第3話後編 彼は原点を思い出し、もう一つの物語は幕を開ける
涼香と別れた後、私は帰り道にある公園のベンチに腰掛けていた。健斗を待っているのだ。
今日の智樹と健斗の会話は、十中八九、朱里のことだろう。彼らは二人とも彼女に恋をし、少なからず傷ついた者同士。穏やかには終わらないだろう。
これで、智樹は前に進めるのだろう。いや、進んでもらわなくては困る。それが、私と彼の願いなのだから。
私は健斗を待っている間、物思いにふけることにした。いや、否応にも思いださせられるのだ。昔のことを。
私は朱里とのことを思い出す。智樹の忘れているだけのことを。
私と朱里はいとこだ。別の学校に通っているが、家が比較的近くにあったおかげか、月に一回はあっていた。だからこそ、彼女が病にかかったと聞いた時は驚いた。
彼女のお見舞いに行こうとしたが、最初のうちはクラスメイトがいてなかなかいくことができなかったし、少ししても、ずっと男の子がいて近づくことができなかった。私は今と違って当時は人見知りが激しく、そのことを知っている朱里とはメールでやり取りをしていた。
そのメールの内容はいつも病室にいる男の子の話ばかりで、私は次第にその男の子に興味を持つようになった。
そんなある日、私は意を決して朱里のお見舞いに行くことにした。この時のことは今でも覚えている。とても緊張した。それほど、当時の自分にはとてもハードルの高いことだったのだ。
私が病室に入るとそこには信じられない光景があった。同じ学校の笹瀬君がいたのだ。しかも、学校ではめったに笑わないのに、とびっきりの笑顔で笑っていた。私は勇気を振り絞り、挨拶をしてその輪に入っていた。朱里のフォローもあってか私はすぐに二人の少年と仲良くなり、お見舞いの時によく話すようになった。
話していて、よくわかる。智樹君は、朱里のことが好き。そして、朱里は智樹君のことが好き。
だが、残念なことに、笹瀬君は朱里のことが好きなようだ。そして、私は……。
話しているうちに智樹君のことが好きになってしまっていたのだ。決して割り込めない二人。その片割れを好きになってしまった私達。それでも、私達は話しているだけで、一緒にいるだけで幸せだったのだ。
だから、私達は約束したのだ。告白はしない、二人の邪魔はしない。二人が幸せになるようにしようと。
しかし、私は図々しかった。次第に私はただ話しているだけ、一緒にいるだけでは満足できなくなってきた。もっと、その先がほしくなってしまったのだ。だから、私は約束を守るため、笹瀬君に頼んでお見舞いに行く頻度を自然に落とし、二人の前に姿を見せなくしたのだった。
そして時が流れ、朱里が東京の病院に移った。
その時に私は何を思ってか智樹君に会いに行こうとしたのだ。朱里がいなくなって、私は下心が芽生えたというわけではない。ただ、心配で彼を見に行った。予想は悪い方に的中する。久しぶりに見た彼の表情は私の知っているものとは大きく違っていたのだ。
とても話しかけられるものではない。私が話しかけても、何もない。求められなどしていない。そう、容易にわかってしまう。私は、彼に声をかけることなく、帰った。
変化は、智樹君だけではなかった。笹瀬君にも起きていた。
彼は朱里たちと話すようになり、以前よりもだいぶ明るくなっていた。しかし、朱里がいなくなってから以前の彼に戻ったように感じられた。そして、以前より私と話す時間が多くなった。それは彼から求めてくるのもあるし、私から求めるからでもある。
彼と話していると、今はもうないあの頃のことが近くに感じられるような気がするから、そして、忘れないようにするために。
それはきっと彼もいっしょなのだろう。だから、私達はどんどん一緒にいる時間が増え、話す時間が増え、付き合うようになったのだ。お互いの空いた心の隙間を埋めるために。傷をなめあうために。
そんなことを思い出していると、私は急に怖くなるのだ。私は健斗と付き合ううちに本当に彼のことが好きになり、改めて告白し、付き合うことになった。その時に、彼は自分も一緒だといってくれた。しかし、それもまた嘘の物なのではないのかと思えてくるのだ。
