【KAC7】ケアスリープで、最高の目覚め体験を!
筆屋 敬介
ケアスリープで、最高の目覚め体験を!
いつも通りの終電での帰宅だ。
冷蔵庫を開け、買いためてある度数9パーセントのチューハイを片手にTVをつける。
特に観たいものなぞ無いのだが、とりあえず付けるのだ。
毎日のルーチンワークだな。カッコよく言えば。
有名な大御所俳優とアイドルが出演していることで最近話題のTVCMが流れる。
デロデロとしたBGMと共に、目の下にクマを作った俳優がフラフラとよろめく。
あの大御所がこんな演技を! ――なんて話題騒然だったんだっけか。どうでもいいけど。
あー俺もこんな風に電車に乗っているんだろうなー。他人事じゃないわ……。
溜息を
新入社員に扮した元気系アイドルが、上司役のその俳優に問いかける。
『部長、お疲れじゃないですか?』
『全然眠れなくてな』
その周囲の先輩社員たちもゾンビのようにフラフラだ。
『そりゃ疲れますよ、眠れないんだから!』
よく分からんバンドの、よくわからん賑やかな歌が流れ始める。
ハッピーな朝を~♪ パワフルな1日を~♪
大御所部長とアイドル新人社員のいる事務所が派手に吹き飛び、ビルが大爆発を起こす。
おー、CGじゃないのかー、実際爆破するかー。スゲーなー。金かけてるなー。
『ご存知ですか? 短くてもしっかり眠る技術があることを!』
『睡眠で、身体と心のケアを!』
『良質な睡眠は、身体と心を健康にすることが証明されています!』
『最先端技術で、仕事も遊びもグングンこなせる!』
『結果にコミット! この1年でご愛用者300万人突破!』
『気持ちよい朝を! 毎日の積み重ねで、充実した人生を!』
『『最高の目覚め体験を! ケアスリープ!』』
俺は、睡眠薬代わりのチューハイを
※※※
満員電車に揺られる
ん?
いつもは無言の車内に、今朝は珍しくボソボソとした会話が聞こえてきた。
どうやらおじさん上司と若い男性社員のようだ。
「ケアスリープっていうんですよ。ご存じですか?」
「TVでやってるアレか?
「それが、友達が始めたんですけど、どんどん顔色がよくなって。で、僕もやろうと思うんです」
ふと見上げると、車内に例のケアスリープの広告が貼ってある。二人はこれを見かけて、話を始めたのだろう。
広告の中で大物俳優と元気系アイドルが、にこやかな笑顔を見せている。
電車は乗り換え駅のホームに滑り込んだ。
乗り換え待ちのホームに立っていると、再びぼそぼそとした会話が聞こえてきた。
受験を控えた女子高生のようだった。
「で、ケアスリープ、流行ってるから、試したんだって」
「えー。なんかアヤシイし」
「それが最近その子、元気でさ。ぐっすり眠れて気持ちよく目が覚めるから、身体も軽いんだって。頭もハッキリして、勉強してもスルスルって頭に入る感じらしいし」
「寝る時に、枕元で音楽を流しておくんだっけ?」
「そこに付属のヒーリングアロマを
「しっかり眠るってスゴイんだねー」
みんな疲れているんだな。オッサンから若者、女子高生まで睡眠障害とは。どうなってるんだ、現代日本は。
まー、俺もそのうちの一人か。
昼飯を買いに来たコンビニで、主婦たちが会話している。
「そうそう! ケアスリープ!」
「もう300万人って! 大人気らしいわよねえ。今年中に1千万人に届くって勢いなんですって」
ああ、コンビニ雑誌の表紙を見ての会話か。主婦にまで話題になるのか……。
俺は、その雑誌をレジに持って行った。
※※※
「珍しいな。お前が飲みの誘いに付き合ってくれるなんて」
俺の高校からの親友、
「ああ。最近、仕事が順調でな。ちょっと余裕が出てきた」
ケアスリープを始めてからだ。
3日ほどすると効果を感じられるようになった。ぐっすり眠れているのだろう。身体がシャキッとして、目覚めもいい。
そのせいか、仕事が進むのだ。まず集中力がスゴイ。気が付いたら定時退社の時間なのだ。
頭の回転も早くなって、あれだけ唸っても出なかった企画案がサッと出てくる。
ケアスリープを考え出したヤツは、日本の救世主みたいなもんだな! そりゃ、『ご愛用者も、もうすぐ600万人突破!』 もわかる。
遠藤の表情が曇った。声をひそめて顔を近づけてくる。
「お前、ひょっとして……ケアスリープ、やってるのか?」
「ん? ああ。アレ、すごいな! アロマを焚いてリラックス。付属のヒーリングミュージックを枕元で流していると、ぐっすり眠れるんだよ。どうした?」
「いや……ちょっと気になっているんだが……うちの会社でな」
遠藤は、ある研究所に勤めている。音響研究所だったか……音声や音響についての分析を行う会社だったはずだ。
