第3話 新米刑事、射撃練習をすること
射撃レーンは個々人のレーン間で仕切りがされたされており、使っているのがバットではなく銃であることを除けば、ほとんどバッティングセンターだ。射撃位置から少し下がってみると隣のレーンでほかの警官が射撃練習をやっているのが見えた。真剣な表情だ。犬上より幾らか年上だろうその男の狙う先にある的は、胸や腹に穴が空いていて、犬上と命中精度はあまり変わらないようだ。
さらにその奥のレーンでは、若い女性が射撃練習をしていた。身の丈は、女性としては低くはないほうだろう。筋力だって、警察官なら女性の平均よりはあるはずだ。それでもそのか細い腕を水平に保ち、狙いをつけ、引金を引いてその反動に耐えるというのは、重労働なのかもしれない。真剣な表情は変わらぬものの、的に空いている穴は隣の男よりも散らばっているように見える。
改めて自分の的を見直して見ると、少なくとも現在まで全ての弾は的に突き刺さっていたし、おおよそ狙い通りであった。センスの問題ではないだろう。現代技術できちんとした生産ラインに乗って製造された銃なのだ。精度が良いから、しっかり狙って引き金を引けば、それは当たる。力がなければ、しかし、その「しっかり狙って引き金を引く」が難しい。銃を水平に構え、銃口が揺れないように狙いをつけ、そのまま固定し、引き金を引く。そのためには筋力がいる。そういうことだ。銃は一見して男女の区別がない道具に見えるが、そこにはやはり差があるわけだ——そんなことを考えながら、犬上は己の的への射撃へと戻った。
四発の弾丸を撃ち、残り一発となったところで、銃口を上に向け、改めてその銃身を眺めてみる。これまで銃というものに親しみはなかった。当たり前だ。産まれも育ちも日本で、警察官になってから、初めて触ったのだ。だから射撃練習の機会があっても、自分がちゃんと撃てているのか、狙えているのかがいまいち判らない。いや、射撃の的にはきちんと当たっていて、それが悪いことではないということはわかるのだが、それはあくまで狙って撃てばそこそこの精度があるというだけで、しかし忙しない実戦ともなれば狙うことすら難しいのではないかという気がするのだ。
撃った銃は警視庁採用のニューナンブだ。九ミリ口径五連装のシングル・ダブルアクション両仕様
「デリンジャー相手なら………」
五日前に知った、犬上が赴任する前に起きた事件の報告資料で見た拳銃の名を浮かべる。
デリンジャー。それが敵の名だ。・二二口径二連装ダブルアクション
もしこの手の中のニューナンブと犯人のデリンジャーが、西部劇のような決闘になれば、どうなるか。
それを考えるためには、それぞれの銃の比較をする必要があるだろう。射撃訓練で扱うことはあれど、もともと銃に関する知識はほとんどなかった犬上だが、この数日間、暇を見ては署の蔵書を漁り、銃の勉強をしてきた。
まず銃の構造だが、現代の——つまり古い
銃把は銃を握るための部分で、これは見れば機能はわかる。握りやすいように湾曲した形状になっているほか、強烈な爆発と摩擦力によって加熱する銃身の熱を手に伝えぬように、銃身とは別素材になっていることもある。当たり前だが、銃そのものの大きさがデリンジャーのほうがずっと小さいため、銃把も小さい。ほかの何もかもも、だ。だからデリンジャーは隠し持ったり、携帯するのに向くといわれているらしい。
弾倉も読んで字のごとくなのでわかりやすい。弾丸を入れるための場所だ。ただし、ニューナンブとデリンジャーではその動作機能も形状も違う。ニューナンブは回転式拳銃なので、蓮根状の
代表的な拳銃の種類で回転式拳銃と対をなすのが
複銃身式はもっと単純だ。銃身と弾倉を複数持っていて、そこに一発ずつしか弾を込めることができないので、余計な動作は要らない。だがそのぶんだけ、装弾数を削ることになる。回転式のニューナンブなら五発、自動式なら十発以上撃てるのに対し、デリンジャーはたった二発しか撃てないのだ。実戦でいちいち装填している余裕などないはずで、ならばほとんどそれが全弾数のようなものだ。だがいくら装弾数が多いとはいえ、それだけの弾丸を撃ち切ることができるだろうか。銃の貫通力は高く、脳や重要臓器を撃たれれば防御しようもなく、一発で致命傷になる。でなくても、痛みで蹲ったり、持っているものを落としたりするかもしれない。そう考えてみれば、威嚇や威圧などの目的ではなく、決闘のみに目的を絞るのであれば、弾数の差はそこまで致命的にはならないかもしれない。
