馬路宮内③薩摩訪問
土佐を出発した俺たちは、日向の油津へ行った後に、薩摩の坊津へ向かう予定だ。
湊衆やの話を聞くと、油津のある飫肥一帯を治める豊州島津氏の島津忠朝は守護の島津貴久に敵対的な立場であるようなので、なるべく早く出発したほうが良いようだ。
油津に着くと、ギスギスした雰囲気ではあるが、湊の者に話を聞くと、島津の内乱よりも、飫肥を狙う伊東家に警戒をしているそうだ。
すると、近くで無頼の徒らしき者たち町娘に絡み始めた。無頼の徒たちは酒が入っているのか、質が悪そうだったので、俺たちが止めようとすると、一人の若者が現れて、仲裁に入ろうとする。
案の定、喧嘩になるが、一人の若者にあっという間に叩き伏せられてしまった。若者は怪我も無く、町娘から感謝の言葉を受けていた。そんな若者に、俺はつい声をかけてしまった。
「そこの御仁、見事な立ち回りでござった。さぞや高名な方とお見受けするが、御名をお伺いしてもよろしいか?」
「某は若輩の身なれば、高名などとんでもない。名乗るほどの者ではございません。ただ、諸国を回り武者修行をしているだけです」
若者はこちらに振り返り答えてくれた。あの腕で武者修行をしているとは、是非とも当家の家臣に欲しい。
その後、色々話を聞くと、九州しかまだ回っていないそうで、薩摩方向から油津へ来たそうだ。
なので、良ければ、薩摩まで一緒に行って案内してくれないかと頼む。少し高めの銭を提示すると、少し迷いながらも、同意してくれた。旅の最中に口説き落とし、当家へ連れていくことにしよう。
船の中で話を聞くと、若者の名は神代勝利というらしい。
あまり、身の上については話してくれなかったが、武者修行中でも、まだ九州から出たことがないらしい。畿内やその周りも行ったほうが修行になるぞと、都や伊勢などの話をすると、目を輝かせて聞いていた。手応えは良いかもしれない。
俺たちは坊津に着き、湊にいた島津家の者に、島津貴久様に面会したい旨を伝えると、伊作城という離れたところの城にいらっしゃるらしい。
結構遠いようで、本日は坊津に泊まり、明日に伊作城へ向かうこととなった。
神代勝利から、何者なのか問われたので、美濃の西村家の者だと言ったが、どこの誰だか知らないらしい。織田弾正忠家のことも九州では全く知られていないようだ。
積み荷が米だと聞き付けたのか、坊津の商人たちが訪ねてくるが、大橋家の家人が対応してくれている。
翌朝、伊作城へ向けて、進物の品を持って出発した。伊作城に着くと、すぐに貴久様の元へ案内された。
同席されたのは、貴久様の父上である日新斎様である。
関白様、久我亜相様、山科言継様、殿の書状を渡すと、貴久様ではなく、日新斎様がご覧になられた。殿がおっしゃった通り、実権を握られているのは、日新斎様なのだろう。
日新斎様は書状を読まれるとひどく驚かれていた。
都のことや殿のことを聞かれたのだが、何故、貴久様のところへと聞かれたので、殿から島津家当主の貴久様と日新斎様の元へ届けるよう命じられたと言うと、何故か喜び始めてしまった。
取り敢えず、進物の品を渡し、米や雑穀を持ってきたので取引したい旨を伝えると、再び喜び始め、全部買ってくれると言う。
今後とも取引したい旨と琉球渡海朱印状が欲しいことを伝えると、快く応じてくれたので良かった。
平手殿も織田弾正忠家も誼を通じたい旨を伝えると快く応じてくれ、弾正忠家にも琉球渡海朱印状を下さるということで、平手殿もお役目を果たせたようで、喜んでいたので良かった。
その後、様々な話をした後、丁重にもてなされることとなった。
しかし、俺だけ何故か日新斎様がお話ししたいことがあると言われてしまった。
もし、そう言われたときに渡す手紙と話については聞いているので、しっかりお役目を果たすこととしよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます