「世界の全てが海に沈んでも」【サメ・ディストピア・モデル】

 世界の全てが海に沈んだのはいつ頃なのだろうか。

 時代が進んでいく毎に、世界の海面は日に日に上昇していった。

 全て、と表現したのはやや話を大げさに言ってしまったかもしれない。

 世界の地表は、かろうじて残ってはいる。

 しかし、昔の人々が最後の悪あがきとして地上高くに残したシェルターがいくつか残っているだけだった。

 もはや茶色の地面があったことなど、誰も知らない。

 知識という形の無いものだけが、親から子へと語り継がれているだけだ。

 私たちにとって、地面とはコンクリートと昔は呼ばれていた人工物で、それはもはや緑のコケに端々が包まれている。

 そうして何とか必死に私たちが生き延びている間にも、海面は年々上昇しており、残された143人はなんとか試行錯誤を繰り返しながら、少しでも長く生きる事に力を注いでいた。

 そんな私たちが、海で隔てられたシェルター間を移動するために使用するのが、プラスチックで作った乗り物だった。

 乗り物、と表現するにはそれはいささか心もとないものだったが、それでも私たちの生活には無くてはならないモノ、だった。

 遠い過去にはこのプラスチックがゴミとして街中に捨てられていたり、それこそ海にペットボトルと呼ばれていたものが投棄されていたりしたらしい。

 そんな風に海を汚して来た罰としてだろうか。

 いつしか世界は海に飲み込まれてしまっていた。

 人類の自業自得といった感じだ。でもそれでこの世界に今生きている私たちが不幸を被るのは納得がいかない、というものだ。


 と、まぁそんな風に愚痴を言っていても始まらない訳で。

 私は、プラスチックを繋ぎ合わせ重ね、浮力を強化する仕組みを施した『ボトル号』で隣のシェルターへ移動することにした。

 ボトル号と名付けたのは幼い頃の私で、当時の私はお祖母ちゃんから聞いたペットボトルで文書のやり取りをしていた、という『ボトルメール』の話が好きだったからだ。

 もはや世界のほどんど全てが海になってしまった私たちの世界で、その『ボトルメール』を流してしまったら、一体誰が拾ってくれるのだろうか。

 答えは分からない。誰にも想像がつかないだろう。もちろん私にも。


***


 私は隣のシェルターからお使いで頼まれていた品物の受け渡しと自分の依頼していた物を回収した。

 私が隣マチに住んでいる幼馴染に依頼したのは、布とペン、だった。

 布はボロ切れみたいな、汚いものだったけれどそれでも貴重品だ。私は日々貯めている金銭の代わりとなる平べったい丸状のガラスを、この時に全て使う。

 幼馴染はいつも不思議そうな表情を浮かべて使用用途を聞いてくるが、私はそれに一度も答えた事はない。

 品物をボトル号に積み込むと、隣マチを出る事にした。

 移動の際に注意しなければいけないのは、海に住む生き物だ。

 人類が衰退してからも、海の生き物は健在だった。

それはそうだ。だって彼らの世界は広がっていくばかりなのだから。

その中でも特に危険な生き物は『サメ』だった。

奴らは人の血を好み、人間とみると牙をむいてくる。

だから私たちはその対策として武器を持ち、彼らの気を引くための生き血玉を用意して船旅に出る。

私の請け負っている仕事はそういう『危険』と隣り合わせの仕事なのだ。

でも、私はいつこの命を失くしても良いと思っている。

 だから、誰もが嫌がるこの仕事を喜んで受けるのだ。


***


 自分の家に無事今日も帰り着くことが出来た。

 一息ついた私が手にしたのは受け取ったばかりの布とペン。

 正座をした自分の太ももくらいの高さしかない机に向かって、ペンをとる。

 書くのは誰に当てたわけでもない手紙だ。

 みんなが想像もしない、考えた事もないであろうボトルメールを海に流すことが私の生きがいだった。

 私の両親は津波に流されて死んだ。

 最初はその両親に届いて欲しいという気持ちで流していた手紙だが最近は取り留めもない内容を書いている。

 そして、私は今日もそれを海に流すのだ。

 それが私の生きる上での楽しみだったから。