銃筒も見てのとおりの部品で、弾丸が通過していく筒だ。これがなければ銃弾は真っ直ぐに飛ばないのだが、それは単に筒が真っ直ぐに伸びているからという理由からだけではない。銃弾は恐るべき初速で射出されるが、そのぶんだけ強い空気抵抗を受け、軌道を変える。そのため、昔の先込め式銃は精度が良くなかった。現在の銃はこの問題を改善するために、銃筒の中に螺旋状の溝——
最後に引金、撃鉄、弾丸だが、これはまとまってひとつの動作を行うようなものだ。撃鉄というのはニューナンブのような回転式拳銃であれば、拳銃の背の部分に突き出ている突起のことだ。これが銃の中の槌状の部品と繋がっており、撃鉄を親指で引き起こすと、銃の中では
デリンジャーの場合は背中に突き出た撃鉄が出ておらず、内部の針状の部品が雷管を叩く。この針状の部品は撃鉄とは言わず、
ハイスタンダード・デリンジャーには目に見えるところに撃鉄がないので、ダブルアクションだということがわかる。一方でニューナンブには背中に撃鉄が突き出ており、だからシングルアクションなのだが、実は撃鉄を起こさずに引金を引いても撃鉄が勝手に起きるため、ダブルアクションとしても使える。
引金を引くだけで発射できるダブルアクションの機構があるのに、なぜシングルアクションの機能を残すのかといえば、ダブルアクションには
特にハイスタンダード・デリンジャーではその引金引張力は十一キログラムと凄まじい。これを指一本で引かなければならないのだから、成人男性ならともかく、女子どもでは引くことすら叶わないのではないかという気がする。この重すぎる引金引張力は単純に機構的な問題からだけではなく、引金を覆うようについている
ここ数日で犬上が勉強した銃の仕組みについてはこんなところだ。まとめてみれば、ニューナンブは速射が可能なシングルアクションであり、五連装、しかも故障しにくい回転式拳銃である。相対的に重い点は素早く抜き撃つときはデメリットで、小さくて取り回しの容易なデリンジャーに軍配があがるような気がしないでもないが、限度がある。あまりに小さいと使い辛くなる場合もあるはずだ。たとえば犬上の場合、携帯電話を新しいものに変更したら薄く、小さくなりはしたが、入力ミスをする回数は増えてしまった。
そういうわけで決闘となればニューナンブのほうが有利だ。特にデリンジャーの重すぎる引金引張力は、犯人の足を引っ張るだろう。
(とはいえ、抜き撃つ速さがどうかも無視できまい)
引金引張力だのシングルアクションだのというのはあくまで銃の話だ。銃を撃つのは人間で、その点でいうと、犬上は特に秀でたところがあるわけではない。対してデリンジャーを持つ犯人は、少なくともひとりの人間を既に殺している。殺した経験がある。経験があるというのは、それだけで力だ。相対したとき、果たして自分は勝てるだろうか。抜けるだろうか。撃てるだろうか。やはり一発目が大事だ。速さが。抜き撃つ、早さ。決闘のための早さが。
試しにホルスター代わりにズボンのポケットに一度入れてから、抜き、撃ってみる。弾丸は的から大きく外れた。
「馬鹿」
頭を叩いたのは、同じく射撃訓練に来ていたらしい牛草刑事だった。
「撃ってるときに殴らないでくださいよ」
「いまので五発目だろうが」と言うからには、牛草は犬上の射撃を、少なくともこの五発ぶんは見ていたらしい。「なにやってんだ」
「練習です」
と犬上は拳銃の発射音から耳を守るためのイヤーマスクを外しつつ、正直に答えた。
「おまえ、なに、派出所の頃からそんなことやっちゃってたわけ?」
「今日が初めてです」
「早撃ちは止めろよ。早く抜いて撃っても当たりゃしない」
「実践で銃を撃つ機会はありますか?」
「おれが言っているのは、だ。本当に銃を撃つことだけじゃない。なんでもそうってこと」
ふぅと牛草は大袈裟に息を吐く。彼は既に射撃訓練を終えたらしく、イヤーマスクも銃も持っていない。犬上は、もうすぐ終わると告げてから、射撃訓練に戻った。今度は抜いたまま、両手で構えて、真面目に撃った。弾丸は簡単に的に当たった。
「おまえ、もしかして、銃が撃ちたいから警察官になったとかいうタイプ?」
と射撃訓練場を出てから入ったレストランで昼餉のおろしハンバーグ定食のハンバーグにポテトを載せながら、牛草がそんなふうに問いかけてきた。
