顕証寺蓮淳という男
細川・六角連合軍は、本願寺証如と顕証寺蓮淳が籠る大津の顕証寺を攻めていた。
顕証寺蓮淳と言う男は、本願寺第八世法主の蓮如と伊勢貞房の娘の蓮祐との間に、六男として生まれる。
顕証寺蓮淳は、同母兄である第九世法主の実如が存命の間は、兄の命により、近江大津近松の顕証寺に入り、伊勢国長島に願証寺を創建するなど、主に近江国、伊勢国、河内国の本願寺の勢力拡大に努めていた。
後に、弟の実賢(蓮如九男)や実順(蓮如十一男)・実真親子らの早世によって空座となった称徳寺(堅田御坊)や河内顕証寺の住持も兼任することとなる。
北陸に拠点があった他の兄弟と違い、畿内を拠点にしていたため、本願寺実如の同母弟であったことから、実兄の実如の相談相手なることが多く、自然と相談役の様な立場となっていた。
そのため、実如の後継者となっていた甥の円如に娘の慶寿院を嫁がせ、娘婿とする。
娘婿の円如は若くして没してしまったものの、慶寿院は第十世法主になる証如を生んだのだった。
実兄の実如は死の際に、孫で後継者の証如の将来を危惧し、蓮淳、蓮悟、実円、蓮慶、顕誓の5人に、証如への忠誠と親鸞以来の教義の擁護、既存の政治・宗教勢力との共存を遺言する。
その中で、蓮淳は証如の外祖父であり、5人中唯一の畿内在住であったことから、証如の後見と養護を託されたのだった。
多くの有力寺院の住持を兼任する蓮淳は、幼少の法主である証如の後見人として、本願寺内部で大きな発言力を持ちこととなり、実質的な指導者として権力を振るうことになる。
こうして、顕証寺蓮淳の権力拡大と専横が始まるのだった。
顕証寺蓮淳の父である本願寺蓮如は、生前に5人の妻を娶り、13人の男子がいた。
しかし、最後の妻である蓮能の子供たちは「大坂一乱」で排斥され、四番目の妻の子である蓮芸は、摂津富田に教行寺を建てた後に実如に先立って亡くなっている。
そのため、最初の妻である如了とその実妹で二番目の妻の蓮祐がの遺した7人の男子が、宗門の間で崇敬の対象となっていた。
実如と蓮淳は二番目の妻である蓮祐の男子である。
後継者とされた2人を除く男子5人の内、4人が北陸に派遣され、加賀とその周辺における共同の事実上の国主としての地位を得ていた。
しかし、六男の顕証寺蓮淳だけは、順如が遺した顕証寺の住持に任じられ、畿内に留め置かれることとなる。
そのため、本願寺において、大きな仕事を与えられてこなかったことに不満を抱いていた。
自身の境遇に不満を抱いていた顕証寺蓮淳であったが、新法主の保護者であり、後見人の地位を託されたことで、北陸にいる兄弟たちを上回る権力を持つ事となる。
顕証寺蓮淳は、外孫である法主の証如の権力拡大に乗り出すことになった。
名目上は、法主を頂点とした権力機構を確立するという実如以来の方針に忠実に従ったものである。
そのため、この大義名分に基づいた権力拡大に表立って反対する者はおらず、証如の権力拡大に向けて動き出すのであった。
しかし、この権力拡大は、後見人である顕証寺蓮淳自身の権力拡大が目的であり、顕証寺蓮淳の専横と横暴が始まることとなる。
顕証寺蓮淳の権力拡大の最初の標的となったのは、堅田の本福寺であった。
本福寺は、本願寺の末寺の中でも歴史が長く、信徒も大勢おり、琵琶湖水運の拠点として堅田が栄えていた事から、本願寺に勝るとも劣らない力持っていた。
表向きの理由としては、大規模な末寺の権力を抑圧し、本願寺に権力を集中させるためとされる。
