第4話前編 彼ら彼女らの想いは交差し、物語は描かれていく


 俺は帰宅するとすぐに脚本を書き始める準備を始めた。佐久子さんからは脚本の内容は演劇でできないようなものでない限りは俺に任せるといわれているため、自由に書かせてもらう。

 実は自分の中ではもう話はできている。俺のけじめの物語。選べなかった選択を選びなおす、そんな物語。

 この脚本を書き、演じてもらうことで自分の中でまた一つ整理がつくと思うのだ。そして、朱里のそばにいるのにふさわしい、昔の自分に戻れるのだ。いや、違う。昔の自分より、少し強い自分になるのだ。

 朱里にはあまり時間は残されていないだろう。だから、俺はなるべくそばにいてやりたい。失った時間を、手放してしまったつながりを取り戻したいのだ。楽しかった日々をまた繰り返すことが、自分が何よりしなくてはいけないことだと思うからだ。

 朱里が望み、手放したこと。それは俺が弱く、幼かったからだ。そして代わりに朱里は大人だった。だからこそ、未熟な俺をみてそうせざるを終えなかったのだろう。

 俺が望み、選び取れなかったこと。それはうぬぼれや傲慢さがあったからだ。お互いのことを想いあっている。だから離れないと。子供ながらの浅はかな考えを持っていたからだ。大切だからこそ、想っているからこそ離れるという選択が選べると、出てくるのだと考えもしなかった。それはやはり自分の幼さや傲慢さから出てきた弱さなのだと思う。

 思い返すと、いくらでも後悔は湧いてくる。しかし、その後悔にいちいち反応していては前には進めない。それらをまとめて飲み干して、次に進む活力に変えていかなくてはいけないのだ。今まで停滞してしまった分、俺は進まなくてはいけないのだから。

 それに、やりたいこと、夢もできた。思い出したといった方が正確なのかもしれない。朱里と一緒に過ごしていた中で、自然と夢に見たこと。俺はそれも叶えたいと思う。

 だから、俺はこの脚本にすべてを注ぐつもりだ。ありったけの想いと、後悔を払拭するために。過去にとらわれた自分を未来へと解き放つための鍵となる物語を。

 俺は想いを胸にしたため、ペンを走らす。俺と朱里の出来事を、形を変えて映し出す。物語を進めるごとに、俺は昔の自分を思い出す。今の朱里へ想いを馳せる。色あせることなく、むしろより鮮やかに彩られて残っている思い出に、本当の色を塗りなおすために。



 時間はもう昼過ぎになり、太陽が空で輝いていた。

 今日と明日は高校入試があり、休みとなっている。だからこそ俺はこの時間帯まで作業をすることができた。

 三月も終わりに近づいているはずだが依然、寒さは厳しいものだ。しかし、身は冷めていても俺の心は熱く、火照っていた。

「こんな今があったかもしれないのか……いや、選べたはずだったんだ……」

 俺は自分の手元にある完成した脚本を見返しながら涙を流していた。

 この物語は、俺が歩んできた道を、歩みたかった道を書いたもの。当然存在しない結果の、もしものものだ。しかし、俺の選択次第ではあったもの。だからこそ、思うところがあるのだ。

 この物語の主人公と自分は全く違う。それは主人公らの性格や容姿だけではない。関係や、時代すらも違う。ただ一つ、同じであることは、想い人と自分とを天秤にかけなくてはならなくなったということだ。

 この物語はハッピーエンドで終わっている。つまり、その天秤は傾き、正しい答えを導き出したということだ。

 しかし、それが可能なのは俺が作った俺の理想の、都合のいい物語だからなのだろうか……。いや、それは違うはずだ。この物語と俺の失敗とには大きな違いがあるから。

 それは昔の俺にはなかったもの。遠慮なく話すことのできる友人。昔の俺は朱里以外はどうでもいい存在だと思って切り捨てていた。しかし、それは間違いだった。自分の小さな世界だけで完結してしまうことは成長にはつながらない。それはむしろ後退への手助けになってしまう。自分では見えなかったものを見せてくれる、逃げていたもの、目を背けていたものを見つめなおすように促してくれる。

 それは自分一人ではたどり着くことのできない、最善解へと導いてくれるのだ。俺が欲してやまなかったもの、怖くて選べなかったものへと。

 当然、それはあの時はなかった。だからこその今の結果なのだ。しかし、今はあるものだ。高校に入学して手に入れたもの。大切に思える、気の置けない仲間に出会えたのだ。

 それはあの頃になかった、新しい宝だと俺は思っている。一生大切にしていかなくてはいけない宝。

 そのこと踏まえ、自分にとって自分とは何なのかと問いただす。自分から見て、自分は何者に見えるのかを問いかける。何度もした、答えは出ていた質問。

 しかし、その答えは、時がたてば、物語が動けば変わってくる。惨めでみっともない答えしか出せなかった。ただ言い訳をして、自分ではどこが悪いのかわかっているくせに、今からでも取り返せるはずなのに、それなのに行動しない。目を背け、ふてくされる毎日。

 そんな死んだ日々を終わらせることができた。そんな自分が出した答えは、言うまでもなくあの頃とは変わっている。自分に対しての見え方が変わり、答えも変わる。

 しかし、現実とは実に非情だ。俺が改めて出せる答え。様々な出会いや出来事があり、変わった、変えてくれた俺が出せたもの。

 改めて見つめ直したそれは、ひどく滑稽で、うすら寒くなるものだった。いくら考え方が変わり、成長したといっても過去までは変えられない。変えられるのは現在と未来だけだ。自分の犯してきた愚行を取り払うことも、塗り替えることもできないのだ。できることは思い出として美化することや、目をそらすこと、受け止めていくことしかできない。昔の俺は思い出として美化し、何もしない自分から、弱さから目をそらしていた。

