元服

 西村新九郎規秀の養子となることが決まり、早々と養子となり、元服の儀式を執り行った。


 烏帽子親は、養父である西村新九郎規秀ではなく、その父親の西村勘九郎正利であった。

 烏帽子親である西村勘九郎正利から諱を貰い、「西村庄五郎正義」と名乗ることとなった。

 庄五郎は勘九郎が松波氏を名乗っていた頃に使っていた通称であり、西村氏になってからは勘九郎と名乗っていたために使っていなかった。

 自分の通称を継がせたからか、満足げな笑みを組長は浮かべていた。


 元服を終え、家族を紹介してもらった。側室の深芳野殿とその子で、昨年生まれた豊太丸だ。後の斎藤義龍である。

 深芳野殿は、美濃一の美女と言われるだけあって、美女であったが、六尺二寸(約187cm)という身長の高さで、前世は21世紀の人間であっても、思わず驚く大きさであった。

 豊太丸こと未来の斎藤義龍は、色々可哀想な子なので、優しくしてあげよう。



 数日後、守護所の福光館へ土岐頼芸に挨拶へ赴くこととなった。

 土岐頼芸、長井長弘を中心とした頼芸派がいる中で、土岐頼芸に挨拶をする。

 「西村新九郎規秀が養子となりました西村庄五郎正義にございます。土岐頼芸におかれましては、ご尊顔を拝し恐悦至極にございます」


 近衛家にて身に付けさせられた礼法を基に挨拶すると、土岐頼芸は満足そうな笑みを浮かべ、他の群臣たちは響めいていた。


 「庄五郎、大義である。勘九郎よ、新九郎が養子を迎えるとは、何処の家の者だ?」


 「現関白近衛稙家様の庶子にございまする。庄五郎が比叡山へ出家する際に付けられた家人が、新九郎の妾の弟であったことから、某を頼って参られました。」


 私の身の上を聞き、土岐頼芸以下君臣一同が大いに驚いている。


 「な、何と、関白様の御子息・・・。その様な方を養子にするとは正気か?」


  土岐頼芸は顔を青ざめさせながら、西村勘九郎に問う。


 「庄五郎は、城持ちになりたいとのことでした。美濃にも鷹司家の前例がございますが、庄五郎は本来は出家したものの勝手に還俗した身。

 武士にしても近衛を名乗るには、近衛家の承諾を得られるとは思いませぬ。しかしながら、すぐにでも城持ちになりたいとのことでしたので、当家に養子になるならばと申しましたところ、本人も納得し、養子となりました。西村家の者となれば、城を持たせても問題ありますまい。」


 「そ、そうよな。近衛家の承諾無しに近衛を名乗って武士にさせる訳にはいかぬわな。しかし、すぐにでも城持ちになりたいとのことだが、元服してすぐに城を与えるつもりかえ?」


 「まだ初陣を飾ったおりませぬ故、初陣を遂げた後に与えようと思っております。今はまだ頼武様方と争っている最中故、頼武様方の城を奪えば、与える城などいくらでもありましょう」


 「な、なるほど。庄五郎にはなるべく怪我をさせることなく、初陣を飾らせ、城を与えるが良かろう」


 こうして、土岐頼芸以下君臣への挨拶を終えた。

 初陣を飾って、敵方の城を奪えば、城持ちになれると言質をもらつったのでヤル気がみなぎる。


 挨拶を終えると、小守護代の長井長弘以下の家臣たちが挨拶をしてくれた。現関白の実子ということで腰が引けているが、概ね好印象のようだ。

 長井長弘様は、養父上に殺されてしまうことを知っているのだ、可哀想だと思わず同情してしまった。


 最後に挨拶してくれた方は、鷹司正光殿であった。美濃鷹司家(武家)の次男だ。しかし、どこかで見たことあるような極道顔で、悪い笑みを浮かべている。

 美濃鷹司家は鷹司冬基が美濃守護土岐頼忠の娘を妻にしたことで、大野郡長瀬村を与えられ、長瀬城主になったらしい。

 その美濃鷹司家には二人の兄弟がおり、兄の冬明殿は頼武方で、正光殿は頼芸様方らしい。

 しかし、よくよく話を聞いてみると、正光殿は養子で、しかも西村勘九郎正利の次男らしい。要は、養父上の弟である。

 養父一家が美濃鷹司家を乗っ取る気満々なのがよく分かった。


 薄々気がついていたが、西村一族はかなりの血筋コンプレックスなのだろう。日野氏庶流の松浪氏の出である西村勘九郎は特に公家の血筋に強い思いがあるのかもしれない。

 だからこそ、摂家鷹司家の分家である美濃鷹司家に養子を送り込み乗っ取ろうとしたり、現関白の近衛家庶子である私を西村家の養子に迎えたかったのであろう。


 西村家が抱える闇に気を付けなければならないと、改めて気を引き締めたのであった。



 西村家の養子となったことで、西村家からも側仕えの者を付けることとなった。どんな人物が良いかと問われたので、京の都にいる頃から弓を鍛練していたので、弓が上手な者が良いと答えた。弓が得意な者がいなければ、次点は馬術で、それ以降は剣術や槍が得意な者を希望した。

 弓と馬術は、公家でも嗜む武術であるため、京にいた頃も鍛練を咎められるどころか、推奨されていたからね。


 数日後、やって来たのは、年上の溌剌とした若者だった。


 「庄五郎、其方が希望しておった弓の得意な者だ。道利が竹ヶ鼻城代になる時に、道利に付けようと思ったが、其方に付けることにした。名は大島甚八という」


 養父上が若者を紹介してくれた。


 「大島甚八光義にございます。若様付きを命ぜられました。よろしくお頼み申します。」


 若者が丁寧に自己紹介してくれたが、大島光義と聞いてビックリした。

 弓の達人で、還暦で織田信長に仕え、関藩主にまでなった男だ。しかも、93歳まで現役で従軍してるハイパー爺である。

 しかし、そんな大島光義は、今は私とは8歳違いな若者である。

 こんな若者を付けてくれるとは、養父上に少しだけ感謝した。

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