神様として迎え入れて ~ 怪異譚は眼帯の巫女とたゆたう ~

佐久間零式改

神様として迎え入れて




 都内の一等地にその武家屋敷は存在感を示すようにして建っていた。


 江戸時代から残る黒塀に囲まれていて、当時のままの姿で平成が終わろうとしているのにも関わらず、ずっとそこに建っていた。


 その武家屋敷の二十畳以上もあろうかと思われる表座敷には、鯛の塩焼きを筆頭に豪勢な料理が漆塗りのお膳に載せられて多数置かれていた。


 表玄関から入ると何故か鳥居があり、その鳥居をくぐさった先に表座敷がある。


 その表座敷の先には御寝所、御居間、御化粧の間、それと、小さな社などがある間取りだ。


 表座敷までが来客用のスペースであり、そこから先の御寝所などは住居スペースとなっている。


 巫女服を着て、神楽鈴に両手を添えて持っていた稲荷原流香は表玄関から入り、鳥居をくぐり、料理が並べられている表座敷へと歩を進めた。


 左目には眼帯をしているからか、右目だけがせわしなく動いていた。


 表座敷に入ると、入り口のところで流香は正座をした。


「……お待たせしました」


 流香は頭を垂れて、深くお辞儀をする。


 すると、御寝所の方のふすまが開いて、腰の辺りまで伸びた黒髪の少女が表座敷へと入ってきて、何も言わずにお膳の前に立った。


「鯛のお頭がある。今日はめでたい日なのか?」


 長髪の少女はじいっと皿の上に盛られている鯛を見つめる。


「はい。今日が丁度三周年です。これをめでたいと言わずに何をめでたいというのでしょうか? めでたい日ですので、語呂合わせで鯛を用意しています」


「三周年……。そうか、三周年か」


 長髪の少女はそう呟いて、膳の前で正座をした。


「食べてもいいのか?」


 視線は鯛に釘付けになっていた。


「はい。睦生里乃むつみ さとの様のために用意した料理です。ご賞味ください」


「他の料理は何?」


 他の料理の名を知らないかのように睦生里乃は言う。


「新潟県産のコシヒカリのご飯。長寿を願っての伊勢エビのお味噌汁。健康を願っての北海道産の黒豆。喜ぶの言葉にかけての昆布巻き。子だからと子孫繁栄を祈っての数の子。細く長く幸せにときんぴらごぼうを用意しています」