 しかし、それではだめなのだ。ならば、ただ自分にできることは正しく受け止めることだけなのだ。そして、自分自身の胸の奥底のほうにしまい込んでいた想いを、答えをさらけ出していかなくてはいけない。

 自分の本当の答え。改めて考えてみると何かこそばゆい感覚に襲われる。無意識のうちか、どこかで自分をかばっていた。責めているつもりでいても、結局は自分がかわいかったのだ。 

 そう思うと幼いながらに覚悟を決めていたはずなのにそんなものはただのポーズだったのだとわかってしまう。それはどうも情けなく、恥ずかしくなってしまう。

 ただただ、俺は何を大切にしていたのだろうか。朱里が何よりも大切だと思っていたのは本当のことだと断言できる。それは今も変わらないことだから。

 しかし、それ以外にもあったのだ。

 自分にとって自分とは、大切な人と一緒にいるために必要な資本であると考えている。何よりも大切な人、その人といるために、なくしてはいけない、壊してはいけない資本だと考えているのだ。昔の自分はそう考えていた。

 しかし、これは大きな矛盾をはらんでいる。何よりも大切な人と、その何よりも大切な人といるために必要な大切な資本。それを天秤にかけた時、その天秤はどちらに傾くのか……。

 結果、どちらにも傾くことはないのだ。選ぶことができず、ただ立ちすくむのみだった。頭ではわかっていたのだ。傾けるべきものは。

 しかし、天秤を傾けるには勇気が、覚悟が足りなかった。まだ幼い自分には選ぶことができなかったのだ。先の見えない行動はどうしても恐れてしまう、本能的に恐れてしまうのだ。

 あの時に、俺は死について想像した時にくる底知れぬ恐ろしさに似た何かを感じた。ぶつけようのない、ただ何となく、恐ろしい。そんな感覚に全身を奪われたのだ。

 何よりも大切なモノならば、何と比べても迷うことなく結果は出る。しかし、俺の天秤はどちらにも傾くことはしなかったのだ。だからこそ、俺は怠惰に毎日を過ごしていたのだ。会いに行こうと思えばいつでも行けた。あの時すぐに答えは出せなくても、会って話し合って、二人で答えを見つけていけばよかったのだ。

 しかし、俺はそれをしなかった。いや、できなかったのだ。天秤をどちらかに傾けるということは、どちらかに優劣をつけなくてはいけないからだ。自分にとって両方が同じに大切であった。大切であったからこそ、自分らしくいられたのだ。目をそむけたくなる現実から目を背けられたのだ。どちらかを選ばなくなる時が来るという現実から。

 そして、自分が行動を起こすということは、天秤を傾けるということになる。だから、俺は何もできなかったのだ。しなかったのではなく、できなかった。

 結局昔の自分も、今までの自分も、していたことはいずれ必ず出さなくてはならない回答の先延ばしにすぎないのだ。

 ただ何も考えず、楽しい時間に浸っている。ただ何も考えずに、感傷に、悲壮にくれている。そんなのは楽に決まっている。思考を止め、停滞する。だからあの時、その付けがまわってきたのだ。それでも、俺はそれをどちらかに傾けることなんて到底できなかったのだ。

 しかし、人間というものはひどく弱く、利己的なものだ。簡単な方、楽な方に流されて行ってしまう。

 昔となった記憶は、モノは色あせることなく鮮やかに自分の中で色づいていた。しかし、昔はそうだった。あの頃は楽しかったと、思い返すたびに、自分の中で何かがこぼれていく感覚に襲われた。少しずつ、それは感じられたのだ。

 その一方で、目を背け、手入れを怠ったモノはさび付き、その重さを増していく。貪欲で卑屈で、卑怯な錆は、しつこくこびりついていくのだ。

 両者のつり合いが取れなくなった天秤は、当然傾いた。

 うすら寒い。大事だ大事だなんて言っていたくせに、選べずに迷い、ただ流されるように大切なモノを軽くする。そして、その大切なモノがあるからこそ、重みがあるはずなのに、余計なものをつけることでその軽さを誤魔化していく。

 俺はそんな自分が中身のない銅像に見えるのだ。上面だけ重く、本質は何もない。まさにぴったりだ。

 自己分析は悲しいことかな、自分がろくでもないやつであることしかわからなかった。しかし、気づかせてくれることもあった。

「簡単なことじゃないのか……」

 自分にかけていたもの、求めなければいけないものがはっきりとした。貪欲さと、執着。そして、勇気だ。

 大切な人のためなら何でもやるという、貪欲さ。

 主人公なら、当然とるのであろう行動。物語ならば当然の帰結。何を捨ててでも、選び取るもの。そういった選択を取るのに必要なものだ。それが自分には欠けていたのだ。

 それらがないから自分は選べなかったのだと、選択肢になかったのだ。いや、これもごまかしなのかもしれない。だが、明らかな事実でもあるのだ。

 自分は所詮、何か特別な存在ではなく、ただのちっぽけな餓鬼なのだとわかってしまった。そして、わかってはいたことだ。だが、改めて自分の中できちんと証明してしまうとくるものはある

 しかし、いつまでも嘆いていてはいけない。俺は変わるのだ。変わらなくてはいけないのだ。当然の選択をとれるように。自分自身の物語の主人公は自分自身。そんな当たり前のことを俺は再確認し、決意を改める。

 自分自身の物語を王道の展開に帰結させるために、俺は変わるのだ。

 何か特別なことをするのではない。当たり前のことを当たり前にする、いつも、いつでも、いつまでも一緒にいる。そんな主人公に、俺はなるのだ。


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