しかし、実際には顕証寺蓮淳が住持を務める大津の顕証寺と地域が重複しており、本福寺と門徒と布施の取り合いとなっていたが、常に新興の顕証寺が不利に立ってしまっていたことに対する腹いせであったらしい。
実如の在世中にも、本福寺は一度破門を受けているのだが、その際に顕証寺蓮淳は、本福寺の門徒を圧迫して、捏造した証拠を真実と認めさせる署名まで行わせたそうだ。
そのことが露見したため、本福寺の破門は実如によって、速やかに取り消されている。
蓮如・実如が退避してきた際に、本福寺が用意した御坊は、「大坂一乱」において対立法主として立てられた実賢が、追放された後に復帰を許された際、一門寺院の一つとして与えられ、独立して称徳寺と改称した。
大永7年(1527年)、実賢の死後に、称徳寺が本福寺の門徒を引き抜こうとする。
その際、本福寺が阻止しようとしたのだが、称徳寺の後見をしていた顕証寺蓮淳は、一家寺院の本福寺が、引き抜きを阻止しようとしたのは「一門一家制」、ひいては本願寺そのものへの反逆であると言い出した。
そして、本福寺は再び破門されることとなる。そのため、本福寺は代々の財産や門徒も悉く失うこととなったのだった。
本福寺との権力争いに勝ち、自身の権力を拡大させた蓮淳は、畿内の争いに目を向けた。
大永7年(1527年)、本願寺を嫌う細川高国に対して、三好元長が細川六郎を擁立して挙兵する。
その際に、自身の側近である下間頼秀・頼盛兄弟を、細川六郎の元へ派遣して支援をしたのだが、細川六郎は更に北陸にある細川高国方の荘園の占拠を要望した。
顕証寺蓮淳は、北陸の細川高国方の荘園占拠を、自身の婿である超勝寺実顕と下間頼秀に任せる。
その当時、超勝寺は本覚寺と並んで、加賀国主権限を有する賀州三ヶ寺(若松本泉寺、波佐谷松岡寺、山田光教寺)から圧迫を受けていた。
超勝寺は、元々は蓮如以前からの由緒のある末寺であり、北陸全域に門徒を抱えている。
そのため、「北の超勝寺・南の本覚寺」と呼ばれており、その状況は加賀一向一揆後も変わらなかった。
超勝寺実顕は、法主である証如の名義で出された舅の蓮淳の命令を利用し、北陸の細川高国方の荘園の代官を自身の門徒に交代させる。
その交代は、賀州三ヶ寺に相談されなかったため、賀州三ヶ寺側の蓮悟・蓮綱父子、顕誓、実悟は、本願寺に抗議するとともに、超勝寺実顕と下間頼秀を糾弾した。
享禄4年(1531年)閏5月9日、賀州三ヶ寺は「三法令」・「一門一家制」違反などを理由に、超勝寺討伐の命令を下す。
しかし、超勝寺は賀州三ヶ寺に恨みを抱く本覚寺蓮恵の救援を受けることとなる。
そのため、北陸各地にいる両寺の門徒を蜂起させることで、賀州三ヶ寺に苦戦を強いさせることに成功した。
更に、下間頼秀を山科本願寺に戻し、舅の顕証寺蓮淳へ報告をさせる。
その報告を受けた顕証寺蓮淳は、超勝寺実顕の行為はあくまでも法主の命令に従ったものであり、その命に逆らう者は法主への反逆であるとした。
顕証寺蓮淳は、本願寺証如の名で、超勝寺と全国の門徒に対して賀州三ヶ寺の討伐命令を発する。
同年6月、東海地方・畿内の門徒が山科に集結し、実如の子である実円と下間頼盛に率いられて、北陸へ向け出陣した。
この門徒たちは、飛騨の有力な門徒である内ヶ島氏の支援を受け、飛騨山中から加賀に侵入する。
門徒たちの軍勢を見た賀州三ヶ寺側の門徒は激しく動揺し、本願寺の仏敵になることを恐れたため、寝返りが相次いだ。
