目を覚ませワタナベ

タカテン

目を覚ませワタナベ

「今日はね、すっごいのを持ってきたよぉ、宮田みゃーた


 そう言って背負っていたリュックをどすんと床に置き、と同時にその豊満すぎるおっぱいがゆっさゆっさ揺れるこの生き物、名前をワタナベという。

 学生時代のバイト先で知り合って、かれこれもう七年ぐらい経つだろうか。

 普通、いい歳した男女が七年も顔を合わせていると、ああそういう関係なんだなと思われるかもしれない。

 が、俺とワタナベは違う。

 確かに俺は巨乳好きだし、その無邪気な笑顔や言動に危うく間違いをおかしそうになったことはある。

 でも。

 

「はい、強欲な壺ー! なんとこの壺を持っているとお給料が二倍になるんだよー!」


 見るからに強欲そうな顔のレリーフが彫り込まれた壺をリュックから取り出し、自慢げに見せるワタナベ。

 

「そんなお得な壺が今ならたったの五万円! みゃーたも買うよね? 買っちゃうしかないよね?」


 そして俺に売りつけようとするワタナベ。

 

「なぁ、ワタナベ。先日持ってきた一日一杯飲むだけで体重がみるみる落ちるとかいう魔法の水はどうなった?」

「うん、毎日飲んでるよぅ。半年も飲み続ければ一キロは落ちるって言ってた」

「それからお前が付けてるそのネックレス」

「あ、幸運のネックレスねー。これもきっとホンモノだよぅ……まぁ純金製って言ってたくせに質屋さんにもっていったら安物の金メッキだって言われたけど」

「会員を増やすだけで毎月貰えるお金が増えていく幸せ共同体は?」

「お偉いさんが警察に捕まっちゃって解散になっちゃった」


 警察ひどいよねー、何も悪いことしてないのにーと憤るワタナベ。

 ちなみに今日も背負ってきたお気に入りのリュックには、平仮名で大きく「るい・びとん」と書かれている。なんでも本来は100万円以上もする大人気日本限定商品のこれが今回は特別に10万円で、と路上販売のおっちゃんから声をかけられたそうだ。

 まぁグッチが「ぐっち」と書かれたうちわを売ったこともあるそうだし、俺はブランド品に疎いからもしかしたらこれは本物なのかもしれない……と思ったが、よくよく見たら「るい・とん」と書かれていたので俺はちょっと泣きそうになった。


 それでもワタナベ本人はこれが正真正銘のルイ・ヴィトンだと思っているし、それ以外の諸々もホンモノだと信じてやまない。

 もちろん友人である俺としては「目を覚ませワタナベ」と諭してやりたい、いや諭してあげるべきだ。

 でもワタナベはこのアホすぎる純真さ故に、そう戒めてくれるまともな友達を次々と失っていった。

 そして多分、俺の言葉もきっとワタナベには届かないだろう。こいつを説得できる自信が俺にはまったくない。

 それにワタナベは誰から「目を覚ませ」と言われる度に「みんな私が騙されてるって馬鹿にするんだよぅ。みゃーたはそんなこと言わないよねぇ?」と雨が降る道端に捨てられた子猫のような目で俺を見つめてくるんだ。

 だから俺に出来ることと言えば。

 

「すまんな、ワタナベ。今はお金がないんだ、また今度な」

「そう? だったら仕方ないねー」

「わりぃな。代わりに飯を奢ってやる」

「ホント!? やったぁ!」


 こんな感じで上手くあしらってやることだけだった。

 な、こんなワタナベに甘々な俺が手を出してしまったら、もう彼女の破綻しまくってる人生に責任を取るしかないだろ? でも、ごく普通のサラリーマンな俺に、ワタナベの人生は重すぎるんだ。

 だから俺は他の奴らみたいに突き放すこともしなければ、決して手を出すこともせず、ワタナベとの奇妙な関係を続けていた。

 

 

 

「私ねー、今度のマイナンバー宝くじに当たるような気がするんだぁ」


 いい感じに焼きあがった壺漬けカルビを口いっぱいに頬張りながら、ワタナベが言った。

 こっちは金がないって言ってるのに、奢りで焼き肉を所望する、それがワタナベという生き物だ。

 

「あれかぁ。確かマイナンバーの数字で国民全員にチャンスがある無料宝くじだっけ?」

「うん。なんと一等は十億円だよっ! 政治のことはよく分からないけど、あれはいいアイデアだよねぇ」


 そうかあ? マイナンバーの認知を謳いながらも、その実は単なる人気取りの税金の無駄使い政策にしか思えないが。


「ねぇねぇ、みゃーたは十億円当たったらどうするー?」

「うーん、十億かぁ。いまいちピンと来ないが、とりあえずは親孝行でもしてみるか」 

「あー、それはいいねぇ。みゃーたもいい歳だもん、そろそろ結婚しないとねぇ」

「は? 結婚? 誰がそんなことを言った?」

「いやいや、いいと思うよぅ」


 おい、ワタナベ。人の話を聞け!