白瀬市近隣の警察訓練施設は主に警察官が訓練や講習などを行うための施設だ。だから射撃レーンのほかに、白バイ用の複雑な道路コースや設備の整った講義室、トレーニング用のジムなどがある。もちろんレストランもあって、犬上と牛草が居るのもそこだ。警察職員しか使わないためだろう、値段のわりに量があって、美味い。白い壁は黄ばんでいるし、窓硝子が大きすぎて窓際の席は明るすぎ、席から見える調理場内部はシンクに調理用具や料理に使うのか使わないのか判らない泥のついた野菜が積んであって、あまり綺麗に見えないが、警察寮からもう少し近くにあれば、犬上は毎日ここを利用するだろう。
「べつにそういうわけでは」
と生姜焼き定食の味噌汁を啜ってから、犬上は答えた。
警察官として就職した以上は、定期的な射撃訓練を行う必要がある。結果は記録され、県警や警察庁へ送られるので、一種のテストのような意味合いも兼ねているのだろう。とはいえ、日本で警察官が銃を撃つ機会はそう多くないため、射撃の精度がそう査定に関わるとは思えない。とんでもない大外しさえしていなければ。
犬上は今日、まさしくその大外しをしてしまった。まさか早撃ちの真似事をしていて外してしまった、などとは思われないだろうが、注意不足で不真面目に射撃訓練を行ったとして訓戒か反省文程度なら言い渡される可能性はないではない。
「西部劇とか見て憧れたりしなかったか」
「見たことはあるんですけど、そこまではあんまり。最近勉強しなおして、銃の種類の違いとかわかったくらいで……記憶に残っているのはあれかな、コイン胸に入れてて助かったやつとか、あと決め台詞が、『ベルトとサスペンダーを両方つけてるやつが信用できるはずがねぇ』みたいな感じの」
「それ、決め台詞じゃなくて、悪役の台詞な」
「知ってますか?」
「たぶん……。いや、それはどうでもいいんだが」と牛草は箸を犬上に向けて言う。「じゃあ、さっきの早撃ちの真似事はなんだったんだよ」
「デリンジャーを持った犯人に出くわしたときのことを考えていました………白河さんの事件のことです」
白河
犬上の着任以前に起きたというその事件について、まずは報告書を頼りに事件のあらましを追った。
事件が起きたのは年頭の一月、正月の雰囲気が抜け切っていない寒い日だった。深夜、アルバイト先から帰宅した白河六花は後をつけてきた男に襲われ、逃げようとしたところを斜め後ろから銃で撃たれた。その後、犯人は帰宅してきた彼女の同居人を銃で殺害、逃走した。
犯人像は全くの不明で、単純な強盗・強姦殺人であるがゆえに動機の点で犯人を絞ることが難しかったため、警察の捜査でも目ぼしい犯人像は挙がらず、三ヶ月経った現在でも犯人は捕まっていない。
「彼女は犯人を見ていないのですか」
と、報告書を初めて読んだとき、犬上は牛草にそう尋ねたことを覚えている。なにせ白河六花は頭に一発撃たれたものの、軽傷で済んでいるのだから。
弾丸は死亡した被害者の遺体と壁に残っており、弾丸は・二二口径だった。「・二二」というように頭に点がついている場合、これはセンチメートルとかミリメートルだとかではなく、小数点以下のインチ単位であるということを指す。一インチはだいたい二五・四ミリメートルなので、〇・二二インチならだいたい五・六ミリメートルとなる。警官のニューナンブは九ミリメートル口径なので、ニューナンブの半分より少し大きい程度の弾丸だ。大きければ大きいほど重くなって空気抵抗に負けにくくなるだけではなく、火薬の量もしぜんと増えるため、威力が増す。火薬量は口径だけではなく、弾丸の高さでも調整できる。筍型の弾丸の胴の部分に火薬が入るのだから、その胴を伸ばせばいいわけだ。・二二口径は胴の長さによって、
それでも、傷は残る。
先日、白河の右こめかみに残っていた傷跡は、銃弾の跡だ。傷だけで済んで良かったと、そんなふうに済ませることもできるだろう。だが彼女の傷はそれだけではない。彼女の身体には強姦の痕があり、膣には精液も残っていたのだという。報告書によれば、DNA鑑定では血液型と、これまで登録された犯罪者のDNAとは一致しないことくらいしか判らなかったが、白河の証言があれば、犯人が、少なくとも犯人のおおまかな体格や特徴を知ることができ、犯人像が絞られると期待されていた。だが、報告書には白河のそうした証言は記載されていなかった。だから、彼女は目隠しでもされていたか、暗かったから犯人が見えなかったのか。当初、犬上はそんなふうに思っていて、詳細を牛草刑事に尋ねたのだ。
「というわけではない」
と牛草が返してきたところでは、見たけど覚えていない、と、こういうことだった。
