山田式部少輔有親⑤泰雅族討伐

◆山田式部少輔有親


 奴隷たちに木材を伐採させて、数日経ったある日、奴隷が数名殺されたとの報告を受けた。

 首が持ち去られており、首狩りであることが分かる。

 噶瑪蘭族に確認したところ、泰雅族であろうとのことであった。

 俺は、我々の近くに住む泰雅族の討伐を決意する。

 高砂国の山などについては不慣れなため、噶瑪蘭族の族長たちを通じて、噶瑪蘭族の者たちを斥候として雇うことにした。

 高砂国の首狩りは、草に隠れて後ろから斬りかかったりするらしい。

 草むらのことや山のことは、我々よりは噶瑪蘭族の方が分かるだろう。

 噶瑪蘭族は泰雅族を怖れているが、彼等の被害にも遭っているらしく、東天竺屋からそれなりの品々を渡すことで、彼等を雇うことに成功したのだった。


 俺は噶瑪蘭族の警備を海軍の連中に任せ、高砂軍の兵を率いて泰雅族討伐に向かうのだった。

 久々に戦ということで、薩摩出身の高砂軍の者たちは、目に光を湛えている。

 敵を討ち取るのが楽しみで仕方ないのだろう。

 薩摩ではちょっとしたことで殺し合いになることはよくある話で、当家に仕えてからは大人しくするように指示していたが、久々に暴れられるとなれば、それは俺でさえ思わず猛っている。

 殿からは、首狩り族は勇猛なので、従えることが出来るなら従わせる様にと言われているが、生き残らせることが出来るか自信は無い。


 我々は噶瑪蘭族の案内の元、泰雅族の領域へと足を踏み入れる。

 噶瑪蘭族に近い集落の場所は把握している様で、そこへ向かっている様だ。

 山に住んでいる泰雅族は、大抵は山の中腹の台地に家を建て、集落を築き、農耕や狩猟をして暮らしているらしい。

 集落の場所の殆どは狭い地形のため、大きな集落を築くことは無く、一族ごとにまばらに散って集落を形成しているそうだ。

 噶瑪蘭族の斥候を出しているので、まだ会敵はしていない。

 警戒しつつ、集落へ向かう途中、前方で噶瑪蘭族の声が響く。

 泰雅族に遭遇した時の合図であり、我々はその場所へ向かった。

 声の聞こえた場所に辿り着くと、噶瑪蘭族が他の部族に襲われている。

 噶瑪蘭族とは違った服装をした者たちが10人程おり、噶瑪蘭族の数名が倒れていた。

 部下たちに噶瑪蘭族を助ける様に指示をし、何名かで周囲を警戒させる。

 泰雅族には刺青をした者がおり、それは首狩りを成したことのある証であると、噶瑪蘭族から聞いていた。

 そのため、刺青をした者を優先的に殺すように伝達していたため、部下たちは刺青をした者を狙う。

 十人の内、半数ほどは刺青をした者たちであったが、歴戦の薩摩武士に勝てるわけもなく、三名斬り殺したところで、泰雅族は逃げて行った。

 部下に噶瑪蘭族の手当てを指示し、他に斥候に出ていた噶瑪蘭族も戻ってくる。

 怪我をした噶瑪蘭族は、取り敢えず一命を取り止めた様で、一部の噶瑪蘭族たちと共に、拠点に戻らせることにした。

 部下に泰雅族の首を斬り落とさせ、その首を持って、我々は引き続き泰雅族の集落を目指す。

 その後も、何度か泰雅族を発見し、首を獲つつ、集落への辿り着いた。

 集落に着くと、残りの泰雅族の男たちが待ち構えていた。

 老人や女子供は見当たらないので、家屋に隠れているのだろう。

 泰雅族へ狩り取った首を見せつけ、噶瑪蘭族の通訳に降伏する様に伝えさせたところ、男たちの中で他と異なる立派な衣装を着た者が大きい声で叫ぶと同時に、泰雅族の男が一斉に襲いかかってきた。