 流香は頭を下げたまま、そう説明をした。


「縁起物を揃えたのか」


「はい。睦生里乃様のためと思いまして」


「忌み子と言われた私に幸せになれというのか?」


 睦生里乃は並べられている料理に魅入られていたまま、誰に訊ねるわけでも無く、確かめるように言う。


「幸せになる権利は誰にでもあります。睦生里乃様とて例外ではありません」


「……こんな私でも良いのか」


「その気持ちを伝えたくて、三周年にあたり、このような宴の席を用意したのです」


「しかし……」


 睦生里乃は料理を名残惜しそうに目で追いながら顔を上げた。


 そして、思いを断ち切るようにして、流香に視線だけでは無く、顔を向けた。


「祝うのは、お前一人だけか? 家の者はどうした? やはり私を歓迎していないのではないか?」


 流香への視線が鋭くなると、睦生里乃の目が即座に充血してきて、真っ赤に染まった。


「睦生里乃様に神様になっていただくよう提案したのは私でしたので、まずは私が挨拶すべきかと思いまして。家の方々もすぐに参列します」


 その言葉が合図であったかのように睦生里乃が入ってきたふすまが開き、この家の者達がぞろぞろと表座敷へと入ってきた。


 おのおの、取り決められていたワケでもなく、睦生里乃がいる席以外のお膳の前に正座をした。


 住人には睦生里乃の姿は見えてはいない。


 しかしながら、気配だけは感じているようで、睦生里乃のいるお膳の前だけには座りはしなかった。


「それでは始めましょう」


 流香がようやく顔を上げた。


「まずは私の神楽を睦生里乃様に奉納します」


 手にしていた神楽鈴を一振りして、鈴の音を響き渡せると、武家屋敷の外で待機していた人々が神楽笛、篳篥、和琴、笏拍子を奏で始める。


 流香はすっと立ち上がり、流すような足取りで表座敷の中央まで行くと、音楽に合わせるようにして神楽を披露し始めた。


「……良いのか? 私などにそのような舞を奉納しても。私は……忌み子だぞ?」


 睦生里乃の目は稲荷原流香に貼り付いていた。


「睦生里乃様が例え忌み子であろうとも、例え虐殺された後に祟り神になった者であろうとも、この家を守る神様として迎え入れられたのです。睦生里乃様は神楽を奉納すべき神であり、ご馳走でもてなすべき神であるとも言えます。故に卑屈になる必要などありません」


 明治時代に入ってすぐの頃、この武家屋敷は元々住んでいた武士からとある商人に売り払われた。


 その商人が屋敷に住み始めてすぐの頃、末娘であった睦生里乃が何者かに陵辱された上、犯された後の姿で河原に晒されていた。


 もちろん生きたまま。


 その事実を知った商人は誰かに恨まれている事を察知して、恨みを『』であろう睦生里乃を『』として座敷牢に閉じ込めた。


 そして、祈祷師などに依頼をして、商人、強いて言えば、商売に向かっているであろう恨み辛み嫉妬などを睦生里乃に向かうような仕掛けを施した札を屋敷の至る所に貼ったのだそうだ。


 恨み辛みなどといった感情を傷物となった睦生里乃に向かわせる方がいいと思ったのだろう。


 だが、そんないかがわしい札が効力を発揮するはずもなく、何かよくない事が起こる度に、役立たずだと罵りながら睦生里乃を折檻したのだという。


 日々の暴力と閉じ込められていたストレスが祟ってか、睦生里乃は十四歳になった頃、死去した。


 その死後、祈祷師達がおさめた札が作用してしまったのか、睦生里乃の魂は祟り神としてその武家屋敷に留まってしまった。


 住んでいた親、兄弟だけではなく奉公人などを呪い殺し、その後は、この屋敷を買い取って引っ越してきた者達を呪い殺し続けた。


 そして、三年前、新たにその屋敷を購入した者達に不幸が続いた事もあって、祟り神を討伐するための退魔師として、稲荷原流香に白羽の矢が立った。


『あの祟り神との共生の道を選ぶのはどうでしょうか? 祟り神ではなく、信仰の対象として迎え入れるのです』


 例の御札の影響で強力な祟り神となっていた睦生里乃を退治できないと感じ取った稲荷原流香は、菅原道真の祟りを鎮めた方法と同じように睦生里乃を神として迎え入れることを提案した。


 半信半疑だった人達を説き伏せて、館内に鳥居を作らせ、屋敷の奥には社を置かせた。


 それから今日が三年目であった。


 武家屋敷を購入した者達が毎日のように訪れ小さな社に参ったりして、睦生里乃を信仰するようになると、不思議な事に不幸な出来事が起こらなくなっただけではなく、小さな事ながらも幸運な出来事が起こるようになっていた。


「睦生里乃様は神様なのですから、もっと自信を持って良いのですよ」


 神楽が終わると、睦生里乃に対して一礼をした後、流香は笑いかけた。


「……私は神様なのか? 忌み子ではないのか?」


 半信半疑といった表情を出して、睦生里乃が言う。


「忌み子ではなく、睦生里乃様は神様です。正々堂々と振る舞い、笑顔を振る舞えば、神様としてもっと崇められることでしょう」


「……笑顔か。忌み子の私にできるかな?」


 睦生里乃は流香に言われたからか、ぎこちない笑みを浮かべた。


 それは、出会ってから流香が初めて見た、睦生里乃の笑顔であった。



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