夢の色は何?

@hinorisa

第1話

 ――赤い。最初に彼が思ったことだ。いつだって彼は赤い色の夢を見る。炎と血と……。なんだっただろうか?


 何かの夢を見ていたはずの彼は、それが何だったか思い出せない。

 胸の奥に何かが引っ掛かっている気がしたが、時間が惜しいので思い出すのを早々に諦めて、ベットから降りて身支度を整える。


 整備された街並みと、石畳で舗装された道を行きながら、彼は当てもなく歩いていた。

 子供が楽しげに走り回り、恋人が手をつないで歩いている。商業に精を出す人々の顔は活気に満ちていて、それを見ているだけで彼は幸せだった。

 昔、誰かに言われたことがあった。

 他人の幸せは、お前の幸せを満たすことができないと。幸せには形も色もない。だからこそ、誰かの幸せが、別の誰かの幸せと同じとは限らない。

 夢は人それぞれ違うように、幸福も人それぞれ違うと。

 けれど彼はその幸福という物で、誰かが満たされているのを見ると嬉しくなった。

 そしてここにはそれで満ちている。

 ……だから、ここではお前も幸福だ。

 不意にそんな考えが脳裏をよぎる。どうしてか、それは彼に言い聞かせるように頭の中に漂い続けている。

「よ!……どうしたんだよ、そんな変な面をして?」

 相棒が不思議そうな顔をして横から、彼の顔を覗き込んでいた。灰色の目を細めて、心配そうにこちらを窺っている。

「……いや。だいじょうぶだ。ところで君は、暇なのかね?こんな時まで私に絡んで」

「なんだよ。こんないい天気に暗い面をしているから、話しかけたんだろうが」

 そう言って不満そうにそっぽを向く相棒の横顔を見ていた。

 いつも通りの無駄にきれいな顔をした相棒が、見知らぬ女性に話しかけられた。

 それ自体は珍しいことではないのだが、平凡で目立たない容姿の女性は意気揚々と相棒と話していたのだが、誘いを断られた瞬間、信じられないという顔をした。女性は自分が振られるはずはないと思っていたらしく、衝撃で固まっている。

「今は連れがいるから。仕方がない」

 女性を気の毒に思いながらも、彼は歩き始めた。

 とある建物から男性が飛び出してきて、そのまま道にうずくまった。

 心配になった彼が話しかけようとすると、相棒に止められる。

「やめとけ。賭け事に負けはつきものだ」

 その台詞で彼は、なんでだよと叫ぶ男性が出てきた建物が、いわゆる賭博場であることに気が付いた。中からは別の誰かの歓喜の声が聞こえてくる。

 下手な慰めは傷に塩を塗るだろうと思い、彼はそのまま歩き続けると教会が見えてきた。

 そこでは結婚式が行われており、幸せそうに笑う新郎新婦がいる。

 青色、白色、黄色、紫色、桃色、灰色。色とりどりの花びらが舞い散る中、彼は足を止めて、他の参列者と同じように祝福を送る。

 近くの木の陰で恨めしそうにその光景を眺めている男性がいた。

「彼女に選ばれるのは一人しかしないからな」

 気にはなったが、彼は話しかけずに歩きだした。

 とても立派な作りの学校があり、そこにはたくさんの人がいた。

 掲示板に張り出された数字を前にして、喜びで叫ぶ者と、悲しみで泣く者がいる。

「まあ、仕方がないな。同じように頑張ったところで、全員が受かるわけじゃないしな」

 そんなことを相棒がぼやくのが聞こえたが、彼は人々の嘆きをそう簡単に割り切ることはできないが、できることは何もない。

 その隣の校庭で、五人の子供たちがかけっこをしている。

 五人中、一人が群を抜いて早く、一人が群を抜いて遅い。

「どうしたって、生まれついて優れている奴はいるからな」

 彼の前を歩く相棒がそう言いながら振り返った。


 気が付くとそこは朝、彼が後にした家だった。

 家の中には暖かな明かりが灯り、夕餉の支度をする音とにおいが伝わってくる。

「どうしたんだよ?早く帰ろうぜ?」

 相棒は玄関先で笑っている。

 見るといつの間にか日が暮れ、周囲は灰色に染まっていた。どこからか、鳥の鳴き声が聞こえる。

「……帰る、とは、どこに帰るんだ?」

 その質問に相棒は灰色の目を細めた。

「……昔、君は言っていたな。人を救いたいという私に、『救いたいということは、救われる人間が必要だと』」

 彼は先ほど見てきた人々の光景を思い出す。

「『みんなが全員救われて、幸福になること絶対にない。幸せとは天秤のような物で、誰かが幸せになるということは、誰かが不幸になることだ』と」

 幸せそうに笑う人を見ると、彼の心は満たされる。けれど同時に、誰かが泣いている。

「『誰彼構わず助けていると、そのしわ寄せがお前に来る』」

彼の覚えている記憶の始まりは……。

「これは夢、なんだな。私の矛盾だらけで、不完全な願いの結果の夢」

 目の前にいたはずの相棒はそこにはおらず、代わりに家の玄関の扉が開いている。

 彼が中を覗き込むと、そこには遠い日に失った、彼の子供としての幸福があった。


「おお。やっと、起きたか」

 その声と同時に彼が目を開くと、顔を覗き込んでいる相棒が、真紅の目を細めて嬉しそうに笑っている。

 彼はそれを見ながら、この色と笑った顔が好きだとぼんやりと思う。

「――ほかの人たちは?」

 一気に大量の情報を思い出しながら、彼は寝ていたベットから起き上がる。長時間同じ体勢で眠っていたせいか、体のあちこちに違和感が残っている。

「お前が起きる少し前に起きた」

 相棒が差し出したコップを受け取り、入った水を一気にあおると、乾ききった喉が潤っていく。

 ――事の始まりは、とある町で起きた奇病だった。

 その村の住人の大半が眠ったまま。いくら起こしても目を覚まさない。

 その話を聞いた彼らは、急いでその村を訪れた。正しく言えば、彼が行くことを望み、相棒がそれを了承してくれた。

 病人を見た相棒は、彼にどうしたいのだと尋ねた。

「助けたい」

 全員が幸せな夢を見ているから目を覚まさないのだと、相棒は言った。

「お前が寝て起きれば解決するだろ」

  意味は分からないが、彼はそれに従った。

「みんながいる夢は同じだが、見ている夢は違う。全員を幸福にしようとすると、個人個人を切り離す必要があるからな。……なら、一か所に集めて現実を思い出させればいい」

 結果として、相棒の予想通りになった。

「まあ、都合のいい幸せな夢から、一気に現実に起こされた奴らがどう思うかは知らんがな。……覚めない夢は、現実と変わらないだろうし」

 誰かの幸福は、誰かの不幸。みんなが幸せになれるのは、それこそ夢の中だけだろうと、一人思案にふける彼に、相棒はふと尋ねた。

「お前は人が幸せそうに笑うのが好きだが……。どういう気分だ?人を救って、そいつらをつらい現実を見せるのは。目覚めたとき、どう思ったんだ?」

 彼の心を思うよりも、自身の興味と突き合わされたことへの軽い嫌がらせの質問に対して、彼は皮肉めいた微笑みを浮かべる。

「――最高の目覚めだったよ」






 


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