 それに応戦した我々は、怪我人を出しつつも、刺青をした男を皆殺しにしたところで、泰雅族は大人しくなった。

 首狩りの経験のある者を全て失ったことで、もう勝てないと思ったのだろう。

 刺青をしていない者はある程度生き残っており、家屋から老人たちが出て来て、噶瑪蘭族に恭順の意を示した。

 家屋から女子供たちが出て来て、恐怖に震えつつ、家族を失った悲しみから涙を流している。

 噶瑪蘭族も我々を見て震えているのはよく分からんが。

 我々が、この集落を占領した結果、生き残った男衆は、首狩りの経験の無い者ばかりになったのである。

 彼等に狩った首を引き渡し、弔いをさせてやることにした。


 我々は、占領した集落を拠点に、泰雅族を討伐することにした。

 少数ながらも泰雅族を従えたことで、他の集落の位置も明らかになる。

 首狩りの経験の無い男衆を引き連れて、他の集落を襲撃に向かった。

 彼等が従う報酬として、首を狩らせてやることを提示すると、すんなりと従う意思を示す。

 首狩りの経験のある者が死んだことで、家長となる者がいなくなったため、早く一人前と認められるべく、首狩りをする必要がある様だ。

 泰雅族と戦闘になる度、引き連れた男衆に、息のある者の首を狩らせてやる。

 すると、首を狩らせてやったことで、男衆たちは我々に協力的な態度を取るようになった。

 我々が泰雅族の他の集落を同じ様に占領し続け、引き連れる泰雅族が増えると、どんどん集落の攻略が容易になっていく。

 遂には、先に降伏を申し出る集落も出てくる様になった。

 噶瑪蘭湊を出てから、約一月ほどで、泰雅族の大半を支配下に収めることが叶ったのである。

 後の方は殆どは、降伏してきたので、奥地の集落や降伏しない集落などを従えることは叶わなかったが、情勢が落ち着いたら、攻略するとしよう。


 泰雅族を従えた我々は、支配下に収めた最も大きな集落に各一族の代表を集め、泰雅族の支配を宣言する。

 代表者たちに、首狩りの風習を禁止することを告げると、一斉に反発が起きたものの、我々の戦に兵を出せば、首を斬る機会を与えると伝えると反発も収まり始める。

 結果的に、首狩りの風習を禁止する代わりとして、我々の戦に参加や罪人の処刑など、首を斬る機会を与えることで、渋々ながらも従ったのだった。

 また、口減らしでは無いが、余剰の男衆で刺青の入っていない者を兵として寄越すように伝えると、我々が男衆を殺した集落からは出す余力は無かったが、降伏してきた集落から該当する男衆を差し出される。

 その数は数十名の若い男衆たちであった。

 彼等は高砂兵にするため、刺青が入っている訳にはいかない。

 高砂兵として教育し、高砂国を支配するための戦力にするのだ。

 刺青が入っていないものは、高砂軍の兵になることが出来て、刺青が入ったものは兵にはなれないものの、義勇兵として参加出来ることを伝えた。

 今回、徴収した男衆も軍役を終え、自分たちの集落に帰れば刺青を入れられる。

 一番大きな集落に泰雅奉行所を置き、泰雅族とやり取りすることとし、高砂軍の主力と男衆たちは噶瑪蘭湊へ戻ることとなった。


 噶瑪蘭湊に戻り、噶瑪蘭族たちに報酬を持たせ、各々の集落に帰らせる。

 後日、各族長たちに礼を言いたいので、話し合いの機会を設けてもらうことにした。

 そして、族長たちとの話し合いを行ったところ、噶瑪蘭族の大半の族長たちが我々に従うと恭順の意を示しだす。

 帰って来た噶瑪蘭族の者たちから、今まで恐れてきた泰雅族を殺す我々の話を聞いた噶瑪蘭族たちは、我々を怖れて泰雅族の様にならないように従うことを決めたらしい。

 従わない部族もいるようだが、まだ無理に従わせることは無いだろう。

 こうして、高砂軍は泰雅族と噶瑪蘭族を従えることがこととなったのであった。


 戦力を拡充した我々は、川俣十郎殿たちが戻ってきたら、北の凱達格蘭(ケタガラン)族を攻めたいと考えている。

 殿から示された、高砂国の本拠地に相応しい土地は、高砂国北部の凱達格蘭族が支配している地域らしい。

 噶瑪蘭族とも交流があるらしく、言葉も通じる様だが、倭寇とも取引しているそうで、倭寇狩りを含めて攻めたいところだ。

 取り敢えず、殿に泰雅族を支配下に収めた報告と凱達格蘭族攻めの許可をいただくこととしよう。




 山田式部少輔たちが連れ帰った泰雅族の若者たちは、後に高砂軍の兵として大いに活躍することとなる。

 高砂軍に属することで刺青を入れることが出来なくなったが、彼等は薩摩隼人たちから日ノ本や薩摩の教育を受け、勇猛な武士となり、自身たちを「泰雅隼人」や「高砂隼人」と称して刺青に代わる名誉としたのだった。

 泰雅隼人の中には、薩摩武士に気に入られて、その娘を妻に娶ったり、薩摩の解放女奴隷を妻に迎えるなど、薩摩隼人化する者が多く、泰雅族の中に薩摩の遺伝子が受け継がれていくことになる。

 そのため、高砂軍の泰雅隼人は薩摩隼人に匹敵するほど恐れられた存在になるのだった。

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