私たちには記念日が多すぎる
近藤近道
私たちには記念日が多すぎる
あの頃の私は有名な短歌に憧れて、七月六日にサラダを作ったものだった。
大学生になって始まった一人暮らしと、入学後すぐにできた彼氏。
全く新しい生活に浮かれていた私は、憑りつかれたかのようにサラダを山盛りにした。
レタスをベースに、イカやタコやエビをたくさん載せて、さらにワカメでより高い頂を作る。
サラダ記念日と似たようなことをしてみたからサラダ記念日記念日。
短歌のフレーズとは違うけれど「まるでメインディッシュみたいなサラダだな」とコメントを引き出すことに成功した。
それがとても嬉しかった。
私は芸術作品と同じように生きていける。
この人生は美しい人生なんだと感じられた。
でも私たちのサラダ記念日記念日は十一音で、短歌にするにはリズムが悪かった。
おまけに「まるでメインディッシュみたいなサラダだな」は十八音で、彼のセリフまで破調だ。
だからなんだろう。
付き合い始めてから三周年を迎える私たちの恋愛がうまくいっていないのは、たぶん最初からリズムがいびつだったからなのだ。
それからも私は毎年、サラダ記念日にサラダを作った。
一周年の時は良かった。
去年もこんなことしたね、って笑い合うことができた。
でも二周年の時にはもう「なんでこんなことしてるんだろう」って冷静になってしまった。
そして三周年。
「何度見てもこの量は凄いな」
と言う彼の顔はカカオ99%くらいの苦笑いだった。
きっと私たち、別れるんだろうな。
そう予感しながらも決定的な破綻は起こらなくて、七夕や彼の誕生日や豆腐の日やクリスマスが過ぎ、年が明けた。
二月二十二日は猫の日だ。
この日も記念日だった。
三年前、猫の日だからって猫の動画を三時間ぶっ続けで一緒に見たことがあった。
一度見始めたら夢中になって、次から次へと動画を見て、ぶさいくな猫を探した。
でも次の年からは、三時間という記録に縛られるようになってしまって。
本当は猫にそんなに興味ないのに、動画を見続けなくてはいけなかった。
正直、苦痛だった。
サラダ記念日記念日に限らず、そういう馬鹿な積み重ねを私はたくさんしていた。
今年はどうしよう。
また三時間も見るのは、嫌だな。
でも記念日だから。
そう悩んでいたら、
「今日、猫の日だろう」
と彼が言ってきた。
「そうだね」
「今年は猫カフェに行かないか」
でもそれだと、今までと違うことになっちゃう。
それでも、今年も猫の動画を三時間も見る羽目になるよりかは、ずっと楽だろうから。
「そうしよっか」
と私は答えた。
猫カフェで、彼は優しい手つきで猫を撫でる。
時計の振り子のように一定のスピードで繰り返し猫の背中を撫でる手。
彼も猫もその反復に退屈せず、気持ちよさそうにしている。
三年ぐらい前なら、私の体もそういうふうに愛されていたような気がする。
私の足元にも、白い猫が一匹、じゃれついてきた。
私はその猫を眺める。
手で触ったりはしない。
実は動物に触るのが苦手で、これ以上の触れ合いはちょっと怖い。
「猫って可愛いよな」
と彼は言った。
「そうだね」
「でも俺、そんなに好きじゃないんだよな、猫」
私はびっくりして、彼の方を見た。
彼はさっきと変わらない手つきで猫を撫で続けていた。
好きじゃなくても猫を撫でられる人なのか。
私が持っていないルールが彼にはあることに今更ながら気付かされる。
そして本当に今更だと思った。
「俺たち、別れないか?」
その言葉を聞いても、別に時間が止まったりはしなかった。
時計の針の速度は相変わらず私の知っている一秒を刻み続けて、猫を撫でる彼の手も私の心拍も精密に同じペースを維持していた。
別れるしかないだろうってことはわかっていた。
むしろ私から切り出そうとすら、思っていたくらいだ。
だけど一つだけ、お願いしたいことがあった。
「ねえ、できればその話、九月十日まで待ってくれないかな」
と私は言った。
「なんで?」
「私、初めてできた彼氏と別れたのが九月十日だったの。だから、失恋する日は」
「そういうところに疲れたんだよ」
彼は猫を床に下ろすと、帰ってしまった。
今日は失恋の日じゃないのに、失恋してしまった。
この間のバレンタインデーにチョコを渡したばっかりだったことを私は思い出した。
今年のホワイトデーは、チョコのお返しは来ないだろう。
私たちの記念日はぐちゃぐちゃに崩壊した。
その翌々日だった。
私は後輩から、チョコを渡された。
後輩は、
「先輩のことが好きです。付き合ってください」
と告白してきた。
別れたばっかりでこんなことある?
って思ったけど、あるのか。
失恋を友達に報告したのが、噂になって広まったのだろう。
それで前々から私を狙っていた後輩が告白を決意。
たぶんそんな感じのストーリー。
でもチョコを渡して告白って、変じゃない?
「今日はバレンタインデーじゃないよ。バレンタインデーだとしても、男の子から渡すもんじゃないと思うけど」
「変ですか?」
そうです、とは答えにくい。
告白されて悪い気はしないし、私は差し出されたチョコを受け取った。
「とりあえずもらっておくよ。オッケーってわけじゃないけど」
と私は言う。
「ありがとうございます!」
後輩は、体を直角にするかのごとく深く頭を下げた。
深く下げられた後頭部を見ながら、私はおかしなことを考える。
記念日がぐちゃぐちゃに崩壊した記念日は、おとといなのか、それとも今日なのか?
どちらにしたって、それをスケジュール帳に書き込めば再び苦しい恋が始まる。
記念日はもういらない。
何周年とか数える必要もない。
「もし君のことが好きになったら、その日がホワイトデーじゃなくてもチョコを返すよ」
と私は言った。
私たちには記念日が多すぎる 近藤近道 @chikamichi
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