁を深めるのは大事なので、なかも当家で下働きとして働く様に提案すると、喜んで応じた。
まぁ、なかは明るい性格だから、当家で下働きする者たちも賑やかになるだろう。
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