【KAC7】恒星船【イカロス16】の受難

星海 航平

第1話

「異常事態発生!」

 それは突然のことだった。

 恒星船【イカロス16】の船橋ブリッジはたちまち混乱状態に陥った。

「ラムスクープ円環トーラス上の広範囲でイオン化装置イオナイザーへの制御信号に対する応答が途絶しました」

「トーラスの自転制御系も異常値を示しています」

「一次および二次の磁気圧縮機MCUの全てで、規定値を超える偏流が発生しつつある模様」

「イオナイザーの無反応領域がブロックGP6673まで拡大しました」

核融合反応炉リアクターの出力波形に不安定な傾向が見られます」

 ブリッジの壁面に設けられた大型ディスプレイに投影された情報の三分の一が緊急事態を示す赤色に染まった。

 当直ワッチの先任である甲板長ボースンのポレジャエフが叫んだ。

「一体何が起こったんだ? 原因を調べろ!」

「今、イオナイザー群からのエラーログを見てます!」

 ラムスクープ・トーラスの保守運用メンテナンスを担当する二等航海士セカンド・オフィサーのモラーフコヴァが喚き返した。彼女がにらんだディスプレイでは、画面一杯に細かい文字列が猛烈にスクロールしている。

「イオナイザーだけじゃありません。トーラスの機器から返ってくる信号はどれも異常だとしか……」

 当直に当たっていたブリッジ要員の中でも最年少の女性航海士は涙目になっている。

 そのとき、レーダー監視員のバゼーヌが大きな声を出した。

船長キャプテン、登橋します!」

 ブリッジに居た六人全員が唯一の出入り口である狭いハッチを振り返った。そこに船長であるチェーが姿を現す。仮眠中だったはずのチェーはジャケットの袖に腕を通しながら、ブリッジ後方に設けられた船長席に歩み寄った。六点式ハーネスのある耐加速度Gシートに腰を下ろしながら、ポレジャエフに問う。

「甲板長、状況はどうなっている?」

 船長より十歳以上年嵩であるはずのポレジャエフが姿勢を正した。

「およそ十五分前、ラムスクープ・トーラスで異常が発生しました。トーラス上の広い範囲で、イオナイザーを始めとする各種機器からの信号が途絶しています」

「トーラスの異常となると、動力系はどうなっている?」

 チェーに問われた一等機関士ファースト・エンジニアのヴェッツィオが自席の操作卓コンソールへ目線を落とした。ディスプレイに表示された情報をざっと見回す。

「三段のMCUの全てで偏流の発生を示す傾向が出ています。リアクター群は今のところ安定しているようですが、一部の出力波形に摂動が見られます。嫌な様子ですね」

 ヴェッツィオからの報告に、チェーは顔をしかめた。

「航法をレーザーセイルからラムジェットに切り替えて一年と三ヶ月、ようやくラムジェット系が安定してきたところでトラブルとは、ツイてないな」

「船長、事態は『ツイてない』どころじゃない可能性があります」

 口を挟んできたのは一等航海士ファースト・オフィサーの古橋だった。船長に続いてブリッジに登橋した彼は大量のエラーログ情報で溺れそうになっていたモラーフコヴァを助けて、状況を把握しつつあった。彼は言った。

「これまで収集された情報を総合すると、本船は破滅カタストロフィを迎えつつあると考えるべきです」


 【イカロス16】はその名の通り、イカロス級恒星船として十六番目の船だった。地球人類が史上初めて建造した有人型の恒星間宇宙船である。無人型のパスファインダー級無人恒星探査機の運用実績を受けて、満を持して建造された巨船だった。全長二千七百メートルの主船体だけでも充分に大きいが、その前面八十万キロメートル(地球-月間の距離のおよそ二倍)に配置されるラムスクープ・トーラスに至ってはその直径が十五万キロメートルを越えていた。極めて薄い蜘蛛の巣状の円盤構造体だとは言え、木星の直径より大きいと言えば、どのくらいバカバカしい大きさか分かるだろう。

 地球の衛星軌道を出発する時、ラムスクープ・トーラスは極小サイズ――とはいえ、その直径は二十キロメートルに達する――に折りたたまれ、主船体の後端に接続される。初期にこの巨船に対して加速を与えるのは金星近傍軌道に建造された、これまた巨大なレーザー・ステーションである。

 膨大な面積の太陽電池パネルによって大電力を得たレーザー・ステーションは強力なレーザー光を直径二十キロメートルの【セイル】に照射する。力としては極微細なものだが、レーザー光の光圧を受けることでイカロス級は初期加速を得るのである。そして、充分な加速を得た巨船は第二段階に移行する。今度はラムスクープ・トーラスを本来のサイズである十五万キロメートルにまで展開し、主船体の前方に配置するのである。

