享禄5年(1532年)
享禄5年(1532年)の方針
享禄5年(1532年)
新年を迎えて、毎年のことだが、土岐頼芸様の元へ養祖父たちと新年の挨拶をしに行った。本年も特に美濃で何か起こる予兆は、新年の場では感じられない。
養祖父たちから話があったのは、養父の新九郎もそろそろ正妻を娶ろうと考えているそうで、土岐一族である明智氏と交渉しているそうだ。
兼山とも近所で、最近は繋がりも深くなっていることから、話は上手く進んでいるそうで、本年中に婚姻を結びたいらしい。その人が、斎藤道三の正妻である小見の方なのだろう。
わしは、稲葉山に寄ったついでに、豊太丸と遊んでいく。
稲葉山に寄る度に、豊太丸と遊んだり、菓子を土産に持っていっているので、すっかり懐いている。
養父の新九郎は、あまり豊太丸の相手をしてくれないそうだ。
わしは兼山に戻ると、重臣たちを招集し、今年の方針を話し合う。
家宰の黒田下野守とは、今年は昨年と同様に、奴隷労働力を活用して耕作地や溜池を作るとともに、各種生産物の増産と労働力の配分を指示した。
交易に関しては、今まで以上に交易に力を入れつつ、南蛮地域との交易を定期的に行うつもりだ。引き続き、作物の苗や種、山羊を輸入させる。
また、南蛮との交易によって、高価な交易品を安価に仕入れているので、更なる交易の拡大を目指す。
引き続き、越後長尾家と甲斐武田家から金・銀、翡翠、水晶を獲得するのだ。
可能なら直江津にジャンク船を派遣して、蝦夷地とも交易したいと考えていた。
将来的に蝦夷地にも植民をしたいと考えているので、日本語を話せる蝦夷を雇うのも良いかもしれない。
そして、当家の生産力拡大のため必要な奴隷労働力を獲得するため、関東の商人を鳥羽まで呼び込むつもりだ。
関東で活動していた馬路正統を通じて、関東の商人に奴隷を発注するとともに、鳥羽に行けば琉球の交易品(南蛮の品々)が手に入ると噂を流させていた。
来月くらいには、関東の商人が奴隷を持ってくるだろう。
また、奴隷からの解放の条件について、神宮への改宗と何年か労働して成果を出したものとしているが、軍役に参加して功績を上げた者は、前倒しで解放するという条件を付け加えることにした。
古今東西、自らの権利を獲得するには、命を代価にする他あるまい。
軍事大国のアメリカなど顕著で、永住権を手に入れるため、手っ取り早いのは、軍に入隊することだからな。
これで、奴隷を戦闘に加えても、解放されて領民になるため、一所懸命に戦うと期待しよう。
また、金銭的余裕が出始めたため、馬を購入して繁殖させたい。
体格の大きな馬同士を掛け合わせて、大きな馬が産まれるように品種改良したいのだ。
粗食に強く、山間部に対応出来る木曽馬が望ましいだろうが、大型種の三河馬も欲しい。
よく日本の馬は小さかったと言われるが、この時代の大型種であるアラブ馬は体高約150㎝で、日本の大型種の南部馬や三河馬も約140㎝とそんなに大きさは変わらない。
取り敢えず、東天竺屋を通じて木曽馬、津島を通じて三河馬を調達することにしよう。
馬を揃えることから、馬具の改良も必要になりそうだな。
狩りの獲物の皮を鞣すために、河原者を召し抱えているので、彼等に革を作らせ、革職人に西洋式馬具を作らせた方が良いかもしれない。
領内の職人が増えたことから、そろそろ荷物を運ぶ車が欲しい。
都の父に頼んで、牛車を作っていた職人などいないか、また派遣してもらえないか聞いてみることにしよう。
平井宮内卿から軍事の案件であり、こちらについては、わしから方針を示すことにする。
松尾小笠原に占領されている東美濃地域の獲得だ。
時期は情勢を観ることになるが、今年の終わりから来年いっぱいを考えている。
土岐頼芸様から、東美濃切取次第を貰わねばならないな。