***


 ある日、私のシェルターで大事件が起きた。

海に面している場所に、人型の……しかし鱗をまっとた生き物が上陸してきたからだ。

それは、他に仲間を連れておらず、単体でやってきた。

そして、ソレはパニックに陥っている住民に尋ねたのだ。


「シズクという人間はいるか」


 未知の生き物から呼び出された私は、意味も分からぬまま波打ち際で彼女と話をする事にした。


***


 彼女はミサキと名乗った。私たちの言葉は通じるようで、会話は問題なく行う事が出来た。

 そのことで安心をした私は、彼女の話を静かに聞いた。

 ミサキは海中で生きられるように進化した生物のようだ。

 海の中にはそう言う仲間が他にもいるようで、その人類は海の中に沈んだモノたちで文化を学んでいるらしい。

 だからコミュニケーションが取れるのだという。

 彼女はおもむろに自分の口元に指をかけた。

 大きく広げられた唇の間には立派に尖った牙が閃いていた。

 ミサキは私たちが恐れるサメと同じ遺伝子を持っているらしい。

 それでも私は彼女が怖くは無かった。

 なぜだろう、と考えたがその答えはとても難しかった。

 ただ、私は彼女がとても美しいヒトだと思った。

 昔の人類の残した透明の板に美麗な女性がプリントされていた、それを思い出した。

 過去には『モデル』という美しさで人に気力を与える人物たちがいたらしい。

 思春期に宝物のように持っていた、その板の女性に彼女はよく似ていた。

 そこまで思いを巡らせようやく気付いたのだ。

 私は彼女に一目惚れをしてしまったのだと。


「貴女の事は分かった。けれど、貴女はなんで私の名前を知ってるの?」


 尋ねるとミサキはおもむろにあるモノを取り出した。


「それは、シズクがいつも私に手紙を書いてくれていたからだよ」


 彼女が手にしていたのは私が日々送っていたボトルメールだった。

 しかも彼女が持っていたのは随分昔に流したものだった。


「私はずっとシズクの手紙を読んでいたよ」


 彼女は言った。最初に受け取ってから、毎回流れているボトルを拾っては集めていたと。


「探すのは簡単だったよ。中に布が入れられて流れているボトルなんてそうそう無いからね」


 そう言って彼女は肩をすくめた。「それに私泳ぐの得意だし」と得意げに付け加えて。


「私、シズクに会いたかったんだ」


 彼女は真っすぐにそう言った。そして


「これからもっと仲良くしたい」


 と、私の目を見つめたまま告げた。

「でも……」と口ごもる私に、彼女は更に言葉を続ける。


「この地上にいる人たちもみんな、海の中にくればいいのに」


 そんな風にぼやく彼女の言葉に私は目を見開いた。


「そうか」


 私たちは日々行き場がなくなっていく地上で生きる事しか考えていなかった。

 しかし、そうだ。海は世界中に広がっているのだ。

 ミサキのようなヒトも生きている。何か工夫をすれば、私たちも生きていけるかもしれない。

 だったら、その可能性にかけたいと、私は思った。


 きっと人々は無謀だというだろう。

 しかし私にはもう、一つの奇跡が起こったのだから。

 誰にも届かないと思っていたメッセージが届いていた。しかもそのヒトが迎えに来てくれた。

 今の私にもはや無理だと思う事は無かった。

 信じて何かをしてみれば、それは叶うかもしれない。

 むしろ何か行動を起こさなければ、叶う事はない。


 そうして、その日から私の生きがいが変わった。

 一つは人類を救うために研究を始めた事。

 もう一つは時々海から上がってくるミサキと海を眺めながら話をする事だ。


 今日もミサキと並んで見る海は穏やかで、どこか遠い海面でサメの背びれが光ったが、それはもう恐怖の対象ではなくなった。

 海風が私たちを撫でて吹いていく。

 世界が全て海になった時にも、私とミサキが並んで共に居られると良いのに、と思った。


-END-

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