 一般に真空と考えられている宇宙空間には、実は星間物質と呼ばれるごく希薄な分子雲が広がっている。一立方センチメートル当たりわずか分子数個といった密度ではあるが、水素やヘリウムのガスが存在するのである。蜘蛛の巣状のラムスクープ・トーラスには、この星間物質に干渉するため、その全体にイオナイザーと呼ばれる電離機構が設けられていた。星間ガスがラムスクープ・トーラスの網を通り抜ける時に電磁気の作用によって、その運動軌道をほんの数度だけ偏向させるのである。ごくごく希薄な星間物質のガスであっても、直径十五万メートル、焦点距離八十万キロメートルの巨大な【レンズ】によってかき集められることができれば、その総量は膨大なモノとなる。イカロス級恒星船はその星間物質で主船体の大型核融合炉を駆動し、後方へ噴射するようになっていた。前方から空気を取り入れて燃料と混合、燃焼させて後方へ噴射するラムジェット式ジェットエンジンによく似たこの仕組みは発案者であるロバート・バサードの名前にちなんで、バサード式恒星間ラムジェットと呼ばれていた。

 およそ五年間、レーザーセイルによって初期加速を得た【イカロス16】は等速度運動に移行した後にラムスクープ・トーラスを展開し、バサード・ラムジェットによる加速に移行していた。船は既に太陽系の辺縁である【オールトの雲】領域を抜けて、太陽圏の外側、恒星間宇宙へと進出している。そして、その運動速度も光速度に対してパーセントのオーダーに達しつつあった。


「カタストロフィとは、どういうことだ?」

 船長であるチェーからの問いに、古橋はコンソールのキーボードを猛烈な勢いで叩きながら、答えた。

「言葉通りです。ラムスクープ・トーラスで大規模な破壊が起き、自転によって円盤形状を保っているトーラス全体が崩壊しつつあると推測されます」

「そんな馬鹿な!」

 バゼーヌが叫んだ。

「【イカロス16】は恒星間宇宙、文字通りに塵一つない虚空を飛んでるんだ! 何でトーラスの大規模破壊なんか起こるんだ!?」

「恒星間空間と言えど、大質量の宇宙塵デブリが全く存在していないとは断言できない」

「フルハシ! 手前ェ、この俺が仕事してないってのか!?」

 周辺監視が担当業務であるレーダー監視員のバゼーヌが激高した。

「まあ、落ち着け」

 チェーが割って入る。

「レーダーに反応しない反射能アルベドの低いデブリが高速でトーラスに衝突した可能性は排除できない。まさに天文学的な確率であり得ないはずの事態だがな」

「仮に、トーラスが破壊されたとして、どうします? 破片が主船体に衝突しないように回避するのはもちろんですが、トーラスを今ここで失うとこれ以上加速できません」

 ポレジャエフも口を挟んだ。

「それに、目的地であるくじら座タウ星に到着するには、トーラスをパラシュートのように使って減速する必要もあります」

「……このまま加速も減速もできずに、永遠に飛び続けるしかないの?」

 モラーフコヴァが恐る恐る訊いた。

 ブリッジの誰もが、その問いに答えることはできなかった。何しろあまりにもあり得ない事態だった。

 チェーが掌で顔を覆った。

「クソォ、せっかくいい夢を見てたのに、非常事態だって叩き起こされりゃこのザマか。最悪じゃねえか」

 そのとき、通信士であるハフグレンのコンソールで小さな呼び出し音が鳴った。

「……?」

 ブリッジに居た者全員がお互いに顔を見合わせた。

 呼び出し音は至近距離から双方向通信が入電したことを示していた。

 太陽圏を脱出して恒星間空間へと進んだ【イカロス16】は一番近い天王星衛星軌道上のベル通信基地と連絡するのすら片道数日を必要としていた。このタイミングで至近距離通信があるとか、意味が分からない。

 このところもっぱらコックとして働くことが多いハフグレンが通信機のスイッチを操作した。スピーカーから、不自然に明瞭な声が聞こえた。

『【イカロス16】、こちら【イダテン3】。応答を願います』

「……【イダテン3】?」

 聞いたことの名前だった。

 半信半疑のまま、チェーがマイクを手に取った。

「こちら、【イカロス16】。……キミは誰だ?」

 すぐに答えがあった。

『こちらは史上初の超光速船イダテン級の三番船、【イダテン3】です。わたしは船長のハイデマン。微分化超空間駆動機関が実用化されたことで、亜光速恒星船の存在意義は失われました。わたしたちは意味なく恒星間空間をさまようあなたたちを迎えに来たのです』

 とんでもないタイミングで、とんでもない来客だった。

 マイクを握ったまま、チェーはブリッジに居た一同の顔を見回した。

「……わたしはまだ夢を見ているのかな?」

 古橋が笑いながら答えた。

「緊急事態で仮眠から叩き起こされるとしても、こんな目覚めならサイコーじゃないですかね」

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【KAC7】恒星船【イカロス16】の受難 星海 航平 @khoshimi

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