Chapter 2:Be True to The Game

2-1 Only Easy Day Was Yesterday pt.1


 ♡.


 ジャックと別れた後、桜は自身のセーフハウスを目指し、朝焼けで淡くブルーに色付けされた街に私用車を流す。助手席に座った陽菜子とは特に会話も交わさぬまま、黒鎧こくがいのアジトから10分ばかり走らせてようやく目的地に到着した。


 「着いたぜ。クソみたいなボロ屋で申し訳ないが」


 そう言って桜は咥えたタバコに火を灯す。彼女には陽菜子が件のセーフハウスとやらの有り様を目の当たりにして顔を引きつらせているのが見なくてもわかった。

 横っ腹にペンキが剥がれているせいでかろうじて“藍花荘”と書かれているのが見えるその長屋は、蹴ったら倒れそうな程に朽ちた外見をしていたる所に蔓が伸び、朝が始まろうとしているにも関わらずそこだけ綺麗に切り取ったかのように真っ暗で廃墟と勘違いした若者が肝試しに来てもおかしくない程、人の生活感を窺うことができなかった。


 「なんというか・・・ すごい所ですね」

 「だろ?私以外にも白い着物着た幽霊ルックのオバサンが風呂に住んでるから仲良くしてやってくれ」

 「え゙っ゙!」

 「冗談だ。だがゴキブリとかネズミとかいう愉快な仲間達が確かに住んでる」

 「は、はは」


 苦笑いする彼女を見て、桜も同じような笑みを浮かべると車から降りる。そして彼女はガラスにヒビが入った格子戸の鍵を開けると、中に入った。陽菜子もそれに続く。

 戸をくぐった瞬間、室内からはヤニと古びた木造建築の臭気が混じり合った匂いが鼻を刺し、一歩進む度に床はギイギイと軋む。桜の手前、そんな事を口に出す事はできなかったがしばらくここで生活する事になると考えると陽菜子はやや不安になった。

 桜はリビングに入り、電気をつけると即座に所々が破れて綿が飛び出したソファーに仰向けに倒れ込んだ。


 「あー・・・眠・・・」


 桜はそう呟いてタバコの煙を吐き出す。副流煙が満たす室内で、そんな彼女の指示を待つように陽菜子は正座した。

 ソファーの前に置かれたガラステーブルの上には吸い殻が満員電車のように詰まった灰皿やビールの空き缶が散らばっており、室内のいたる所にはゴミ袋が置かれて桜のずぼらな性格を表している。彼女は桜が所属していたという自衛隊は整理整頓にはうるさい職場だというイメージがあったので、本当に桜は自衛官だったのだろうかと首を傾げたくなった。

 しばらく陽菜子はそんな様子の彼女を眺めていたが、やがて桜は咥えタバコのままむくりと起き上がった。


 「よっしゃ!寝る前にまずは風呂に入ろうぜ。背中流してやるよ」

 「ええっ!一緒に入るんですか!?」

 「え、嫌か?女同士なのに気にする事ねえじゃん」

 「い、いやそんなことは・・・でも・・・」


 そう言って赤面する陽菜子に桜は不思議がるような表情を浮かべたが、陽菜子がジャックと別れる前に言っていた“好きな女の子がいる”という百合百合なセリフを思い出してなんとなく合点がいった。だが逆に桜にはそんな彼女をからかってやりたいという悪戯心が芽生える。


 「いいじゃんいいじゃん!オッサンと入る訳じゃねえんだからさ。え?もしかして風呂嫌いなの?乙女じゃないね〜」

 「えっ、そんなこと・・・!」

 「ならレッツニューヨーク!着替えは用意してやるから文句言わずに入ろうぜ!」

 「は、はい・・・じゃあまずはこの眼帯を外さないと―――」

 「―――――!」


 そう言って陽菜子は自分の右目を隠す眼帯に手をかける。


 「ばっ、馬鹿、やめろ!」


 桜が制止しようと手を伸ばした時には遅かった。眼帯に覆われていた真紅のまなこが露わになった。


 「えっ」


 その刹那。気まずい沈黙が世界を包んだかのように思われたが、それは即座に陽菜子の悲鳴によって破られる。


 「ぃ、嫌ァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!」


 陽菜子は天を仰ぐようにして、喉が裂けてしまいそうな勢いで絶叫した。


 「畜生ッ!」


 桜はソファーから飛び退き、きつく抱き締めるようにして叫び続ける陽菜子の右目を塞いだ。


 「嫌ッ!嫌ァァッ!!あっ、ああッ」

 「大丈夫、大丈夫だ。私が側にいてやる、離れないから。深呼吸して何も考えるな」

 「んっ、んぐっ、ああっ」


 毒杯を仰ったかのように苦しむ彼女を桜はただ抱き締めて優しい言葉をかける事しかできなかった。彼女がその“赤い眼”を通して何を見たのか、桜には想像する事さえも難儀であったから。

 そんな時間がどれだけ続いただろうか、やがて嗚咽を漏らしていた彼女が鼻を小刻みに鳴らすだけになり、緩やかに肩を上下させ始めたのを桜は自分の胸の中で感じ、安堵のため息をついた。


 「大丈夫か?」

 「うっ、うっ」

 「私はその感覚を共有してやれないが―――怖かったな。私もその事をキツく注意してなかったのが悪かった。よし、少し体を離すから右目を閉じて、絶対に開けるな」


 そして桜は床に落ちた眼帯を拾い、涙が滲む陽菜子の右目に被せた。


 「今日の事も、今起きた事も全部思い出さずにさ。落ち着いたら風呂に入りながら面白い話でもして忘れようぜ。君の話を他にもいろいろ聞かせてくれ」


 鼻を鳴らしながら頷く彼女を、桜は微笑みを浮かべて優しく抱き締めた。心の中で疑問も抱きしめたまま。『いったいジャックは今までクソ忌々しいこの眼で何を見てたんだ?』と。


 

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Jackdaw(s). 赤首山賊 @mypoetryforpain

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