彼を疑っているのではない。自分自身を疑っているのだ。蓋をするために無理やり心に蓋をして、そんなことを言い出したのではないのかと考えるのだ。
そうすると、私は彼に、健斗に無性に会いたくなる。あって、この気持ちが、あの頃の気持ちが嘘でないと証明したくなるのだ。
そして、彼もまた、私と同じなのだと思う。だから、彼に会いたい。どうせ悲しい顔をして帰るのだろうから。一緒にいてあげたいと思ってしまうのだ。
だから、私はここで健斗を待っているのだ。
しばらく待っていると、健斗が公園の前を通った。私はあくまで冷静に、この気持ちを悟られないように声をかける。
「遅かったね、健斗」
こちらを向いた彼の顔は想像通り、悲しい顔をしている。
「先に帰ってたんじゃないのか?」
「うん、涼香と別れるまでね」
私は彼の質問に淡々と答える。
「俺が恋しくなったのか?」
私は素直に答えることにした。そのほうが、早いと思ったから。そして、そのほうが今はいいと思ったから。
「そうだね、健斗達が、朱里のことで話してたから、恋しくなったのかも」
私の言葉を聞いて、彼は悲しそうに微笑んだ。
「智樹は元に戻ったの?」
いつもの帰り道を二人で歩いていると陽菜が今日の話について結果を聞いてきた。
「もちろんさ」
俺は簡単に結果を伝える。
「戻ってもらわないと困る。そうじゃないと、俺がここまでした意味がない」
そうだ、戻ってもらわないと困る。そうでなければ俺はもう一度智樹を奮起させるために叱咤を飛ばさなければいけなくなるから。あんな役回りはなるべくしたくない。
「そうね、そうよね」
陽菜は返ってくる答えがわかっていたかのようにうなずく。
「ああ、約束はたがうつもりはない」
「朱里との最後の約束」
陽菜の口からこぼれたソレは今もなお、俺達を縛り続けているのだ。いや、すがっているのかもしれない。幼いころのあの時間を、想いを忘れないために――。
俺と陽菜は朱里に呼び出されていた。
「どうしたの?話したいことって?」
「そうよ、それに、智樹君がいないし……」
俺達は今自分たちが置かれている状況が今ひとつわからずにいた。すると、今まで暗い顔で黙っていた朱里が話しはじめる。
「私、そんなに良くないんだ。だから、東京の病院に移ることにしたの……明後日」
彼女から出た言葉は耳を疑うものだった。
「何で急に……!?」
「もっと早くに言ってくれたらよかったのに……!?」
俺たちの言葉に彼女は苦しそうに、悲しそうに言葉少なく返す。
「言えなかったんだよ……」
「「え……」」
「楽しい毎日が続くと思ってた……ただみんなで話しているのが楽しかった……」
その声は、だんだんと濡れていく。
「でも、そんなにうまくはいかなかったの……悪いのはわかってた、覚悟もできてた……はずだった」
最後のほうは消え行ってしまいそうなほど弱々しい声。そこで気づく。俺たちは表面上は元気だった彼女の、本当は傷ついていた内面に気づいてあげることができなかったのだ。
「それもこれも、智樹の……みんなのせいなんだよ?」
彼女は無理やりにも笑う。それが俺には痛々しく見えて、とてもじゃないが見ていられなかった。
「だから、お願いがあるの……聞いてくれる?」
そう静かに告げる彼女の声には確かな強さが感じられた。だから、俺達はただ静かにうなずくことしかできなかった。
「ありがとね」
彼女はそう微笑み、続ける。
「私が死んじゃったら、智樹はすごく悲しむと思うの。何もする気が起きなくなっちゃうくらいに……」
それは、容易に想像できることだ。朱里のためだけを想って生きているようなやつだ。陽菜も俺と同じことを思っているのか黙って聞いたままだ。
「だから、私は智樹を突き放すことにする。だから、二人はもし知樹が私のところに来ようとしたら全力で止めてね」
訳が分からない。好きなのなら、死んでしまうのなら、思い出を作ろうと、楽しいことをしたいと思うのではないのか?