 と言って聞くような奴でもないので、ここは華麗にスルー。

 

「で、ワタナベは?」

「私? 私はねー、幸せになりたい!」

「また抽象的だなぁ」


 ワタナベらしいと言えばワタナベらしい。本気で幸せになりたいと思っているものの、どうやったら幸せになれるのかは全然思いつかないのだろう、きっと。

 まぁ、かくいう俺も同じだ。

 幸せってどうすればなれるんだろうな?

 

 

 

 そしてそれからもあやしげな話を持ち込むワタナベをやっぱり適当にあしらいつつ、迎えたある夏の日。

 

「は? ワタナベが自殺?」


 いきなりかかってきた見知らぬ電話先の相手が、そんなことを言った。

 

「はい」

「え? 冗談でしょう?」

「いえ、残念ながら昨夜未明にマンションから飛び降り自殺をされてまして」


 ウソ、だろう? だってあのワタナベがどうしてそんなことを……。

 

「それで遺書にあなたの名前があったものですから、こうして電話を差し上げたのです」

「俺の名前が?」

「はい。簡単にですが読み上げますよ」


 なんでもワタナベはようやく自分が騙されていたことに気付いたらしい。

 カモにされ続け、ついに出来た借金が一千万円。天涯孤独で頼るべき親戚もおらず、こんな自分なんて生きていても仕方ないと悲観して死を決意したとか。

 

「それでですね、あなたにマイナンバー宝くじの権利を譲りたいと書かれてあったのです」

「は? マイナンバー宝くじ?」

「そうです。本来ならそんなことで連絡したりしないのですが……落ち着いて聞いてください、実は渡辺さんのマイナンバー宝くじ、現在の時点で高額賞金獲得の可能性がございます」


 なんだかんだで国民の関心を集めまくったマイナンバー宝くじ、その抽選が朝からネットで実況生中継されていた。九時と十二時にそれぞれ四桁が決まり、最後の四桁が一時間ごとに一つずつ決定して残りはあと一桁。俺なんかは最初の段階であっさり外れが決まり、もはやその存在すら忘れていたのだが……。

 

「そして規定上、マイナンバー宝くじの権利譲渡はお互いが生きているうちにしか行えないのです。なので宮田さんに連絡を――」

「ちょっと待って! お互いが生きているってことは、ワタナベはまだ死んでないんですか!?」

「はい。意識不明の重体ですがまだ生きておられます」


 それを早く言えよ!

 俺は椅子から立ち上がって会社を飛び出した。部長が何か言ったような気がするけど気にしない。もしこんな事態でも早退できないのなら、そんなブラック企業こちらからお断りだ!

 

 伝えられた病院に向かうタクシーの中、スマホにラインが入る。

 ワタナベの遺書を写真に撮って送ってくれるよう頼んでおいたんだ。

 ワタナベらしい、丸っぽくて可愛らしい字で、でも、悲痛な思いが綴られていた。

 そして最後に。

 

『宮田瑞樹君へ。

みゃーた、これまで本当にありがと。焼き肉を奢ってくれた時にみゃーたが言った結婚して親孝行したいって願い、私、すっごく感動しちゃった。相手が私だったら嬉しいけれど、図々しいよねてへへ。

なので私のマイナンバー宝くじ、当たったらみゃーたにあげるから、私の分も幸せになって相手の方も幸せにしてあげてください。

結局おバカな私は騙されていて、きっとみゃーたも気付いてたと思う。それでもみゃーたは私が傷付くと心配したくて最後まで「目を覚ませ」って言わなかった。嬉しかった。ごめんね、ありがとう。さようなら』

 

 馬鹿野郎! 

 ワタナベ、いくらお前が嬉しくてもな、こんな結末なら最悪じゃねーか!

 こんなことになると分かってたら、俺、何度だってお前を説得したよ!

 ……いや、薄々いつかこうなるかもしれないって思ってたんだ。それでもお前が悲しそうな顔をするのが嫌で、お前が俺からも離れていくのが嫌で、俺は言えなかったんだ。

 そんな俺に結婚して幸せになってくれだって!?

 ワタナベ、お前、どれだけ馬鹿なんだよっ! お前がいなくなって、俺が幸せになれるわけねぇじゃねぇか!

 

 タクシーが病院に着き、俺は急いでワタナベが待つ集中治療室へと向かう。

 その途中できちっとした背広を着た人が何やら紙を渡して急いでサインをするよう言ってきたが、そんなのはその場で破り捨ててやった。

 ちゃんとした書類を用意し、さらにはわざわざ電話してくれたのに申し訳ないけど、今はそんなことをやっている場合じゃない。

 俺はあいつに言わなきゃいけないんだ。ずっと言えなかったあの言葉、誰もがお前を救ってあげれなかったあの言葉。聞きたくないかもしれないけれど、聞けよ、ワタナベ。覚悟を決めた俺のこれはな、他の奴らのそれとはわけが違うぞ! 何度も言いたくて、でも言えなくて、だけどそれはきっと今ここで言うために神様が取っておいたんだ。ああ、絶対にお前を救ってやる! お前を幸せにしてやるために、俺は言うぞ!

 

「目を覚ませ、ワタナベ!」


 集中治療室の外で俺は吠えた。

 届く。絶対にワタナベにこの言葉は届く。

 そう信じて、俺はただこれまで言えなかったその言葉を、何度も何度も繰り返した。

 

 おわり。

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