「警察から持ち込まれた案件で、複数の会社と合同でやっているのがあるんだ。それがケアスリープでな」
「警察?」
「そうだ。……ちょっとな。ケアスリープをやっているなら、
「お? あれを止めろって?」
なんだ急に。何を言い出すかと思えば。
「ああ。ケアスリープ、あれはマズいぞ。うちと、臨床心理、精神生理学の先生たち、医者、薬学もな。で、デジタル技術者やらなにやらの大所帯で今、あれを調べている」
「一体どうした」
遠藤は酔った顔を一気に引き締めた。
「ケアスリープはな。なにかをしようとしているんだよ」
※※※
「なんだ、いきなりだな」
「ケアスリープの音楽に、何か妙なものを紛れ込ませているっぽい」
「んなことができるのか?」
「できる。今、世の中に出回っている音楽は、デジタルミュージックだ。これは、普通の音じゃない」
「ほう?」
「デジタルミュージックは、今までのアナログと違って音を現実にあるとおりの音波として記録していない。一旦、コンピュータを通して、現実に近い音に加工している」
俺はチューハイ片手に先を促した。
「今、世の中に流れている音楽は……殆どが造られた音だ。知っているか?MP4とかメジャーだな。音をパソコン上で保存する技術だ」
「ああ。それくらいなら。音の正体は空気を振動させる波だ。今はレコードのような“自然な波”としての記録方法ではなくて、人の脳には普通に聞こえる程度の細かさに、“省略した音を0と1のデータ化”して保存しているんだろ。人間には聞こえない部分の周波数を削ったりもしている」
「そして、現代では、ほぼすべてがパソコンを通してのデータのやり取りで行われているんだよ。制作段階から既に。例のヒーリングミュージックもご多分にもれない」
遠藤は既にぬるくなったビールジョッキを握ったままだ。
「実はな。ケアスリープの音楽データの中に、意味の分からないデータが紛れ込んでいる」
遠藤はビールを片手にしているにも関わらず、
「一見は普通のデータなんだ。ただ、そのデジタルデータの隙間に、どうも意図的に埋め込んだナニカがある」
「それ、どうなるんだよ」
「わからん。一つ懸念されていることがある。サブリミナル効果だ」
「?」
「人間には、意識的に判断している部分以外に、潜在意識というものがある。無意識のうちに感じるものだ。この音楽を聴くとなぜか悲しくなる。アイツの声を聞くとなぜかイライラする……わかるか? 潜在意識に刺激を与えて、無意識のうちに心理影響を与えようとする効果だ」
「ケアスリープの音楽を聴いていると無意識になにか影響を受けているということか?」
「それがわからんのだ。ただ、あのデータはプログラム上の加工結果じゃない。意図的に入っているのだけはわかる」
「気持ちよく目が覚めるようにしているんじゃ?」
素人にはよくわからない。
「アロマも危険だ。嗅覚は脳の本能の部分に直結している。それにTVCMも第3弾になって、しょっちゅう放映されるようになったな? 駅の広告、新聞の折り込みチラシ……そういえば、あのCMの歌、大人気らしいな? 動画サイトでも踊ってみたやら、歌ってみた、やら……早く解明したいが、いろんなものが絡んでいてな。相互作用の線も考えられるんだ」
居酒屋のTVにケアスリープのCMが流れている。
『ハッピーな朝を~♪ パワフルな1日を~♪』
※※※
それからしばらく経ったが、俺はケアスリープを続けていた。
止めようとしたのだが、止めた時の疲れ方が尋常じゃなくなったのだ。しかも、翌朝、目が覚めるどころか、眠り込んで遅刻してしまうほどだった。
ケアスリープを使うと、気持ちよく目が覚める。
ケアスリープを使わずに寝ようとすること自体ができなくなっていた。
ある朝、俺は出勤準備を兼ねてTVをつけていた。
ケアスリープの新作CMが流れてきた。
『おかげさまで、ご愛用者1千万人突破! お疲れニッポンのみなさんの10人に1人にお届けしています! そこで、日頃のご
『朝7時にスタートです! みなさん! 忘れないでねーーーー!』
『『現代のお疲れニッポン! 元気爆発!』』
『『最高の目覚めを! 新たな目覚めを! ケアスリープ!』』
4月1日か。
そうか。
7時には目を覚ましておかないとな。このビッグウェーブに乗り遅れてはいけない。
そして、事務所に行かねば。
ハッピーでパワフルな1日を~♪
ボンッ! ……じゃないな!
ドカーーーーーーン! って気分だ!
新しい目覚めの朝になるぞ。
準備しないと。
【KAC7】ケアスリープで、最高の目覚め体験を! 筆屋 敬介 @fudeyaksk
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