そのため、松岡寺と本泉寺は、超勝寺と本願寺の援軍の手に奪われた。
これに対し、本願寺に打撃を与える機会を狙っていた越前の朝倉孝景は、賀州三ヶ寺を支援するために加賀へ出兵する。
それに呼応し、能登畠山氏の一族で、蓮能の実兄である畠山家俊も、甥である実悟を救援すべくら主君である畠山義総の許しを得て、加賀へ出兵した。
名目上の加賀守護である富樫泰高の孫の富樫稙泰・泰俊父子も賀州三ヶ寺側に参戦する。
こうして、北陸の諸勢力を巻き込む形で、超勝寺と賀州三ヶ寺は争うこととなったのであった。
同年9月26日、加賀手取川において朝倉教景(宗滴)・賀州三ヶ寺連合軍は、本願寺軍を一旦は破ったものの、同年11月の津幡の戦いでは、本願寺方の反撃によって畠山家俊らが討ち死にして潰滅してしまう。
そのため、賀州三ヶ寺最後の光教寺も陥落することとなった。
津幡の戦いで捕まった蓮綱は幽閉されたものの死去し、蓮慶は処刑される。
蓮悟、顕誓、実悟は加賀を脱出したものの、全国の末寺・門徒に対して引き続き追討命令が下され、富樫稙泰も加賀守護の地位を追われた。
この本願寺の内紛は、一向一揆同士の戦いに発展した事から、本願寺法主の命令を奉じた超勝寺・本覚寺側を「大一揆」、加賀の国主権限を認められながら反逆者として粛清された賀州三ヶ寺側を「小一揆」と呼び、この出来事は「大小一揆」と呼ばれることとなる。
こうして、加賀を初めとする北陸地方の門徒は、本願寺から派遣された代官による、直接支配下に置かれることとなった。
これらの粛清によって、顕証寺蓮淳は本願寺の法主を頂点とする支配体制が確立することに成功する。
顕証寺蓮淳は主だった一族をことごとく粛清したことで、孫の法主・本願寺証如を擁し、絶対的な地位を築き上げることになったのであった。
本願寺における絶対的な権力を有する顕証寺蓮淳も、現在危機に瀕していた。
本願寺証如と顕証寺蓮淳が籠る大津の顕証寺に細川・六角連合軍が攻め込んできているのである。
大津の顕証寺もそんなに長くは持たないだろう。
顕証寺蓮淳は、孫の本願寺証如と分かれて、本拠地である山科本願寺へ脱出することを提案した。
本願寺証如も祖父と自身が同時に討たれては不味いと思ったのか、分かれて脱出することに同意する。
顕証寺蓮淳は、蓮如の末子である実従に孫の本願寺証如を託し、大津の顕証寺を脱出したのだった。
しかし、顕証寺蓮淳は、本願寺証如と約束した山科本願寺へは向かわなかった。
法主である本願寺証如を山科本願寺に置き去りにして、次男の願証寺実恵がいる伊勢国長島へ向け逃げ出したのである。
顕証寺蓮淳は死ぬのが怖かった。
孫を通じて、本願寺の絶対的な権力者になったのに、死にたくなかった。
政敵を追い落とし、憎い兄弟やその家族を粛清して手に入れた地位を失うのが怖くて仕方ないのだ。
顕証寺蓮淳は配下とともに、伊勢国へ向けて逃げていると、急に胸に衝撃を受ける。
慌てて立ち止まり、自身の胸元を見ると、その胸には矢が生えていた。
驚いた顕証寺蓮淳は顔を上げると、喉に衝撃を受け、そのまま倒れる。
周りの配下たちが騒ぐものの、自身の意識は薄れつつあった。
自分たちへの追っ手だろう、喧騒が近付いてくるのが聞こえてくる。
せっかく、本願寺の権力を握ることが出来たのに・・・。
それが、本願寺で専横を欲しいままにし、絶対的な権力を手に入れた顕証寺蓮淳の最期であった。
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