ゆめもうつつも君おもふ

砂塔ろうか

更生の夢

 舞衣まいは毎夜、悪夢を見る。

「――紗綾さや

 夜中。冷や汗をたっぷりかいて飛び起きた舞衣は胸に手を当てて、そっと名を呟いた。心臓は今にも破裂しそうなくらい脈打ち、同時に、胸の中が空っぽになったような感覚を覚える。

「ごめん……」

 まなじりから涙を流し、舞衣は自分の長い髪に触れた。

 かつて紗綾から「似合っている」と褒められた髪。それに触れることで、舞衣の気持ちは少し落ち着く。

 しかしそれだけでは耐えられず、舞衣は自らの想いを口にした。

「ごめん……一緒に死ぬこともできなくて……」

 真夜中の独り言。それを聞くものはいない、

「――死にたいの?」

 はずだった。

 窓からだ。

 舞衣が目をやると、そこに少女がいた。夜色の髪を風にふわりなびかせ、窓枠の上に座っている。闇の中でもはっきり分かる白い肌。妖艶な光を放つ赤い目。

「だれ?」

「私はオルツァ。吸血鬼と夢魔のハーフ」

 オルツァは舞衣の部屋の中に入り、言う。

「私、百年くらい過ごしてるうちに一人じゃ退屈になってきてさ。そのへんの人間を眷属にしたりもしてきたんだけど、ハズレばっかでね。君、眷属にならない?」

「……どうぞ」

 舞衣は躊躇ちゅうちょなく首をオルツァに差し出した。今の舞衣にとって、すべてどうでも良かった。

 だが、オルツァは首を振った。それから舞衣のベッドに乗って、舞衣へと近づく。

 そして舞衣にキスをした。

 自分の唾液とオルツァの唾液が混ざり合う感覚。口の中を舌で蹂躙じゅうりんされる甘美な感覚。それらに誘われ、舞衣は眠りに落ちた。


「夢の世界へようこそ」

 オルツァが言う。

 舞衣はハッとしてあたりを見回した。見た限りでは先ほどと変わらない、自室のように見える。

 舞衣の手をとり、オルツァは言った。

「君、本気で私の眷属になりたいってわけじゃないよね」

 図星だった。

「だから、これから私とデートして君に本気で私の眷属になりたいって思ってもらうか――ら!」

 オルツァは舞衣とそのまま窓の外――夜空へと踊り出る。

 かくして、舞衣とオルツァの「デート」が始まった。

 デートと言っても、夢の世界に再現された夜の街をぶらつくだけである。舞衣とオルツァ以外は誰もいない世界で、オルツァは舞衣を連れて、ウィンドウショッピングごっこやクレープの食べ歩きなどを楽しんだ。ここはオルツァの夢の世界。すべてオルツァの思うままだ。

 そんなオルツァのデート観は普通ではなかった。

「クレープもらってきたよ~」

 と言って具なしクレープを持ってきたり、

「はい」

 と言って当然のように食べかけを舞衣に渡したり、

「これ似合うんじゃない?」

 大人向けランジェリーを持ってきたり。

 オルツァのそんなところに笑わされているうちに、舞衣の表情は少しずつ晴れやかなものになっていった。

 そんな自分に気がついて舞衣は、罪悪感から髪を撫でた。引きこもり生活中も手入れを欠かさなかったその髪を。

「髪、大切にしてるんだね」

 舞衣が髪に触っていると、オルツァが言った。

「あなたには関係ないでしょ」

 舞衣はむっとして歩き出す。

 舞衣にオルツァは言った。

「私、君はもうちょっと髪、短くしてもいいと思うけどなぁ。似合わないと思うよ?」

「…………」

 舞衣はその言葉を肯定も否定もしなかった。しかし、それでオルツァに開きかけていた舞衣の心はより固く閉ざされることになった。


 オルツァは突然、舞衣の口数が少なくなったことを疑問に思ったが、その理由を考えようともしなかった。どうやって舞衣をオトすか。それ以外、オルツァは考えていなかった。

 このままデートを続けても、舞衣はオトせない。そう考えて、オルツァは別の手段を使うことにした。


 舞衣は自室にいた。窓からは朝日が差し込んでいる。

「……ヘンな夢」

 舞衣はベッドから起き上がり、壁に掛かっている制服を見て驚く。それは、舞衣の通っていた中学校の制服だった。


 舞衣が中学生であること。

 舞衣が紗綾をかばったわけでもないのに学校でいじめられていること。

 紗綾がいないこと。

 これらの理由から、舞衣はここがまだ夢の世界だと確信した。舞衣の記憶から過去が再現されているのだろうと舞衣は考えた。その推測を裏付けるように、舞衣へのいじめはどれも、かつて受けたことのあるものだった。

 いつの間にか水浸しになっていた靴。失くしてから数日経って、カビだらけになって返却された教科書。給食に混入される昆虫。あらぬ噂、陰口の数々。

 そんな日々をしかし、舞衣は、自分でも驚くほど平然と過ごしていた。

 いじめは苛烈で、紗綾と違い舞衣をかばうものなどいない。どこかで見ているはずのオルツァは依然傍観している。そんな日々の中で舞衣は思う。

 ――「アレに比べれば、大したことない」と。

 舞衣の心に重くのしかかり、影を落とす悪夢のような出来事。それはいじめられていた日々のことではない。生きた紗綾を最後に見た、その時のことだ。


「……どうしたの、紗綾……それ」

 夜。紗綾が家に帰ってこないと聞き、探しに出た舞衣は人気のない川辺で、紗綾を見つけた。

「舞衣……?」

 紗綾はぼろぼろだった。制服はところどころが破けていて、スカートなどは手で押さえていないとずり落ちてしまいそうだ。そして、紗綾の腕や脚、首には真新しいあざがあった。痛々しい鬱血のあとが体のあちこちにある。紗綾のさらりとしていて清涼感のある髪はぼさほさでべとついて――夜の闇の中、そういった情報を十分に得られたわけでない舞衣にも、紗綾のただならぬ状態は理解できた。

