起きる

洗井落雲

1.

 何らかのタイミングで僕が眠った時に、僕は起きる。

 言葉遊びではない。ありのままの事実だ。僕は夢の中で、別の人生を送っていて、その人生の中で生きる僕として、目を覚ますのだ。

 夢は第二の人生、と、昔何かの漫画で言った。だからこれは、僕の第二の人生なのだろう。夢の中の僕は、誰からも好かれていて、これと言った失敗や挫折のない、幸福な人生を送っていた。取り立てて努力もしていない。地力と、幸運によって、幸せに生きていた。

 対して現実の僕と言えば、取り立てて何の魅力もない、くずのような人生を送っていた。努力をしているのか、と聞かれれば、NOだろう。僕のした努力など、世間一般の人間のやる努力などとくらぶべくもないのだ。唯一のとりえ……いや、『もっとも努力をしないで済む、現在を変える方法』として、こうして小説を書いてみたりするが、そのどれもが鳴かず飛ばず、酷評されることはあっても、好意的にみられることは無い。

 はっきりと言えば、現実の僕の人生は完全に詰んでいる。誰が悪いのか、と言われれば、僕が悪いのだ、としか言いようがない。僕が、人の営む社会に、まったく適応できない、心底のくずのような人間であるのがいけないのだし、それを治そうと努力することすらしないのだから、まったくもって、軽蔑の対象であるし、救いようもないのだ。

 僕は早く眠りたく、ずっと起きていたいかった。起きていたくなく、眠っていたくなかった。眠ることは、僕の楽しみであり、また憂鬱でもあった、ということだ。眠るというのは、僕にとっては、二つの人生のスイッチである。成功体験の多い夢の世界に影響されて、現実でも少しばかり頑張ろう……となればいいのだが、そういうわけにもいかず、むしろ現実のみじめさを強く実感させられるだけだ。 

 夢の世界は、おそらくではあるが、ただの僕の願望なのだろう、と思う。僕の脳が作り出した、まったくの、虚構の世界だ。

 何故なら、心底どうしようもない奴は、たとえ世界を変えて、能力を変えたところで、何も成功はしないからだ。人間の居る世界、人間の築き上げた世界に行くのならば、どうしたって他人と接しなければならない。常識が変わろうが何だろうが、他人が規定した世界に適応できなかったようなやつが、他人が規定した別の世界に行ったところで、適応できるわけがないのだ。

 それなのに、僕は、芯のところでは何も変わっていないのだが、夢と現実で、180度ひっくり返った生活を送っている。となればこれは、僕にだけ都合のいい虚構であり、脳が行う現実逃避であるのだ、と考えた方が自然だ。

 だが――それがなんであるというのだろうか。現実逃避。それの何が問題なのだ?

 生きていくのすらつらい現実があって、幸福な虚構が存在するとして、それで虚構を選んではいけない理由とは何なのだ?

 虚構に価値はない、現実を見なければならない――と、しゃらくさい言葉を喚き散らす奴がいる。いや、それはきっと、事実なのだろう。そういう人たちにとって、現実とは、価値のあるものだ。

 あるいは、そういう人が、他の誰かにとって価値がある、という事だ。その人物が、虚構にすがることで、現実――人間社会の損失が発生する。その損失の度合いは、人の持つ価値で決まっていて、大多数の人が、ごく普通に、当たり前に持っている価値を、僕は全く、持っていない。

 死んだところで誰も困らない、というやつだ。家族や友人は少しばかりのショックを受けるかもしれないが、それだけだ。現実に与えるだけの価値を、僕は持っていない。

 逆に言えば、僕にとって、現実とは価値がないのだ。努力の果てに手に入れる成功も、苦難の果てに得られる快楽も、僕には価値がない。僕はそんなものを持っていないし、そしてそれを得ることもないからだ。持っていないものに、価値はない。持っていないのだから。

 『何の苦労もせずにえらえる成功に価値があるのか?』とか、『自分が楽をして得ただけの成功に価値があるのか?』とか、そう言う言葉があるかもしれないけれど、僕は、むしろ、それを『卑しい』『むなしい』とする考えが、理解できない。

 成功は、成功である。どんな道のりを歩んでいたとしても。

 幸福は、幸福である。どんな過程を経たとしても。

 現実だから素晴らしいとか、虚構だから空しいとか――そんなものは、どうでもいいのだ。

 だから僕は、永遠に夢を見ていたい。

 永遠に虚構の世界で、幸せに過ごしていたい。

 人は、幸せになるために生まれたのだ。

 現実で幸せになれないなら、現実で生きている意味など、ないのだ。

 永遠に夢を見る方法を、僕は発見した。

 脳幹をちょこっと、傷つけてやればいい。

 そうすれば、体の全神経が遮断される。

 現在の身体というデバイスとの接続を、切れるのだ。

 そうなれば――それは、夢を見ている状態と、同じだ。

 右眼球、眉間に最も近い部分から、まっすぐ、脳の奥へ15cmほどの針を突き刺す。

 それで脳幹を、切れる。

 失敗したら――それはただ、死ぬだけだ。でも死ぬことに、何のデメリットもない。だってただ、死ぬだけなのだから。

 僕はベッドにあおむけに横になって、眉間に向かって、針を向けた。

 ゆっくり、慎重に――針を近づけていく。

 この針がその奥まで突き刺さった時に、僕は眠って。

 そして最高の目覚めが待っている。

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起きる 洗井落雲 @arai_raccoon

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