「なんで……会いたいんじゃ、好きなんじゃないのか!?……あっ!」
失言してしまった。そうすぐに思った。しかし、陽菜は構わず俺の言葉に便乗する。
「そうよ!好きなんじゃないの?一緒言いたらいいんじゃないの?朱里!」
「そうだよ、好きだよ、大好き。でもね、私達はお互いのことよくわかるんだ。だから、想うの。私達はそばにいたらお互いつらい思いしかしないって……」
「そんなこと……」
ないとは言えなかった。わかってしまうから、想像できてしまうから。
「私は智樹がいたら未練を残してしまう。死ぬのが怖くなってしまう」
まるで死ぬのが怖くなかったみたいな言い方だ。彼女にとっては、死ぬことはいつ自分の身に降り注いでもおかしくないことなのだ。
「智樹は私といると、私の死に直接対面しなくてはいけなくなってしまう……智樹の心が壊れてしまうかもしれない……いや、きっと壊れる」
自分よりも、何よりも大切にしているものが壊れてしまったら、人はどうしようもなく壊れてしまうと思う。それは、智樹も例外なくだ。
飲み込み、受け入れるには、俺たちの歳ではまだ早すぎる。
「だから、約束……してね?」
「「……っ!」」
本当は、嫌なくせに。どうしても離れたくないくせに、大人ぶりやがって……。
俺は彼女に対して激しい怒りにも似た想いを抱いた。これは、怒りなのか、悲しみなのか、それは激しすぎてよくわからない。しかし、彼女にしてあげられることは、俺たちには一つしかない。
「ああ、わかった。約束するよ……」
陽菜も、言葉なくうなずく。
それを見て満足そうに笑いながら彼女は言うのだった。
「ありがとう!二人とも!」
その笑顔はどこまでもはかなく、淡く、悲しいものだったのを覚えている。
病室を出て、俺は陽菜と一緒に公園まで歩いていた。
俺は病室での最後の彼女の笑顔を思い出す。
「……なんで、そんな顔すんだよ……笑うなよ……、ほんとは一番自分が傷ついてるくせに……」
勝手に涙が出てくる。怒りと悔しさでとまらないのだ。
「健斗君は、守るの……?」
陽菜が小さく問うてくる。俺は涙をぬぐいながら即答する。
「守らない」
「私も」
陽菜もまた、同じく返す。
あの最後の笑顔を見てしまったら、答えはおのずと決まってしまうのだ。
「本心から望んでいないことなんて、俺は認めない」
「私も、朱里は絶対に望んでないと思う」
互いの心は一つに決まる。彼女と彼が一つになっているように、俺達も。
「だから――」
「だから――」
「「約束は別の形で守る!」」
望んでいないことをかなえるほど、俺達は善人ではない。なら、望む形に変える。
「折れて立ち上がれなくなった智樹が」
「もしまた朱里に会うために立ち上がるなら」
互いに確かめ合うように宣言する。
「俺たちが全力でサポートして」
「朱里のもとに送り出す!」
互いに誓い合うように宣言する。
「「これが、約束だ!!」」
これが、俺たちを縛るもの。これが、俺たちがすがるもの。彼女の約束から生まれた、俺たちの違うことのない絶対の約束だ。
これは、動き始めた物語。
動かした物語。
朱里を中心とした、私たちの群像劇なのだ。
今日、それはようやく開幕した。
「ちょうど、この場所だね」
私は昔にした約束を思い出しながら空を見上げた。
健斗も同じことを考えていたのだろう、懐かしそうな顔をしていた。
「そうだね、ちょうどこの場所、この日だったな……」
運命的なものを感じてしまう。だからだろうか……今まで以上に、健斗のことが恋しくなったのは。
私は確かめるように彼の手を握り、問いかける。
「約束、絶対守ろうね……」
「当然だ……」
彼もまた、同じように握り返しながらささやくのだった。
「俺たちの思い出は、いつも楽しそうに笑っていただろう……?」
縛られているのだ。彼も、彼女も、私達も。
それは自分の行いだったり、相手への想いだったり、自分たちの約束だったり……。私達は、形は違えど、縛り、縛られている。
これがほどけるのはいつになるのだろうか……。
それをほどけるのは彼だけなのだろう。
私達は色あせない過去とまだ見ぬ、焦がれている未来に思いはせながら、強く握り合っていた。
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