 舞衣を見るなり、すぐに逃げ出そうとした紗綾を追いかけて手を掴んで、舞衣は何があったか聞こうとして、気がついた。普段の紗綾とは明らかに違う匂い。

 舞衣はなにが起きたのかを察した。

「はなして、舞衣」

 紗綾に舞衣は何も言えず、おとなしく手を放す。

 そして紗綾は震える声で語りだした。何があったのかを。

 その日、紗綾はいじめに決着をつけに行った。いじめてくる女子生徒らにいじめをやめるよう説得しに行ったのだ。だが、彼女らに悪びれた様子はない。その態度に苛立ち、冷静さを失った紗綾はうっかり、女子生徒の一人に勧められるままに睡眠薬入りの飲み物を飲んでしまった。

 紗綾が目を覚ますと、そこは知らない学校の体育倉庫だった。紗綾の周囲にはいじめをする女子生徒らと共に、同年代の男子とは明らかに違う、体格のいい若い男が数人。紗綾は、男達の慰めものにされた。

 行為の最中に気絶した紗綾が目を覚ますと、周りには誰もいなかった。そこで紗綾は、鈍痛を抱えながら、走って走って走り続け、足を挫いてからはあてもなく彷徨い、川辺にいたところを舞衣に発見されたのだった。

 話を終えると、自分がこれから死ぬ旨を舞衣に伝えて、

「じゃあね」

 紗綾は舞衣の前から姿を消した。舞衣は周囲を必死に探したが紗綾は見つからず……数日後、紗綾は遺体となって川の下流部で発見された。

 ちなみに、その日を境にいじめの主犯だった女子生徒を含む犯人達は全員が行方不明になり、舞衣がいじめられることはそれ以來、なくなった。


 舞衣は悔いてきた。どうして、手をはなしてしまったのか。自分一人残されるくらいならいっそ、一緒に死にたかったのに、と。


 再現された日々の中で舞衣は紗綾はなぜ一人で決着をつけようとしたのかを、考えていた。どうして、いつか終わるであろういじめを自分に何の相談もなく一人で、終わらせに行ったのか。

 そして、舞衣は理解した。紗綾の真意を。


「そろそろ頃合いかな」

 体育倉庫に呼び出された舞衣を見て、オルツァは呟く。

「……なんか、前にもこーいうことあったよーな」

 紗綾が慰めものにされている現場に出現し、その場にいた人間を紗綾以外全員、自らの眷属にしたのはオルツァ自身だったのだが、そんなことはもう忘れていた。

 今はただ、舞衣をオトすため舞衣の窮地に出現する。そのために、体育倉庫の屋根を突き破り、オルツァは舞衣の前に参上した。


 暗い体育倉庫の中、いじめの主犯格が何か言おうとした時だった。

「ちょっと待ったぁ――っ!」

 オルツァが屋根を突き破って舞衣の眼前に現れた。舞衣に対して入り口を塞ぐように立っていた女子生徒らを潰して。

「…………」

 夢の世界だからだろうか、血は一滴も飛び散らなかった。

 呆然として、舞衣はオルツァを見る。

 オルツァはどこか誇らしげな顔で、言った。

「危ないところだったね! 私が来なければどうなっていたか」

「ど、どうも」

 マッチポンプだとは分かっていたが、勢いにのせられた。

「……それで、どう?」

 壊れた屋根から光の差し込む体育倉庫の中、オルツァは問う。

「私の眷属に、なりたくなった?」


 一体どこに眷属になりたくなる要素があったのか。

 心の中でツッコみつつ、舞衣は首を振った。

「えぇ!? なんでなんで?」

 反省して、という言葉を飲み込んで、舞衣は言う。

「分かったから。紗綾は、私を守ろうとしたんだって」

 紗綾はいつも、自分をかばったことによりいじめの標的とされてしまった舞衣に対して、申し訳なさそうにしていた。そのことを思い出して、舞衣は気がついた。

 紗綾が一人で決着をつけようとしたその理由が、舞衣を守ろうとしたためだということに。

「だから、私は普通にちゃんと生きなくちゃいけない。眷属には、なってあげれない」

 舞衣が言うと、周囲の景色がだんだんと輪郭を失い曖昧になっていった。

「よくわかんないけど、しょうがないか――じゃあね、また」

 笑うオルツァの言葉を最後に、舞衣は夢の世界を去った。


 朝。目覚めた舞衣は溌剌はつらつとしていて、昨日までの死んだように生きる彼女とはまるで別人だった。

 思い切り伸びをして、舞衣は呟く。

「今日からは、ちゃんと高校行こう」

「こぉこぉ?」

 見ると、隣でオルツァが寝ていた。

「な、なぜ……」

「なんでってぇ〜」

 寝ぼけまなこのまま、オルツァはむくっと起き上がり、言う。

「私、君のこと気に入ったから、一緒にいようかなって〜そんな感じでよろしく」

「は、はぁぁぁぁ!?」

 舞衣の絶叫が家中に響いた。


(完)

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