懐妊再びと第二夫人

 穏やかなる春先に、妻の栄子の懐妊が分かった。

 第二子懐妊の報せに、九條稙通卿や家臣たちも喜んでくれる。

 家臣たちは、我が子が嫡男一人だけだと、やはり不安なのだろう。

 もし、わしや多幸丸に何かあって、実家の近衛家から腹違いの弟を当主にするとか、色々な意味で難しそうである。

 まず、養父たちに乗っ取られるだろう。

 新しい我が子のためにも、また乳母の斡旋を実家に頼まないといけないな。


 嫡男の多幸丸も順調に育っており、乳離れした後は、離乳食の様な物を食べさせている。

 頑丈な身体を作るために、わしが試しに作った離乳食に肉類を入れていたら、女房たちが困った顔をしていたが、肉の入った離乳食を作って食べさせる様に指示をしている。

 志摩の海産物で出汁も取っているし、野菜も入っているから、栄養価は高いはずだぞ。

 九條卿が食べたそうに観ていたが、赤子の飯なので食べさせる訳にはいかない。


 以前、中井戸村の農家で牛の乳を飲んだが、わしが飲んだら領民たちが飲むようになり、わしが領民から購入出来なくなった。

 なので、わしは健康のために牛乳が必要だと思ったため、すぐに当家専用の牛を買って、中井戸村に牧場を作り、牛を繁殖させつつ、牛乳を飲めるようにしていた。

 その牛乳を煮立てて、多幸丸に飲ませているからか、多幸丸の育ちが良いような気がする。

 因みに、九條卿は当家で牛乳を飲んでいることを知り、大層感激なさり、頻繁に所望してくる。

 公家にとっては、牛乳は憧れの薬だからな。

 何故か、蘇まで作らされ、わしはチーズなどを知っているから、然程美味しいとは思わなかったが、九條卿や公家出身者は感激しながら食べていた。

 女科医とか牛乳作りとか、当家は典薬寮みたいなことしてるな。



 妻が懐妊し、嫡男の多幸丸もすくすく育っている中、わしにも縁談の話が持ち上がった。

 以前から、側室にと美濃の近隣の国人領主たちから話を持ち掛けられていたのだが、美濃と志摩を往き来して忙しいため、断っていた。

 しかし、今回の縁談は断れなそうな縁談である。

 島津日新斎の娘である御南との縁談であった。

 御南は島津貴久の妹ではあるが、島津本家の娘と言う訳で無いので、有りと言えば有りの縁談である。

 島津家は三国守護の家柄ではあるが、三国を治められているとは到底言えないし、内乱で前守護と伊作家に分かれて争っている。

 島津本家の家督を譲られたのは勝久の養子になった貴久で、日新斎の後継者として相州家継いだのは忠将なので、御南は相州家の娘として扱われるのだろう。

 昨年は、伊作家も勢力を拡大させたので、一段落ついたのか、年明けに園田清左衛門殿が再び使者として現れ、縁談の話を伝えてきたのだ。

 縁談の名目としては、現在の交易関係の維持と強化のためと言うものであり、食料を我々に依存している島津家としては、勢力の建て直しと更なる拡大のため、食料を止められるなどの冷や水を掛けられたくないらしい。

 我々にとっても、琉球交易を行う上で、関係の維持と強化を考えると受けた方が良いと言える。

 問題は、利害関係者たちがどう思うかであった。

 日新斎の娘とは言え、島津本家の当主の妹であるから、正室格で迎え入れなければなるまい。

 武家の正室が一人と厳密に定められるのは、江戸時代の武家諸法度以降なので、正室を複数持つこと自体は可能であろう。

 織田弾正忠家としては、妹を正室として出しているが、清華家の久我家の養女として妻に迎え、嫡男の多幸丸も産まれていることから、第一夫人としての地位は磐石なので問題は無いだろう。

 問題は土岐頼芸様と養祖父の西村勘九郎である。婚姻関係を結ぶには、そちらを説得するしかない。

 それについては、島津日新斎も分かっていた様で、園田清左衛門殿を使者として派遣したらしい。

 当家は、土岐頼芸方の産物を高値で買っている訳で、彼等は既に琉球交易の恩恵に預かっている。

 なので、園田清左衛門殿が土岐頼芸様や養祖父に了承を貰いにいったところ、すんなりと承認された。

 縁談を認めずに交易を止められる可能性を恐れたのだろうが、事実としてはそんなことにならないと思うが、日ノ本でも最果てと言える島津の事情など、土岐頼芸方は知る由も無かった。


 斯くして、島津御南との婚姻が春の半ばぐらいに決まり、馬路玄蕃たちが帰還した後に、花嫁は交易船に乗ってやって来たのだった。

 花嫁である島津御南を志摩の鳥羽城で迎える。

 送り役は園田清左衛門殿で、島津方からは側仕えの女房たちも付いてきていた。

 島津御南は、やはり薩摩出身と言うことで、畿内では見ない彫りの深い顔付きををしており、気の強そうな見目麗しい女性である。

 実際に話してみると、控えめでおしとやかな印象を受けるが、意志が強そうで芯もしっかりした典型的な「薩摩おごじょ」と言った感じの女性だ。

 第一夫人の栄子とも上手くやり取りしてくれることを望むばかりである。

 彼女との祝言を終え、彼女が慣れるまで暫くは鳥羽で過ごした後、彼女たちを兼山へと連れ帰った。


 兼山で第一夫人の栄子たちと顔合わせしたところ、栄子は遠く薩摩からやって来たことを気にかけているのか、兄の弾正忠から琉球交易で大切な関係だと言われているのか、身重ながらも色々と気遣っていた。

 御南も嫡男の多幸丸が産まれていることや、栄子が身重であることを知っているのか、第一夫人として立てており、今のところ両者の関係は問題無さそうに見受けられる。

 これから、両者の関係を気にかけながら生活しないといけないと思うと、胃が痛みそうだが致し方あるまい。

 薩摩から嫁いできた御南も子が出来れば、気が紛れるであろうから励むとしよう。

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