そのため、陸軍の主力を兼山へ逐次移動させてもらうつもりだ。
平井宮内卿もその件を承知して、移動計画を立ててくれることになった。
また、松尾小笠原の東美濃占領の核心である大井城と苗木遠山を落とす作戦計画も立ててもらう。
兵力的に常備軍だけだと厳しいとのことなので、兼山で預かっている兵、傭兵、奴隷を使って戦力を補うことになる。
倭寇狩りで船が増えていることや、高砂国に派遣する兵など、海軍の更なる強化も求められ、海軍に関しては奴隷では無く、志摩の住民から採用することにした。
志摩の住民を採用する分、更に奴隷労働力で補填する必要がありそうだ。
大森菅助は、まだ西国を回っている様で、定期的に報せが届いているらしい。
家政では、甲賀者を新たに採用して人員を増やした。
硝石製造、銭製造、真珠養殖、椎茸・南蛮作物栽培、醤油等発酵食品製造、谷野一栢の弟子などに人員を振り分けている。
そして、硝石製造や銭製造をしていた者たちの中で、化学に興味を持つ者たちが現れた。
切っ掛けは、それぞれだが、金属に興味を持つ者や尿を蒸発させて燐を集めさせて興味を持った者など様々である。
そう言った者たちが現れたことで、科学研究所の様な物を作ることにした。
研究内容は秘匿すべき物なので、答志島の海軍基地内に作る予定だ。
越後長尾家から臭水(原油)を取り寄せて、燐などとともに焼夷兵器を開発してもらうのも良いかもしれない。
南蛮から硝石を手に入れているので、褐色火薬の調合をさせる必要もあるだろう。
また、化学を研究させるとなると、ガラスの実験器具が必要となるので、ガラス作りを始める必要がありそうだ。
耐火煉瓦はあるので、まずは坩堝を作らせねばならないが、木炭で必要な火力は出るだろうか?
昨年の十月頃に、黒くて燃える石(石炭)が欲しいので、早めに高砂国北部を占領し、こちらへ送って欲しいという書状を出しているので、他地域では無く基隆を占領してくれるはずだ。
真珠養殖、醤油製造については、今年には成果が出そうなので、過去の記録と照合して改善点を見出だし、新たなやり方を模索する必要があるな。
医術については甲賀者を谷野一栢の弟子として、医師を増やすつもりである。
医師は様々な場所で必要であるしな。
神宮の神官の立ち会いの下、人体解剖も行っているため、研究も進んでいる様だ。
谷野一栢には、余裕があったら医術書を書いてくれる様に頼んでいる。
忍衆については、服部半蔵が家臣になったことで、伊賀者を召し抱えたり、下請けに使うなどして、忍衆の人員も強化されていた。
服部半蔵には、黒田下野守や平井宮内卿の指示で情報を集めてもらっている。
坂倉の鍛治師たちには武器、土工具、大工道具など様々な物を作ってもらっている。
坂倉正利もオスマン帝国式の火縄銃を何丁か作り上げており、志摩の無人島で射撃実験を行い、出来上がりを確認している。
ネジを作るための工具であるダイスとタップを事前に作らせていたので、史実で八板金兵衛の様に悩むことにはならなかった。
火縄銃を量産するためにも、鍛治師や弟子を増やしてもらうつもりであるし、分業制を導入して技術の秘匿化及び効率化させたい。
今年の方針を取り決め、重臣たちを解散させた後、執務室に多羅尾光俊と鵜飼孫六を呼び出す。
関東での活動を終えた鵜飼孫六には、本願寺について調べてもらうつもりだ。
本願寺の拠点や主要人物について調べるように指示をした。
交易によって収入が増え、金貨・銀貨を鋳造、南蛮からの錫の輸入出来たことで、銭不足も多少は緩和され、出来ることの幅が増えた。
出来ることが増えた分、やらなければならないことも増えているので、さらに内政を充実し、富国強兵に努めなければならないだろう。
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