まっさらな期待
久遠マリ
まごころのはかりかた
「それでは、いってらっしゃいませ」
私はそう言って、抱えた彼の身体を、下に見えている屋敷の露台で驚いた顔をしている美しい婦人に向かって放り投げた。
朝刻、麗しき黒髪が翻り、前合わせの羽織がはためく。あまねく皇都の家々を知る私に向かってイドゥリーカという名の婦人の居所に連れていってくれと頼んできた彼は、雪の積もる露台に美しく着地した。流石、第一騎馬隊の副将軍様である。そして、それを見ても叫ばない婦人も、肝が据わっていて、とても良い。
イドゥリーカといったか。イドゥリーカ・カイダン。第三騎馬隊百人隊長、ハダルヴィ・カイダンの一人娘。彼女は先日、タリマータ・アント=ライデンからの求婚をあっさりと退けた。そんな話が口さがない者たちの話題に上がり始めているのを、街中や屋敷の裏などで聞いた者が、私の隊の中に何人もいた。白梟の一族は、昼間は眠っていることになっている、一応。
私は少し離れた木まで飛んで、枝の間に身体を押し込んで、白梟の一族が休息をとる為に設えられた屋根付きの台の上で座って、眠るような体勢をとった。皇都のあちこちに存在しているこの台は非常に有り難い。
ここからは、二人の様子がよく見える。
私が運んできたタリマータは、イドゥリーカの前で跪いた。
「先だっては、あなたのお気持ちに沿うことができず、不用意なことを申し上げまして、何度詫びても足らぬ程」
わかっているのだろうか。伝令もなしに突然飛んできて、屋敷の他の者も通さず直接目的の人と会うなど、大変に失礼を欠いた行為であることを。皇の一族であるライデンの血まで流れているのに、この国の貴族としては色々と失格である。
しかし。
「お顔を上げてくださいまし」
ここから見えるイドゥリーカは、穏やかに微笑んでいる。やんごとなき立場にある者が常に浮かべているようなものではなく、目元から、隠しきれない庇護欲がのぞいていた。
「あなた様は、なされるべき手続きを全て忘れましたね」
「……申し訳ございません」
「それをうっちゃってまで、何かお伝えしたいことがございましたのでしょう」
それはそうと、朝である。白梟の一族は夢に微睡んでいるべき刻だ。非常に眠い。
私は眠る為に、二人のやり取りを子守歌にしながら、目を閉じた。
さて、その後、夕刻に目を覚ました私が見たのは、カイダン邸をぐるりと取り囲む、寿ぎの贈物の行列であった。
「受けたのか、イドゥリーカ嬢」
驚きである。
連れていってくれ、と頼みに来た折、その表情から垣間見えたタリマータの純な直情さを、かねてから私は気に入っていた。指揮権がなくとも、他の者は彼のお願いを断れない、そんな立場に、タリマータ・アント・ライデンはある。肩書と家の名を使えば下の者など動かざるを得ないのに、彼はわざわざ私の所に来た……おそらく、面倒な手続きを踏むことなくあっさりと彼女の元まで連れていってくれるような人材で、咄嗟に思い付いた顔、それだけで。必死さを感じて、うっかり手を貸した私も私ではあるが。
いや、何、非常に良い目覚めだった。本日の夜は機嫌よく見回りを行えるであろう。
お題:最高の目覚め
まっさらな期待 久遠マリ @barkies
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