お帰りください。勇者サマ

コーチャー

第1話

 一年前、私たちの住む世界を支配していた魔王アーベルは異世界から召喚された百八人の勇者様によって倒された。祖父の代から続いた魔王の支配からの開放に私たちは歓喜した。もう、魔物に田畑を荒らされることもない。誰かが魔物に喰い殺されることもない。夜の闇に怯えて眠れない日々が過去になるのだ。その喜びだけで皆に笑顔が戻ってきていた。


 いま。私たちはひどい夢を見たあとのような顔で刑場に向かう坂道を歩いている。


 年貢をほんの少し払えなかった。たったそれだけのことで、村人全員の処刑が決められた。


「年貢を払えないのは単に怠惰である。怠け者は悪である。悪はこの世から滅ぼされなければならない」


 それが私たちを処刑する理由であった。刑場へ向かう坂道は、私たち村人が蛇のように一列に並ばされている。もう、丘の上の刑場では先頭の処刑が始まっているようで、風に乗って叫び声や生臭い匂いが流れてくる。それでも誰一人としてこの列から逃げ出そうとしないのは全てを諦めているからだ。


 私たちのように村人全員が死刑になった村は、この領内ではすでに六つを超える。そして、それらすべての処刑は、ただ一人の洩れもなく実行された。最初は逃亡を図る者もいたが、領主によって捉えられ殺された。私たちは学んだ。


「もう、逃げることなんてできないんだ」

 だから、私たちは殺されるためだけにこの坂を登る。自分が一歩登るたびに一人死んでいる。そのことさえ考えないようにして一歩、一歩と登っていくのである。太陽が真上に差し掛かった頃、私はようやく丘の頂上にたどり着いた。


 地面は夕焼けのような朱に染まり、反対に空は雲一つない青が広がっている。首のない死体が山のように積み重ねられ、漏れ出した血液が水たまりを作っていた。それを見て私はやっと終わるんだな、と思った。


 処刑は領主であるトーカ様が自ら行っていた。剣聖トーカ。領主の二つ名であり彼は、この世界で最も強い剣士だった。そんな彼の趣味は刀剣収集である。それも実用を伴った。


「次!」


 トーカ様が指示すると、家臣に促されて私の前を歩いていた老婆が引き出された。


「お願いです、お助けください。ゆ……」


 老婆の懇願は最後まで述べられることなく。掠れて消えた。トーカ様が剣を振るったからである。それは音もなく、チーズを切るように滑らかな動きだった。


「あまり、斬れんな。次の剣をだせ」

「はっ、次はダルマチア鋼で作られた名剣とのことです」

「それは、楽しみだ。次を引き出せ」


 老婆の次は私の番だった。


 老婆の死体が家臣の手によって運ばれると、私は家畜を追い立てるようにトーカ様の前に引き出された。地面はさきほどの老婆の血か、先に逝った者達の血なのかじっとり湿っていた。


 今考えれば、なにもいいことのない人生だった。両親は魔物に喰い殺され、十六歳にもなれずに殺される。私が何か悪いことをしたのか? それとも私たちに神はいないのか?

 それはずっと悪夢にとらわれているようなものだった。


「今度は若い女か」


 トーカ様は私を一瞥すると嬉しそうに言った。


「骨ばったババアを殺すより格段にいいな」


 その笑顔は心底嬉しいといった無邪気なものだったが、私にはそれが魔王の顔に思えた。


「いや……死にたなくい……」


 私は叫ぼうとしたが、出たのは蚊の泣くような小さな声だった。


「それは無理だよ、お嬢ちゃん。もう死ぬんだよ、お前は」

「そうですねぇ。お前は死ぬんですよ。剣聖トーカ」


 いきなり、現れた声の主に私もトーカ様も驚きを隠すことはできなかった。なぜなら、刑場までの坂道はトーカ様の家臣たちが見張っており、彼のような部外者がこの場に現れることは本来ならあり得ないことだった。


 しかし、彼はそこにいた。


「剣聖トーカ。領民を使って試し切り、優雅なご身分ですね」


 青年は、緋色のマントを翻し、腰に差した剣を抜いてトーカ様に話しかけた。


「こいつらは年貢も払わないグズで使えない家畜以下の存在だ。斬られる以外にこいつらに価値があるのか? いや、ないに決まってるだろ!」

「年貢が収穫高の八割ではどこの村でも払えない、と思いますけどね」

「だからなんだというのだ? 年貢が高いといっても俺がこいつらにしてやったことを思えば安いもんだろ? なんせ、俺は勇者様なんだぜ」


 異世界から召喚された百八人の勇者様。その中に剣聖トーカ様はいた。異世界からこの世界に勇者様が召喚されるとき、境界の女神は彼らに一つだけ力を授けた。ある者は、この世界の魔術師が束になってもかなわない火の魔法を、別の者は、この世界のだれよりも強力な剣技を――。


