福岡と言っても現代の福岡ではない

 大栄3年(1523年)


 近衛多幸丸として生まれ、何れは斎藤正義として城持ちになるからには、今の内に集められるチート牢人たちを家臣にしたい。


 戦国時代の人々に限らず、昔の人たちは信心深い。そのため、通用する手がある。


「父上、昨晩夢に春日明神がお出ましになりました」


 私が放った言葉に父近衛稙家と祖父尚通は驚く。

 春日明神は春日神社の御祭神であり、藤原家の氏神だからな。

 藤原北家嫡流である近衛家にとって、春日明神が夢に出てきたと言うのは大きな意味を持つ。

 父は私に夢の内容を問う。


 「春日明神が夢に出てきただと!?どんな夢だったのだ!?」


 「春日明神は夢の中で仰いました。備前の国の福岡に黒田下野守重隆なる牢人がいるそうです。その者を青侍として召し抱え、私に仕えさせれば近衛家は益々栄えるであろうと。」


 「それは真か!?その者の所在と具体的な名前まで告げるとは、御宣託に違いあるまい。すぐに人を差し向けて召し抱えよう」


 父稙家と祖父尚通はすぐに備前国福岡へ家人を遣り、黒田重隆を捜しに行かせた。


 因みに、福岡と言えば、福岡県の福岡が有名だが、その福岡は黒田家が筑前国を与えられたとき、居城に黒田家ゆかりの地である備前国福岡から名付けられた。

 また、黒田重隆は豊臣秀吉の軍師で黒田官兵衛の祖父である。



 数ヶ月後


 私の目の前には1人の若者がいる。


 「黒田下野守重隆にござりまする。この度は、春日明神の御告げを若様がお受けになられたとのことで、近衛家に召し抱えていただくこととなりました。若様にお仕えせよとのことですので、身命を賭してお仕えさせていただきます」


 「あぁ、よろしく頼む」


 以後、黒田重隆は多幸丸付きの青侍となった。

 重隆の父である黒田高政は永正8年(1511年)の船岡山合戦に六角方として参戦したが、六角高頼の命に背いて抜け駆けしたことから、前将軍足利義稙の怒りを買って追放され、親族を頼って福岡に行ったらしい。

 義稙公は先年、将軍職を追われ淡路に下向しているので、特に問題ないようだ。既に妻帯しているらしい。しかも、京にやってくる途中で妻の妊娠が発覚したとか。福岡の町では生活に困窮していたらしく、近衛家からのスカウトに即座に了承したようだ。


 流石、黒田重隆は黒田官兵衛の祖父であるからか、とても優秀で、公家に仕えるために様々な知識が必要であるが、スポンジが水を吸うかの如く有識故実を身に付けていった。


 本来なら、播磨で小寺家に仕えることになり、孫の黒田官兵衛が秀吉の配下になるのだが、歴史改竄しても問題なかろう。

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