覚えていないとはなんだ、自分に襲い掛かった男を見たというのに、体格も顔立ちも髪型も忘れてしまったなどということがあるものか。己の身体を——命さえも蹂躙されておきながら、その事実は何度も証言できるほどに脳に刻みつけておきながら、ただ犯人の姿だけ忘れてしまうことなどありえるのか、と。
「あるらしいんだな」と牛草は視線を窓の外へと向ける。「医者の話だと、銃で頭を撃たれたのと、恋人が殺されたっていう精神的なショックが重なったのが原因かもしれないってことだった。記憶を失うんだったら事件のことを丸ごと忘れていれば幸せだったんだろうが……あの子は事件の起きたときのことを、一から九くらいまで覚えている。覚えていないのは、本当に犯人に関してのことだけらしい」
曰く、白河六花は犯人に関すること、たとえば外見だとか、言動だとか、声質だとか、服装だとか、そういったこと一切合切が思い出せなくなってしまったらしい。何をされたかは覚えているというのに。
「記憶は戻らなかったんですか?」
「いまでも医者には通ってるらしいよ。効果は出てないみたいだがな」
「詳しいんですね」
「娘くらいの年齢だからな」と牛草は軽く首を揺する。「同居人が殺されて、自分も襲われて、記憶がぶっ飛んで、それで……それで茫然自失になってるのを見れば、心配にもなる」
と、そんなふうなやり取りがあったことを覚えている。警察訓練所の食堂で、犬上は生姜焼きに視線を落として、箸で掻き込んだ。
「あの子の事件のことが、さっきの早撃ちとどういう関係があるんだよ」
「向こうはデリンジャーで、ダブルアクションなうえ引金引張力も引金距離も早撃ちには不利ですが、少なくとも軽いわけでしょう。軽いということは、早いわけでしょう。それなら、同時に抜き合って勝つには、早撃ちの技術を鍛えておくしかないのではないかと思いまして」
「いや、撃つなよおまえ………」
「そういう状況になった場合です。相手が拳銃を持っているのなら、対抗できるのはやはり銃しかないのではないでしょうか」
「おまえ、真面目に言ってんの?」
と先輩刑事に怪訝な顔をされれば、自分でもおかしいことを言っているという実感に深みが増す。当たり前だ。日本の警察官は銃撃戦の想定などしない。銃社会の国であったとしても、決闘めいた早撃ちを想定したりはしないだろう。
「白河さんの事件に関しては、いまはどうなってるんですか?」
と、ひとまず犬上は話題を自身のそれから、気になっていることへと向けた。
「だから、絶望的だよ。報告書は読んだんだろ。被害者は遠距離から銃でやられたが、犯人は手袋をしてたようだから、銃弾と体内に残っていたDNA以外に特定できるような痕跡が残ってねぇ。おまけに犯行は深夜で、隣近所は留守にしてたから、通報が遅れた。目撃証言も何もない」
そうなのだ。犯行そのものは杜撰の一言だったが、その杜撰さに周囲が気づかなかったのが良くなかった。あるいは、犯人は多少杜撰でも犯行が気づかれにくい家を狙ったのかもしれない。
ではどうやって事件が発覚したかというと、頭を撃たれた白河六花自身による通報なのである。彼女は撃たれてから強姦されている間も昏倒していたが、犯人がいなくなってしばらくしてから己の力で起き上がって拘束を解き、警察と消防に通報をしたらしい。
救急車で病院に運ばれたときには既に血も止まっていたという。殆ど奇跡的な怪我の軽さだった。弾丸が肋骨の隙間を通り抜け、心臓を貫かれた恋人のほうはそうはいかなかったわけだが。
兎に角、目撃証言がなく、事件を通報する者もいなかった。成る程、事件解決が難しいわけだ、と犬上は納得した。
「じゃあ、あの人も……もう諦めてるんですかね」
犬上は、白河六花の儚げな様子を思い出して言った。もともと一市民がやる気を出してどうこうなることでもないが、警察の捜査がまったく進展していないとなれば、気が落ち込みもするだろう。牛草の彼女に対する態度も、あるいはその申し訳なさのためなのかもしれない。
だからてっきり、飯を掻き込んでいる牛草からも、「そうだな」だとか、「おまえも気を遣ってやれよ」だとか、そうした言葉が出てくるものかと思った。
しかしおろしハンバーグと付け合せの野菜がなくなり、米と漬け物を口に入れ、味噌汁でそれを流したあとも、牛草の口からは肯定も否定も出てこなかった。
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