 この世界のだれよりも強力な剣技を与えられたのが私たちの領主であるトーカ様でした。


 百八人の勇者はこの世界を救うために召喚され、魔王を倒した。彼らはそれで元の世界に帰れると思っていた。しかし、境界の女神は彼らを元の世界に返すことを拒んだ。私はその理由を知らない。


 ただ故郷に帰ることができない勇者様は、魔王の亡き世界をそれぞれの領土として分割し、私たちを支配するようになった。それは、魔王が百八人になったのと同じことでした。


「魔王の間違いじゃないですか?」

「せっかく救っってやったのに、魔王呼ばわりか……この世界の人間は恩義ってものがないみたいだな」

「恩義は感じてますよ。だから、僕たちは来ました。お前を元の世界に帰すために」

「なにを言ってやがる?」

「聞いてるんでしょ? 境界の女神が言った元の世界へ帰る方法を!」


 トーカ様の顔色が一瞬にして変わった。何よりも私には勇者様に帰る方法があったということが驚きだった。私を含めこの世界の人々は勇者様が帰れないのは境界の女神が拒否したため、と教えられていたからだ。


「お前、どうしてそれを?」

「なぜでしょうね。力づくで訊いてみます?」

「当然だ!」


 トーカ様が剣を振るうと青年が構えていた剣は枯れ枝のようにへし折れる。鋭い斬撃は剣だけではなく青年の腕や腹部にも大きな傷をつけていた。剣も鎧もトーカ様の前では薄い紙切れのようなものなのかもしれません。


「っ!」

「境界の女神が俺に与えた剣技は一騎当千。お前みたいな雑魚がさらに二、三人増えたところで意味はない」

「……確かにそうでしょうね。あなたたち勇者の力に私では到底及ばない」


 あきらめを口にする青年にトーカ様は薄い笑みを浮かべて剣を振り下ろそうとしていました。私は声にならない叫びとともにトーカ様に体当たりをしました。どうせ斬り殺されるのならあの青年みたいに反抗したかった。ずっと抵抗できない悪夢の中にいた。だからせめて眠りにつくときくらいは自分の力でいきたかった。


 処刑を待つ家畜である私が、襲いかかるとはトーカ様は思っていないはずでしたが、彼は私をあっさりと避けると足で蹴り飛ばしました。私の身体は地面を何度か跳ねて殺された誰かにぶつかって止まった。


「雑魚にもならない家畜が、俺の邪魔をするな。弱いやつは狩られ貪られる。当たり前だろ」


 トーカ様は私を睨みつけると青年に向けていた剣を私に向けていました。

 彼の言うことはそうかもしれません。私たちだって自分より弱い山羊や牛を育てて食べます。強いものが弱いものを蹂躙する。当たり前の構図。でも、私はそれが悔しくて悔しくて、初めて涙を流しました。


「それでも、嫌なの」

「家畜の言葉を人間は理解しないんだよ」


 トーカ様の剣が私の首に触れた。


「やめなさい。彼女は人間です。あなたの暴力に立ち向かった誇り高い人間です」


 青年は折れた剣を杖のように地面についてようやく立っている状態でしたが、その瞳は生気が溢れていました。


「この世界にいる人間っていうのは魔王を殺した俺たち勇者だけだ。お前らみたいなのはNPCとか家畜とかそういうもんなんだ」

「確かにあなたたちは魔王を倒した」

「そう、お前らが倒せません、救ってくださいって懇願するから俺たち百八人の勇者は魔王を殺してやった」

「魔王を一人殺すのに勇者は百八人必要だった。なら、勇者を殺すために必要な雑魚は何人なんでしょう」


 次の瞬間、刑場を取り囲むように弓を構えた兵士が次々と立ち上がった。

 それは夢や幻のような光景でした。服装も武器もばらばらな兵士たちがただ一人の男に向かって弓を構えている。彼らはきっと特別な力なんてない。私と同じ人間だ。でも彼らは武器を握っている。


「一万二百六四人。あなたを殺すために集まった人々です」


 青年は震える右手を振り上げ、微笑むと振り下ろした。全員が一人の男めがけて弓を引いた。トーカ様は剣で何十、何百の矢をなぎ払ったが、意味のないことだった。彼に降り注いだ矢は万を超える量だったからだ。


 全身に矢を突き刺したトーカ様に青年は言った。


「お帰りください。勇者サマ」

「……な、なんで俺が……」


 息も絶え絶えにトーカ様が呻くと青年は言った。


「この世界の住人である僕たちは正々堂々とあなたたちと戦ったらやられます。でも、百人、千人、万人と集まれば、こうして勝つことができるんです。あなたたちが百八人集まって魔王を倒したように。だから、ほんと、お帰りください。勇者サマ。もう、ここにはあなたの居場所はいないんです」


 青年の言葉に応じるかのようにトーカ様の死体は霧がはれるようにゆっくりと消えていった。


「あなたは一体何者なんですか?」


 私が尋ねると青年は、照れくさそうに笑って「君と同じ人間だよ」と言った。

 それは長い悪夢から覚めるような優しい言葉だった。

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